瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

欲求なき行為

2005年12月25日 | 瞑想日記
◆「ありのまま」をめぐって
談話室(掲示板)では、「ありのまま」をめぐるDownさんの問いかけに自分なりに応えると、書き込みしておきながら、なかなか出来なかった。

(「分かりやすく語れるかどうか自信はありませんが、「自己」概念と関係させながら、上の意味での「あるがまま」について、ゆっくり、じっくり語っていくつもりです。」2005/11/11 の書き込みより)

ようやく始める時間的および気持ちの上での余裕が出来た。これまでのみなさんのコメントなども参考にしながら、自分なりのペースでやって行きたい。

昨日、一日断食は中止。朝、昼と食べなかったのだが、夕食を食べたくなった。空腹感はさほどないが、食べたいという欲求がかなり強くなる。今日ははじめから断食するつもりはなく、明日再度挑戦となる。食べてしまうと瞑想の条件が悪くなって、つい瞑想が億劫になる。

◆『クリシュナムルティの神秘体験』
「欲求が存在しない時にのみ愛はあり得る。自己の本質はこの欲求であり、ひとつの執着から別の執着へ、ひとつの寺院から別の寺院へ、ひとつの委託から別の委託へと、絶えず変化してゆく欲求と限りなき探求である。‥‥‥欲求から自由であることが成熟である。」119

これもまた「自我なき行為」の意味であり、イメージである。つまり、白鶴=僧侶の生き方である。「自我なき行為」とは、欲求なき行為である。仕事に、家事に打ち込むとき欲求なき行為がそこに具現するかのように、打ち込みたい。
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七覚支2(In This Very Lifeより)

2005年12月25日 | In This Very Lifeより
1)念覚支(続き)
◆表面的でないこと
マインドフルネスの特徴は表面的でないことである。コルクを流れに投げれば川面に浮いて流れるだけだが、石を投げれば即座に川底に沈むだろう。それと同様、対象の表面を通り過ぎるのではなく、対象に深く沈まなければならない。腹の例でいえば、心は腹のふくらみ、縮みのプロセスに深く沈潜しなければならない。そうすることで、緊張や圧力や動きなどの真の性質を理解できるのだ。

◆対象を視界に保つこと
マインドフルネスの働きは、対象を忘れたり、視界から消したりせずに、つねに視界に保つことである。マインドフルネスがある以上、対象は忘れられずに注意されている。

☆(コメント)
対象への注意は保っていても、対象に深く沈潜することはなかなかできない。腹の動きに注意が保たれていても、その緊張や圧力や動きに深く沈潜してその性質を感じ取るまではいかない。だからこそ、意識的にそこまで深く対象に沈潜していく努力が必要だろう。
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