手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

 第一教場 5名欠席

2005-03-14 19:54:51 | 詩吟関係
 今日の第一教場は、5名欠席(女4名男1名)風邪とのこと。次々に罹患していく。今はやっている風邪は治るのに時間がかかる。私は、2週間かかった。小野さんは先週の水曜日風邪でダンスが駄目だったから、多分今日も駄目だろうと思っていたらその通りだった。でも、お店はやっているとう。頑張ってください。
 明日は、福祉センタヘの詩吟、先週珍しく20人を切っていてどうしたかと思ったりしていたのだが、ひょっとすると風邪の人が多かったのかもしれない。そうすると明日もそんな状態が続くのかもしれない。その心算で準備しておかなければならない。
 北海道詩吟連盟から文書で、理事会で入会が承認されたとの事。資格認定は15日の審査特別委員会で決められるとの事。早く結果を知りたい。
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福祉センター 詩吟

2005-03-08 21:48:14 | 詩吟関係
 朝、凄い吹雪になり、どうなるのだと心配していたのだが、昼近くには青空も出ていい天気になる。これなら皆来れるだろうと期待していった。
 ところが、暫くこんなことはなかったと思う。18人しか来てくれなかった。でも先週いらっしゃった方でとてもいい吟をされる方が今日も来ていたのは嬉しかった。また暫く休んでいた福岡さんが見えられ、先に出崎さんが飲み物を持ってきてくれていたのに、一寸見えないところに置いてくれていたものだから、また持ってきてくれる。感謝。
 
 北海道詩吟連盟の岡内さんから電話があり、昨日の理事会で入会が承認されましたとの事。15日に審査会があり、そこで資格確認がされる。直ぐ結果について知らせるのでその後名簿を添えて申請してくださいとのことでした。

 今、平和の会員募集のポスターを作った。ポスターの効果ってあまり無いのだが新しい会になったのだから、新しいポスターを作るのも楽しみの一つ。もしかして、それで誰かが来てくれたらすごいのだが・・・・・・。
 
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「残響」  東先生の声無き声に私は応える

2005-03-06 22:20:45 | 随筆「残響」
「残響」の作者田中さんに会った日、3月2日、後で判ったことなのだが、その日に東先生が他界されたのでした。この田中さんと事務局長の芳村さんは、岩見沢に国鉄の関係でいたことが有り、その時同席していた俵氏も岩見沢機関区に勤務したことが有り、くしくも岩見沢でつながった。そればかりではなく、私が詩吟をやっているというと、牛崎さんを知っていますかと聞かれた。この牛崎先生は私の二人目の詩吟の先生だったのです。そして、この牛崎先生とこの日亡くなられた東先生は詩吟の兄弟弟子で、牛崎先生の力強い吟と東先生の大らかな吟風が、連吟をすると不思議にマッチしていい感じになるのでした。東先生が仕事の関係で指導が出来なくなり、その後を託したのが牛崎先生だったのです。更に芳村さんは、詩吟を笠原先生のところに習いに行ったのだというのです。ただ1日で止めたのだそうですが、この笠原先生は、豊泉流から恵山流日本吟道会を立ち上げた時の指導的立場の人で、会長となった人なのです。
 
 笠原先生、牛崎先生それに吉岡先生、和泉先生の四人が佐々木象堂さんと対立して、北海道詩吟連盟に移られたのですが、東先生は、親友、同志がそのようにして去っていく中、宗家を守ってきたのです。その東先生を干しあげるような仕打ちをしてきた宗家、だから私も象堂流から脱会する事にしたのです。そして私も今北海道詩吟連盟に加盟することがきまったばかりなのです。このことを報告するはずの東先生の亡くなった日に、初めて会った田中さん、芳村さんと私の詩吟の歴史で忘れることのない方々の話をしたというのも不思議な気がします。

 私は東先生の「残響」 声無き声を聞きながら、襟を正して行かなければと思う。
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死んでる暇も無い !

2005-03-05 20:18:53 | 随想
 昨日、岩見沢に行ってきた。手稲16:07発の岩見沢行き区間快速列車に乗って出かけた。途中幌向を過ぎた頃、車内放送が有り、江別駅で人身事故があり、後続の特急が大幅に遅れるとのこと。事故は事故として、一汽車遅くしたら、予定に間に合わなかったのだと一応安心した。
 帰りは、40分遅れの小樽行きの列車に乗れた。さっぽ近くなって放送が入り、この列車は本日手稲どまりと致します。という。まあ手稲に帰るのだから良かったと思いながら札幌に到着。見ると向かい側に手稲行きの列車が乗客を一杯乗せて止まっている。ひょっとして前が咲きに出るのではと思っていると、やはり放送で2番線の列車がさきに出ますという。それで直ぐおりて乗り換えて帰ってきた。

 手稲に降りて、もお帰っても寝ることしかないと思ったので、それならいの平でお酒を一寸頂いて行こうかと出かけた。階段を登っていくといい声のカラオケが聞こえてる。いの平のお客の声で無いようなので、どの店からかと入っていく。すると、その声はいの平の中からなのだ。ええって思いながらドアを開けると、壮年のカップルが歌っている。見たことの無い人だ。
 
 小野ママに今日の報告をする。すると、高橋さんが これを届けてくれたといって見せられたのは、しっかり編集した私のHP「rokusyos home」だ。水曜日に来た時URLを教えたらすかさず印刷してくれたのだ。そこで、先客のお二人と話すことになる。HPの話、「残響」の話と発展し、忙しいのですねといわれた。その時、とっさに出た言葉「そうなの、忙しくて死んでる暇も無い」、飲んでる暇はあるのだが、死んでる暇も無い? で大笑い。
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久しぶりの「いの平」、 「残響」 作者田中和夫さんに会う

2005-03-03 16:21:56 | 随筆「残響」
 久しぶりの「いの平」、話して、歌って俵氏の帰る十時の10分ほど前、二人の男の方が入ってこられた。後で判りましたが、とても温厚そうな方が、実は小説「残響」の作者、田中和夫氏で、もう一方は、「残響」の胸像設立期成会の事務局長芳村百一さんでした。チエリアで講演会を終えての帰りということでした。

 「残響」、この小説をお読みの方もいられるかと思いますが、北海道開拓の歴史の一ページを飾るはずの村橋久成(薩摩藩出身で、札幌ビールの創立者)が、歴史の底に埋もれていたのを掘り出し、歴史の前面に導きだした小説なのです。この「残響」を読んだ、中村晋也さん(鹿児島大学名誉教授、日本芸術院会員、日本彫刻会理事長)が、田中さんが小説で村橋久成を残したのなら、私は彫刻で残すといって、村橋の胸像を作製し、鹿児島の中村晋也美術館に展示していました。その胸像を札幌に移設しょうという運動が起きているのだそうです。

 詳しいことは、私のHPの方に書いてみたいと思いますが、とにかく驚いた。私は「残響」の書名と北海道開拓にかかわる内容の小説とはわかっていましたが、読んでいませんし、その作者が手稲の人だとは全く思ってもいなかったのです。

 作者の田中さんは旧国鉄の車掌さんで、村橋久成の壮絶な最後を知り、資料を求め歩き、ついにこの小説を物にされたのだそうです。現在は北海道文学館評議員をなさっています。

 たまたま、1か月ぶりで行った「いの平」、こんな出会いが待っていた。やっぱり「いの平」は素晴らしい。
 
 
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アクセスが少し多くなる。嬉しい

2005-03-02 16:55:20 | 身辺雑記
 最近まで多くて20人位のアクセスだったのだが、ある日90人くらいに上がりその後50人とか60人とかのアクセスがあったりしている。
 今日、2週間ぶりのダンスに行った。するとこの日曜日定山渓で会って驚いた中の一人、中里さんが、昨日「いの平」で先生の書いたHP読みました、という。え?といって聞くと、昨日「いの平」に寄っていたら高橋さんと 荒さんの二人がコピーを持ってきて見せてくれたという。いの平の仲間が3人くらいいつも見てくれているらしい。そして、いの平関連の記事があるとすかさずコピーして届けてくれているらしい。時々話題になつているのだろう。話のネタになってくれれば本望というところもある。
 弟たちが先日来てアドレスをもつて帰ったから名古屋でもみてくれることになるのだろう。そのとき、私のHPの書き方の間違いが指摘された。HPの掲示板に書き込みをしていたのだが、それは日記の法に書くべきだという。どうもHPへのアクセスは全くないのだが、書き方の間違いに原因があるのかなと疑問を持ったりするが、どだい、私のHPを知らない人が見るはずもないわけだし、人には興味のもてない個人的な、いわば自分史の断片のようなものなのだから仕方が無いだろう。
 今日はこれから「いの平」さんに久しぶり、飲みにいってきます。誰かいてくれると嬉しいのだが。俵氏は電話が繋がらない。それにしても佐藤安弘さんが病気で来れなくなったのは本当に可哀想だし寂しい。治って欲しいものです。
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弥生三月? もう三月ですよ。

2005-03-01 19:57:00 | 詩吟関係
 今日も一日吹雪。雪はほとんど減らない。家の前の雪山の高さ、こんなこと有っただろうか。今年は少し変です。弥生三月、言葉はいい。うららかな春を感じさせる素晴らしい言葉なのだが、ここ札幌では、まだ真冬。如月去らず。
 今朝、青空が出ていたので、3月に入ってようやく春を感じれる日差しになるかと楽しみにしたが、たちまち吹雪に変身。気温も-4度くらいの真冬日。午後は老人福祉センターの詩吟の教室。吹雪だからきっと来る方も少ないのだろうと思いながら出かける。それでも21名が出席してくれました。中でも以前一度いらっしゃつたとても素晴らしい声の方が来てくれていた。また、新しい?方が来ていた。玄関で一緒になったとき挨拶をしてくれていたので、ひょつとすると前にも着た事のある方かも知れない。とてもいい吟をしている。最近までどこかの教室にむ入っていた方かもしれない。続けてきてくれれば嬉しいのだが。
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