明日手稲文化協会主催の「チャリティカラオケフエスティバル」が手稲区民センターで開催される。
手稲文化協会の事務局長を13年程やってきた。昭和24年11月に産声を上げた手稲文化協会と関わるようになり、20年以上になる。今年度で役職から降板させていただくことにしたが、思い出は尽きない。
平成11年に60周年記念を開催した時は会計係りだったが、記念誌の編集を担当しその翌年から事務局長を担当してきた。その当時は文化協会の行事は「手稲文化祭」を開催することだけだった。それも西区手稲になってからは、活動の場がコミュニティセンターになり、文化祭もコミセン運営委員会と共催で、区民の認識は文化協会の文化祭でなくコミセンの文化祭になっていた。そして手稲区が独立し、区民センターが出来てからは、文化祭を見に来てくれる観客はひどく少なくなり、崩壊寸前になっていた。是を立て直すには、文化祭を区民センターで文化協会独自の活動として開催するしかないと考え其の取り組みを開始した。
最初に取り組んだのが「チャリティ伝統芸能祭」を区民センターの使用料減免で開催することだった。当時の区長にお願いし、文化協会を理解頂き使用料減免で開催することが出来た。是を口火として伝統芸能祭は継続で区民センターでの開催を認めていただき、さらに「文化祭」の文化協会単独開催、区民センターの使用料減免をやっていただくように運びました。
文化祭の区民センターでの実施に当たっては、コミュニティセンター運営委員会からの反対、手稲区民センターも、区民センター祭の参加団体が少なくなることから抵抗がありました。一年間独自で区民センターで開催した次の年から、区民センターなどの指定管理者制度の導入の問題が出てきて、使用料減免措置がなくなることになった。そこで区の助成を要求する運動を始め、かなり激しいやり取りを続けた。結果として其の年は札幌市としても混乱があり、減免で開催することが出来た。しかし、翌年は文化協会が会場使用料を負担せよということになった。それでも何らかの区からの助成を引き出したくかなり努力をしたけれど、ほんの少しの助成を受けることしか出来なかった。
次の年、文化協会としては独自に開催できる目途がついていたのですが、手稲区地域振興課と、区民センターの運営委員会から強い要請があり、共催での「手稲文化祭」にすることになりました。手稲区の文化活動推進母体になったほしい区としても後援するということでした。第何回という回数がつけられなくなったのですが中身の問題ですから底は折れることにしました。
最近、区民センター側から出演料を出してほしいという要望が出始めているらしい。是は全く最初の約束と違うことなのでかなり話し合わなければ成りません。
その間も文化協会の活動として「伝統芸能祭」を継続開催して、チャリティ義援を手稲社会福祉センター愛情銀行に寄贈していました。また、六年前に事業の見直しをして、「伝統芸能祭」を解散し、新たに「舞踊の集い」「年忘れ演芸大会」「カラオケフエスティバル」の三行事を立ち上げました。どれも現在まで継続されています。なお東日本大震災以来現在まで義援金は東日本大震災に継続寄贈してきました。
その「カラオケフエスティバル」の第5回目が明日開催されるのです。昨年は素晴らしい会になりました。今年も多分同じ賑わいを見せると思います。
私も役員の一人として会を見届けます。