今15の春というのは高等学校入学の春ということだが、私の15は、永山農業学校入学と、終戦を経験する年だった。
あれから74年、89歳を生きている。
今の高校1年生で終戦を迎え、戦後のどさくさの中で、どさくさ紛れに生きてきたようなものだ。戦時中、日本は一人残らず死ぬまで戦うのだと信じていた。日本が降参するなどということは全く考えられなかった。それが無条件降伏したのです。何かぽっかり真空地帯に投げ出されたようで、感慨がわかなかった。そして日増しに募る食糧不足と物資の不足でみじめ生活へと押しやられたが、皆か同じありさまなのだから不平もなかった。
そんな中、労働運動が激しくなり、特に共産主義者の活動が目立った。そしてその方たちの話がとても新鮮で、新しい展望を開いてくれるような感じで、一寸畏敬の念を持たされるような感じがあった。
そんな中、レットパージがあり、共産党関係者が公職追放となっていった。
これは大きな転機になった。パージは解除になって行きますが、共産党はパージ以前の勢力を回復できないまま今日に至っている。
今日の政治体制が完成されたものかどうかはわからないけれど、紆余曲折を経ながら安定してきている。
しかし、アメリカという大きな傘の下での安定で、アメリカが傘をしぼめたらどうなるのでしょう。戦争は二度と起こしてはならないし、日本から戦争を仕掛けることはあり得ない。でも、外から侵略されることを防ぐには、相応の力を備えなければならない。
憲法改正の話になってしまうけれど、領海侵犯を放置することはできない。それを防備する体制は、周辺諸国の軍事力強化をしっかり受け止めて対応する必要があると思う。
あれから74年、89歳を生きている。
今の高校1年生で終戦を迎え、戦後のどさくさの中で、どさくさ紛れに生きてきたようなものだ。戦時中、日本は一人残らず死ぬまで戦うのだと信じていた。日本が降参するなどということは全く考えられなかった。それが無条件降伏したのです。何かぽっかり真空地帯に投げ出されたようで、感慨がわかなかった。そして日増しに募る食糧不足と物資の不足でみじめ生活へと押しやられたが、皆か同じありさまなのだから不平もなかった。
そんな中、労働運動が激しくなり、特に共産主義者の活動が目立った。そしてその方たちの話がとても新鮮で、新しい展望を開いてくれるような感じで、一寸畏敬の念を持たされるような感じがあった。
そんな中、レットパージがあり、共産党関係者が公職追放となっていった。
これは大きな転機になった。パージは解除になって行きますが、共産党はパージ以前の勢力を回復できないまま今日に至っている。
今日の政治体制が完成されたものかどうかはわからないけれど、紆余曲折を経ながら安定してきている。
しかし、アメリカという大きな傘の下での安定で、アメリカが傘をしぼめたらどうなるのでしょう。戦争は二度と起こしてはならないし、日本から戦争を仕掛けることはあり得ない。でも、外から侵略されることを防ぐには、相応の力を備えなければならない。
憲法改正の話になってしまうけれど、領海侵犯を放置することはできない。それを防備する体制は、周辺諸国の軍事力強化をしっかり受け止めて対応する必要があると思う。