瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

我執に汚されない行為

2005年12月16日 | 瞑想日記
昨日、日記を書いたときの流れを確認して見る。

夢のことを書こうと思っていたが、何をどう書くかは決めていなかった。ただ、夢の中のT氏の発言に矛盾があると感じて、まずそこに触れてみた。

書いているうちに、夢の中の白鶴=僧のイメージや、飛び立つ白鶴の姿に引かれ、共鳴している自分を感じた。なぜ引かれるのだろうと探ると、「自我に根ざす動機や執着よって汚染されない行為」に共鳴している自分を発見した。それは解釈ではなかった。直感、いや、ただ白鶴=僧と「自我に汚染されない行為」とが、同一の対象であるかのように同じ共鳴の対象になっていた。だから、私の内面において、白鶴=僧が何を意味しているから明らかだった。

自我に根ざさない行為があり、自分がそのような行為の可能性に開かれていることに喜びを感じた。我執に彩られず、我を超えたところでなさる行為。我執を超えた慈悲の波動でなされる行為。たんなる言葉のレベルを超えて、そのような行為の在り様が実感された。心の奥深くのそのような実感が、白鶴のイメージとなって出てきたようだった。
コメント
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