瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

見つめ、向き合うこと

2005年12月23日 | 瞑想日記
◆食事のこと
体重は、秋頃に比べると1キロほど増えて、59~60キロだが、体調はすこぶるよい。最近、朝起きたときの胃のすっきり感も増している。就寝時、寝床の中で「寝ゆる」(ゆる体操のひとつ)をたっぷりするのも効いているかもしれない。

朝食抜きはずっと続けているが、昼は野菜サラダ500グラムほどと生の玄米60グラムほど、他にプルーンやカタクチイワシなど。夕食は、玄米のおかゆとコンブのつくだにがあれば充分おいしいが、もちろん他のおかずも食べる。ただ、夕食が9時ごろになることが多いので、帰宅後にかなり間食することが多く、要注意だ。

朝食抜きと一日断食とで、心身は好調に保たれこそすれ、マイナスの影響は何もなかった。「朝食をしっかり食べないと‥‥」という「常識」が「偏見」にすぎないことを身をもって確認した。

エポケーの方では、久しぶりに甲田光雄氏の本を読んで、レビューを書いている。→『少食が世界を救う』

会議中や、ちょっとした時間に気功による呼吸をすることが多く、気の充実も感じる。

◆『クリシュナムルティの神秘体験』
この本に関しては、感じることが多いのでエポケーの方ではなくこちらで、その日にいちばんぴったり来る言葉を選んで抜書きし、思ったことを書いていきたい。

権力は、誰もが大切にし、崇拝する病いだが、つねに果てしない争い、混乱、悲しみを招く。「混乱、争い、悲しみを伴うこの力の完全な終焉によって、誰もが、一束の記憶と深まりゆく寂しさにすぎないあるがままの自己と直面する。力と成功への欲望は、この寂しさと記憶という残骸からの逃避である。それらを非難することによって回避するのではなく、あるいは、あるがままの恐怖から何らかの方法でそれらを回避するのではなく、人は乗り越えてゆくために、それらを見つめ、向き合わなければならない。」191

「自己」とは、言葉の編み物と言葉によって意味づけられた経験の「一束の記憶」に過ぎない。その「自己」がおのれを権力によって強化しようとするのは、その成立の根源に不安、弱さ、悲しみ、寂しさがあるからだろう。子供の問題に直面して、私自身がその不安に自覚的になった。大切なのは、それを徹底的に見つめ、向き合うこと。「見つめ、向き合うこと」が、まさにヴィパッサナー瞑想そのものだ。
コメント
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