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手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

15歳から74年・・

2019-08-17 19:39:43 | 身辺雑記
 今15の春というのは高等学校入学の春ということだが、私の15は、永山農業学校入学と、終戦を経験する年だった。

 あれから74年、89歳を生きている。

 今の高校1年生で終戦を迎え、戦後のどさくさの中で、どさくさ紛れに生きてきたようなものだ。戦時中、日本は一人残らず死ぬまで戦うのだと信じていた。日本が降参するなどということは全く考えられなかった。それが無条件降伏したのです。何かぽっかり真空地帯に投げ出されたようで、感慨がわかなかった。そして日増しに募る食糧不足と物資の不足でみじめ生活へと押しやられたが、皆か同じありさまなのだから不平もなかった。

 そんな中、労働運動が激しくなり、特に共産主義者の活動が目立った。そしてその方たちの話がとても新鮮で、新しい展望を開いてくれるような感じで、一寸畏敬の念を持たされるような感じがあった。

 そんな中、レットパージがあり、共産党関係者が公職追放となっていった。

 これは大きな転機になった。パージは解除になって行きますが、共産党はパージ以前の勢力を回復できないまま今日に至っている。

 今日の政治体制が完成されたものかどうかはわからないけれど、紆余曲折を経ながら安定してきている。

 しかし、アメリカという大きな傘の下での安定で、アメリカが傘をしぼめたらどうなるのでしょう。戦争は二度と起こしてはならないし、日本から戦争を仕掛けることはあり得ない。でも、外から侵略されることを防ぐには、相応の力を備えなければならない。

 憲法改正の話になってしまうけれど、領海侵犯を放置することはできない。それを防備する体制は、周辺諸国の軍事力強化をしっかり受け止めて対応する必要があると思う。
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高歌一曲明鏡を掩う

2019-08-16 19:36:39 | 身辺雑記
 「高歌一曲明鏡を掩う」許渾の詩 秋思の転句です。

 身につまされるものがあります。私もカラオケが好きでしばしば出かけています。そして、若いつもりで、歌っていますが、もう数え歳、90です。鏡で正面から見るとまだ髪がそろっているように見えるのですが、写真で後ろから写されたのを見ると、愕然として、目を閉じたくなります。短いではなくもう髪はない。禿げ頭が光輝いているのです。

 「昨日は少年今は白頭」という結句がそこにあるのです。こんな頭で、恋歌などを歌っているのを、皆様どんな気持ちでご覧になっているのでしょう。

 若さを保つには、気持ちが若くなけりゃ・・。というより90歳に似合いの歌などないのです。せめて声だけでも若い人に負けないように頑張っています。
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私卒寿 家内米寿  下の娘夫婦と孫が祝ってくれた

2019-08-12 18:07:25 | 身辺雑記
 今日、儀姉のお墓参りに行き、帰りにホテル大蔵で中華懐石で標題の祝いをしていただいた。

 中華と聞いていました、昔の中華料理を連想していたけれど、全く違いました。とても素敵な料理が次々に運ばれてきて、おしゃべりを楽しみながら2時間、全く残すことなく全部平げました。折角の料理でしたから、最近酒は遠慮していたのですが、今日はワインを一杯頂きました。席の始まる前に祝いのチャンチャンコを着用しての写真を撮ってもらいました。さすがに歳ですね。ここにアッブできないのが残念です。

 明日は同じ仲間で旭川のお墓参り行きます。6時半出発といいますので朝ゆっくりていられません。天気は多分大丈夫なのでしょう。
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趣味 いろいろ

2019-08-07 19:58:29 | 身辺雑記
 人間一生にいくつかの趣味を必ず楽しむものだと思う。

 仕事が趣味という人もいるけれど、ここは遊びのようなものをと考えている。

 いろいろな遊びがあるけれど、ただやったことがあるものを振り返った見よう。

 スホーツでは一番長くやったのがスキーでした。これは退職後も5年くらい続けていました。野球は職場野球で楽しみました。しかし30台までで終わりました。テニスはラケットを買っただけで、美唄東高校に勤務のころ、中庭かコートになっていて遊びやすかったのでしばらくやっていた。これも札幌に来て終わりました。そして、退職後数年たってパークゴルフが始まって、これにはまりました。でも85歳でこれも終わりました。肺気腫が進行して姉くことか苦痛になったからです。

 スポーツ以外では、将棋は小学生の時に覚えたけれど、夢中になりなかった。囲碁は就職後いい相手がいて、かなりはまりました。札幌に来てからは六段の同僚がいて、三目で打たせてもらうこともあり、二段の実力があるとか言われ。初段に推薦するといわれたが遠慮して、退職後は全く無縁になった。麻雀は大学生の時覚え、これは夢中になった。現役の時は仲間がいましたから、かなり遊んだのですがね退職後は全く無縁になりました。ボウリングは数えるほどしかやったことがありません。バレーボールも全くできません。卓球はほとへほどラリーができるくらいです。バスケットボール、沼田高校の時体育館で暇なときシュートの稽古などをして遊んでいて、少し興味を持っていました。美唄東高校に転勤になって一年目クラブ活動の様子を見ていて、女子のバスケットなら私が顧問になれば、全道に連れてゆけるような気がしました。全くなっていないのです。それで2年目に希望して女子のバスケットの顧問を引きうけ、指導に当たりました。教えたことは、フリースローの狙い方、と各自のミドルシュートの定位置をつくせ、その位置どフリーになったらすぐ狙えということ、ランニングシュートは100%いれれといった事後は放課後体育館が使えない時はランニングをさせる、走り負けない体力つくりをしただけでした。それでも、効果が適面に出て南空知大会で優勝し全道大会に連れてゆけたのです。ただ全道大会に行く段になって、素人の悲しみを味わいました。生徒が出身中学のコートを借りて稽古をしたいというので、それを許した結果、中学のバスケットの顧問の先生にコーチをお願いしなければならなくなり、私は単なる顧問になる羽目になったのでした。これは苦い思い出です。

 結局、美唄で始めた詩吟が、趣味として私の詩先生を深めてくれました。
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福祉センター詩吟

2019-08-06 18:19:38 | 詩吟関係
 今日は19名の参加てした。

 先月「垓下の歌」と「烏江亭に題す」をやっていて、今日は「烏江亭に題す」と「一歩の詩」をやる予定でした。それで、最初に復習しましょうといって、始皇帝について簡単な確認をした。秦を壊滅し覇者になったはずの項羽が垓下で四面楚歌となり,烏江で自刃してゆくことになったいきさつ、そして劉邦によって漢の時代が築かれたこと、漢の都が長安であったことを確認した。更に漢が衰微して三国時代へと変遷し,魏の曹操は都を洛陽に定めたこと、そして洛陽の位置の確認をして、後半で扱う「七歩の詩」が曹操の子供たちの話であることを取りまとめて話してから吟の稽古に入った。話少し長すぎたきらいがあった。

 特に、秦の都が咸陽、漢の都が長安、魏の都が洛陽、黄河流域であることを大雑把に理解して置いてほしかったのです。

 うれしいことに、足を骨折して休んでいた三浦さんが今日から復帰したことです。 民謡の大御所田中先生が来初めて三カ月ほどになる。さすがに声は素晴らしい、でもまだ詩吟の節調が理解できないでいる。
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今日の教室で・・

2019-08-05 19:35:50 | 詩吟関係
 暑い真夏日が続く。外にも出ないでクーラーの利いた部屋でごろごろしていたら日にちの立つのがとても長く感じられて、今日の教室も久しぶりのような気がした。

 最初のHIさんの指導にはいる時、先週、詩吟の呼吸法ということで、腹胸式ということを話したのだがそれを覚えているか確認してみた。すぐ反応してくれた方もいたけれど、思いだせないでいる人も多そうだった。次のフレーズに入る直前に口をしっかり開き、お腹に力を入れ胸のあたりから声を押しだすようにして声を出すことを確認して置いた。

 続けて、みんなに、今詩吟を覚えようと思ってきているのだと思う。そのとおりなのだが、實はそれだけでなく多くのことを学んでいるのです。今腹胸式呼吸ということを覚えた、一つ勉強したのですよね。とつ新しいことを覚えた・・・学んだのですよね。少し自分が大きくなったということで、人間は一生何かを学びたいという気持ちを持っているのです。それがなくなったら人間終わりなのですよね。と要するに生涯学習について触れてあげてみました。

 その上で、HIさんの最初の稽古「金州城下の作 乃木希典」に入るとき、、乃木希典について知っている事はと聞いたら、判っていなかった。それで、日露戦争について話してあげました。ここはまさに学習の領域ですが、教科書的な話ではなく、日本が欧米の植民地とならなかった理由などについてもなしてあげました。

 HIさん発声法が分かりかけてきている。もう少し柔軟性が出てくるといいのだが・・。MAさん、転句の引きがうまくゆかない。耳が悪いので注意が良く理解できないのでしょうか。そのあたりを克服できると、いい吟になると思います。KAさん、良くなってきた。かなり張りのある吟になった来た。KAさん出来上がっている。これからは、もう少し伸びのある吟にするためには、正に腹胸式呼吸法を使いこなせるようにすることが大切だ。TUさん、やはりマンション住まいで稽古がままならなく、吟声にならない。

 今日も、「雨にも負けず」をテープを聞きながら二回ほど稽古をしましたが、覚えるまで少しかかりそうです。何よりテープの音質がうまく調整で来ていないのが問題みたいです。
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おしゃべり

2019-08-04 18:53:06 | 無題
 おしゃべりが下手だ。話が下手だと自分を責めたりする。

 オ社ヘリが嫌いなのではない。その場に応じた当意即妙な話を立ち上げたり、話にうまく乗って行くとかが下手なのです。

 下手というのも当たっていないかもしれない。人付き合いの幅が狭く、経験がなく知らないことが多すぎるだけなのかもしれない。

 現役が教員ということで、付き合う幅が狭く、日常茶飯の無駄話のようなものには縁がなかった。

 酒の席では結構楽しめたのだけれど、85歳を過ぎたころから、持病の肺気腫が進行したこともあり、酒も飲めなくなった。従って酒の席でのおしゃべりも、限定され何かつまらない思いがする。

 いろいろな趣味にも手を出したけれど、クラブに所属してまともにやったのが今の詩吟だけだ。詩吟は教える立場になり多くのお弟子さんを教えてきているからここでは話はできる。しかし、スキーは一級を取ったけれど、スキの選手活動をしたことがないからあまり話題がない。囲碁も実力2段といわれたこともあったけれけど、初段の資格ももらわなかったし、詩吟に熱中して囲碁は置き去りにしてきてしまった。クラブ活動などでつながった友達関係は強い。そんなものがないのです。

 札幌に転勤してきて今の手稲に住むことになってから、同僚にいい仲間ができ、手稲の街を飲み歩き、逮年退職後は居酒屋「いの平」を根城に多くの仲間と楽しんだのはオシャベリ生活のハイライトだったかもしれない。
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盆踊り

2019-08-03 20:01:06 | 身辺雑記
 盆踊りの時期になった。小学生から大学を卒業するくらいまでは盆踊りにはまっていた。育ったところが田舎でしたかから中の人が集まって太鼓に乗って「エンヤーコラヤのドッコイジャンジャンコラサ・・」と掛け声をかけて、冷静に考えればとても卑猥な歌なのにそれを老いも若きも一緒になって大声で歌いながら踊ったものでした。それが、高度経済成長期に入り若者が都会へ流出するようになり、更に青少年育成条例などができて、子供を夜遅くまで踊らせることが問題になり子供盆踊りが作られた。子供は20時までには家に帰らなくてはならなくなった。当然親も帰るそんなことで盆踊り自体が成り立たなくなっていった。それでも昭和の時代はまだ町内会の盆踊りがありましたが、今は連合町内会の祭りで踊られるくらいになっている。

 内地では、郡上踊りのように徹夜で何日も踊るものもある。伝統のある踊りで、北海道の盆踊りとは質が違うのでしょうね。

 ブログを書き始めたころですからもう20年も前になりますがそのころたまたまメル友になった名古屋の方が、退職後たまたま郡上に行き、郡上踊りのとりこになり毎年出かけているという話を聞いたことがある。

 民族には民族の踊りが必ずある。どの踊りもとても単純なものが多い。踊ることに意味があり、あのリズムに乗って無心に踊る喜びは人間に共通したのですね。font>
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この暑さ・・・

2019-08-02 20:04:49 | 無題
  この数日の暑さは半端でない。熱中症で搬送されたり、亡くなったりしている方が沢山出ている都を報道している。そして、こまめに水分、塩分の摂取をするようにと注意を喚起してくれている。

 我が家の軒下畑で、トマト・胡瓜が育っている。ところがこの二日くらいキュウリが採れないのです。大きくならないのです。暖かいいい天気なのだからどんどん取れて良いはずなのに・・・と振り返って、水をやってないことに気が付いた。暑くて水を運ぶのがつらいのし、枝葉はしっかり茂っているからだ丈夫だと思ったりしていたけれど、この暑さ、水分補給なしでは實も育てられないのだと気が付いた。先ほどジョーロで散水してあげたけれど足りたかどうかわからない。明日の朝、暑くならないうちに、もう一度散水してやろうと思っている。トマトも実が付いているけれどちょっと元気がない。散水と追肥が必要なのだと思うけれど、散水だけ何とかしたけれど、まだきっと足りないと思う。

 毎日朝からクーラーを入れて過ごしている。クーラーの利いている居間から出るのがつらい。二階に部屋に行くと凄い温室になってる。あと数日の辛抱と思う。こんな日がない夏だと夏が来ないと嘆くのでしょう。後何日かの酷暑、いい夏だと辛抱することにしましょう。

 暑いといえば、日韓関係の暑さも大変だ。あの韓国の反日運動、あれで日本に勝てると思っているのだろうか。かえって日本を硬化させるだけでしよう。日本の政府も本気で対応している。あんな反日運動にやられたなんてことを言わせちゃならない。

 日本製品を買わないとか、日本に輸出しないとか言ってるけれど、どこからでも今は輸入できるし、韓国が買ってくれなくて、日本がつぶれることはあり得ない。そんなことを言ってるうちに、韓国の主要産業が動けなくなりませんか。

 日本政府、所信を貫け!!
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学ぶ・・・・

2019-08-01 19:43:10 | 随想
 90歳にもなってこんなこと書くのも変なのだけれど、勉強すべき時に不勉強で過ごしてきた。要するに不勉強な学生生活を送ったということです。今更後悔しても仕方がない。就職してから苦労したということはるけれど何とか仕事をこなして退職した。

 学生時代勉強をほとんどしなかった。でも、学生だから許されるような遊びをしてきた。真面目な多くの仲間に置いてゆかれる学生生活だったけれど、まじめな方にはできない遊びを楽しむことができた。 まじめに勉強すれば優等生にもなれたはずだという自負はあるけれど、負け惜しみでしかない。

 定年退職後が私の本当の人生になった。人間は死ぬまで学び続ける、それで生涯学習という言葉か使われます。

 何人にも読んでもらえないブログを今日も書いている。これも生涯学習の一端なのだ。

 派手な活動はないけれど、詩吟の活動、文化協会での活動、町内会での活動、その他もろもろの場面で普通以上の活動を、学びながら努力してきた。仕事もした、遊びも楽しんだ。

 もうこれから学ぶことは知れているけれど、学ぶ気持ちだけは持ち続けたい。
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