手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

肺気腫40年・・ トレリハ に通うことになりました

2020-03-10 19:42:18 | 身辺雑記

 90歳になる。これまで病気で学校や職場を休んだことがないように思う。ただ、定年退職後、皆様がインフルエンザで苦しんでおられる時に仲間に入ることがなく、季節外れに咳と痰に苦しめられることが、年に一度起きるようになった。熱が出ることもなく、仕事などを休むことはないのだけれど、痰を吐き出すのに咳込むような状況で2週間くらい苦しめられてきていた。
 病気をしたことがないようなことを書きましたが、実は60歳の年、北大で肺の無料検診がありそれに応募したら、「肺気腫です」と宣告された。それ以来呼吸器内科の検診は続けて受けてきているのです。ですが宣告されてもう30年、その前から罹患していたのでしょうから40年は肺気腫を抱えて生きてきているのです。咳と痰に苦しんでいるときにも検診に行きました。しかし、肺の病気だとは言われなかった。早い時期に北大の教授に咳と痰を止めるのに抗生物質が処方された。忽ち咳も痰も収まった。その時、教授はこの抗生物質はあまり使わない方がいいですょ。本当に肺炎が起きた時に効かなくなるとおっしゃった言葉が今だに頭の隅っこに残っている。とすると、あの咳と痰は肺気腫からくるものだったのだろうか。30年呼吸器内科に世話になっているけれど、一度も肺炎と診断されたことがない。振り返ってみると、此の痰と咳の症状が出て、最後はほとんど抗生物質の世話になってきた。一昨年この症状になったとき、抗生物質が手に入らなくて、T耳鼻咽喉科に見てもらいにゆきました。すると抗生物質の点滴が施され回復できた。昨年の11月この症状かなと思う咳と痰が始まった。何時も同じなのだけれど軽い風のような感じもあり、すぐ直りそうな症状ので、咳止めとか痰きりの薬とかをもらってきて試みていた。しかし、よくならない。それで又T耳鼻科に行ってみました。やはり点滴をしてくださり、それが一晩で効いて咳も溥も止まりました。それでうれしくなり少し無理をしました。すると今度は微熱を伴い苦しくなりました。そして酸素ボンベを引かなければ行動できないようになりました。そんな中、12月1日の詩吟教室、2日のの福祉センター詩吟をこなしました。しかし、3日はとても辛く、渓仁会病院へ予約を入れて4日に看ていただきに、家内も同行してもらって行きました。主治医先生が休みでしたが、代わりの先生が先にレントゲンを撮らせ、診察する前に今度はCTの撮影を命じられました。そしてベットに入って待機させられ、かなり遅くなって診断が下りたのですが、「肺炎です。このまま入院してもらいます」ということになった。結局12月22日までの入院となりました。退院後一月の中ごろまでは、酸素吸入を24時間継続しました。そのご次第に酸素を外しても問題なくなり、仕事をする時とか長い距離を歩く時だけ酸素を使う程度なっています。
 12月の肺炎でよかったと思います。コロナが起こってからだったらどんなことになったのかと思いやられます。おかげで介護1級の障碍者となり先週からトレリハ(リハビリーセンター)に通うことになりました。
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