朝起きるや否や家内が耳鼻咽喉科に連れて行ってという。下手稲通りにある病院です。とても混みます、朝も6時ころから診療をしているはずです。
風邪を引いたらしいのです。先日曙のクリニックで見てもらったが効き目がなかったから、こちらに行くという話。ここの院長先生の見立てが気に入っているのです。ところが今日の午前中は別な先生でがっかりしているみたい。
家内が帰宅してからカットに行ってきました。そのあと花畑の草取りを少しやってお昼。昼から頼まれている構成吟の仕事を始めました。25分ということなのですが、長くなりそう。まあ、作ってあとから削ればいいのでしょう。
明日は五十嵐先生の吟歴55周年記念大会が全日空ホテルで開催される。私も招待を受けているので参加します。何か雨模様の天気予報なのですが、小雨であってほしい。自分の大会のような重さを感じている。この後、6月17日に私の会の交歓吟詠会を予定しているので、その関係もあって明日の大会が終わるのを待ちかねているせいもあるのでしょう。この後 構成吟の続きをやります。
連休をはさみましたので、しばらくぶりという感じの教室でした。Aさんが欠席でせっかく持参した免許状伝達できませんでした。
遅れて市橋さんが来てくれて、懸案の稽古もできました。
6月の審査を受けるのは2名ですが、もう少し頑張ってほしいところです。12月の審査で吟宗を取得した住山さん、名誉師範を申請することになりました。小田桐さんは12月の本部審査で副師範を受審する決意をしました。12月には石田さんも吟宗を取得しますから、高段者がづらっと並ぶことになります。何か却って寂しくなる感じです。
後半は交歓吟詠会と競吟大会の吟題の稽古をしました。今度の競吟大会全員が出吟予定です。入賞は別として、参加する意欲を買ってあげたい。その点手稲は寂しい。二人だけの参加です。 競吟ですから冷やかし程度に出るわけにもいきません。仕方がないのでしょう。
江戸時代を見てみると、各藩ごとに藩校を作り特に武士の子弟教育が広く行われていた。江戸幕府直轄の学問所,昌平坂学問所=昌平黌の教学の理念が各藩の教育理念になっていた。そんな中でも、私塾がどんどん増え、藩学に飽き足らない多くの若者は、優れた指導者を求めて学問にはげんでいた。
広瀬淡窓の桂林荘雑詠などを読むと、大分県まで全国から教えを受けたくて集まっていたことがうかがわれる。藩学ももともとは藩士の子弟の教育が目的だったが、次第に一般庶民も受け入れるようになっていったようだ。
江戸幕府の鎖国政策で、海外の様子が分からなかったとはいうものの、欧米諸国の植民地活動をかなり良く理解している向きも多く、攘夷の備えに当たっていた藩も多かった。特に御三家筆頭水戸藩は積極的に諸藩にも攘夷の備えをさせる運動をしていたようだ。幕府が率先して攘夷の運動に取り組まなければならない中で、将軍継嗣問題と絡み、尊王攘夷の運動へと発展していった。特に安政の大獄は桜田門外の変へとつながり、尊王攘夷に討幕が重なることになった。
あの黒船問題の中で、日本が植民地の対象とならず貿易の対象国として遇されることになったのは、いろいろな理由があると思うけれど、日本人の学問の高さが、例えば中国でのアヘン戦争のような侵攻も日本では通用しないとみていたからではないだろうか。
そんな日本が維新で開国し、諸外国との交流が始まるとすごい勢いで西洋文化を取り入れ、亦教育制度もどんどんと新しいものへと変わっていった。
終戦後新学制が施行されるまでの学制は角帽を頂点として、中学、高等学校は憧れの対象だった。単に学力の問題だけでなく経済的にも厳しい時代だったから、高嶺の花のように思えた人も多かったと思うけれど、中学生の帽子の白線だとか、高等学校の生徒の長鍔帽子にあこがれたものだった。今、高等学校も大学も昔のようなあこがれの対象ではなくなっているように感じる。学問にあこがれてではなく将来の就職のための手段として大学を選ぶ時代になっているように思う。高等学校での勉強の楽しみ、大学での勉強での楽しみ、そんなものが何か薄れてきているように思える。
今日は全員参加だったのだけれど、Sさんが喉の具合が悪くて声を出せないという。当分詩吟もだめみたい。困ったことになりそうです。
稽古は初めに「府西の池」をやりました。全員に素読をさせ、範吟をして、一緒に一度合吟をしてそれから 独吟をやらせます。 独吟の最初はコンタクターの伴奏をつけ、二回目は前奏だけで吟じてもらうというやり方です。
二題目は「夏日偶成」をやり休憩して、そのあと「江南の春」をやりました。
6月の交歓吟詠、Sさんが駄目、Mさんは女性三人の合吟の形で出てもらおうと考えたのですが、無理だということになりました。結局今年は三人の参加ということになりました。
今日で交歓吟詠会の参加締め切りましたが例年より少なくなりました。終了時間の関係では有りがたい結果となりそうです。
今日は20名くらい来てくれるのではないかと昨日のブログに書きました。結果、19名でした。まずまずでしょう。
先月来られた新人の女性、今日はちゃんと来てい呉れました。そして、吟も一人でちゃんとできるようになってきていました。また、新しい女性が一人来ていました。何とT先生の教室をやめた方で、Sさんと友達の方でした。はじめ遠慮していました。T先生のところにいたことを気にしていたのでしょう。
でもちゃんと私に挨拶をして事情を話してくれました。そしてこれから続けてくると約束してくれました。また、後半に入るときお一人入ってきました。 独吟の順番の時パスしましたので、最後に勧めてみましたらマイクを取りました。よくわかりませんので4本で音を取ったら高い声で出ます。すぐ6本に切り替えたら、それでやりとおしました。経験者か、今どこかの吟会に入っている現役かもしれません。とても上手でした。先月来てくれた男性は来ませんでした。
今日は前半「芳野懐古」をやりました。先月一度やって説明をしてありましたが、今日は素読の後こんな質問をしながら説明をしました。最初の「古陵」について、これは「みささぎ」です。どなたの「みささぎ」でしたかと質問。これはすぐに「後醍醐天皇」という言葉がみんなから返ってきました。また続けて、作者が行ったのはいつ頃ですかと聞いてみた。2月とか3月とか言っている人がいた、そこで月で決めないで「落花深き処」と書かれていることを指摘したら、花見の終わったころという答えになった。そのあと此の寺が如意輪寺で、ここには楠正行の「帰らじとかねて思へば・・・」の歌と矢じりで扉に名前を書いた事、その扉が現存していることを話してあげました。又「春寂寥」が、単に花の散った後の寂しさだけでなく、後醍醐天皇の陵に参る人も少なくなっていることへの思いが込められていることを話してあげた。
後半は「春夜 蘇軾」をやりました。此の詩では転句、結句が一寸むつかしいので説明をしてあげました。
予定通りの時間で終われました。やはりこの人数だとやりがいがあります。又時間も丁度良く進めることができます。交歓吟詠に出れる方は出てほしいとお願いしています。見学、懇親会参加だけの方も何人か出てきています。
随分長いこと休んだように感じた。今日は男女3名づつ6名の稽古でした。低段者の方、よく稽古をしてきているように思いました。
前半の通常稽古、一時間半かかりました。休みを入れて、交歓吟詠の吟題と 競吟大会に出る人はその稽古もやりました。やはり一度でOKとはいなくてやり直しをしたりしなければならなかったりして、結局20分ほど時間をオーバーして終わりました。
明日は福祉センター、天気が良いはづだから多分20人近く参加してくれると思う。みんな元気で出てきてほしい。先月の最後頃男女二人の新人が来ていたのですが、つづけてきてくれるとうれしいのだが、長い休みでもう関心を失っていたりするかもしれない。
嘗て私が手稲文化協会の事務局長をしている時、文化協会の事業が年一度の文化祭の開催だけであることに疑問を感じ、丁度有珠山の噴火災害の起きた年、そのチャリティ行事として「伝統芸能祭」を開催することを提案し、開催に当たって手稲区の後援をいただき、区民センターの使用料減免を承認いただいた。その文化協会加盟団体の中伝統芸能にかかわる団体として、謡曲、筝曲各一団体、詩吟、詩舞4団体、日舞10団体、民謡10団体が参加した。出演人数も170数名で大変な盛り上がりを見せ、益金13万余円をチャリティとして寄贈した記憶がある。
現在謡曲の団体は無くなり、民謡も半減して5団体になっている。又日舞も団体数は7団体あるのだけれど、会員数は激減していて存続が危ぶまれる会も多い。詩吟は5団体になっているが人数はやはり大きく減少している。此の年が平成12年でしたから17年目になるわけですが、増えているのはカラオケの団体だけです。
老人の数は大きく増えているけれど、老後の趣味として伝統芸能を選ぶ人は極めて少ないのが現状だ。伝統芸能の存在はわかっていても、習うことが結構むつかしく、それなりの出費も必要ですから、安易なカラオケとかパークゴルフなどに向かい、伝統芸能は敬遠されている。
それでもまだ詩吟は何とか楽しめるだけの人数は確保できていますが、今後についてはとても不安です。保存芸能になってしまうまでにはまだ間がありましょうが新会員ができないまま、会員がいなくなり、廃部となる会も多くなって行くと思います。寂しいことだけれどこれが現実なのですね。
玄関入口の塀につけてある花スボットに例年今の時期ぺチニアを植えます。今日10時に買いに行こうと外に出たら雨がポツポツ降り出しました。天気予報は9時ころから午前中雨になっていた。それで午後に行くことにしてテレビを見ていたら、11時ころになって日が差してきました。雨も濡れるほどの降り方でなかったのです。それで午後と思ったのを変更してホーマックに出かけ、ペチニア6鉢と玄関前の車庫側に植えるもの3鉢を購入してきました。
購入してきてすぐ、場所の手入れをして植えつけました。30分くらいで終わったのですが、今の私には結構な仕事になりました。
午後は、テレビ、サッカー、コンサドーレの試合と野球、日ハム戦をかわるがわる見ていました。コンサ勝利、日ハムも勝利楽しく観戦できました。
大連休も明日で終わります。私も詩吟の教室を週4日教えているのですが、それが休みになりましたから結構な休みになりました。月曜日からまた忙しくなります。でもその方が張りがあって楽しい。