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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

大都映画のスター

2009-01-27 | 映画
 大都映画撮影所では実に魅力的な俳優達がまさに綺羅星のごとく活躍していた。その多くは他の映画会社や劇団で食い詰めた半端者だったかもしれないし、あるいは河合徳三郎独特の強引さで他社から引き抜かれてきた文字どおりのスターたちであったかもしれない。
 その一端は、前述の本庄慧一郎著「幻のB級!大都映画がゆく」を読んで偲ぶことができる。
 殊に男優陣の魅力は圧倒的だ。ハヤフサヒデトはもちろん、杉狂児、ギョロ目の山吹徳二郎、黒澤明の映画でもおなじみの山本礼三郎、伴淳三郎、阿部九洲男、藤田まことの父君である藤間林太郎、戦後も数多くの映画で活躍した二枚目水島道太郎、松方弘樹、目黒祐樹の父君でテレビシリーズ「素浪人月影兵庫」でも大人気を博した近衛十四郎などなど。
 女優では私の個人的な好みで大河百々代が筆頭だが、実は初代美空ひばりが大都映画にいたということを今回初めて知った。
 さらに特筆すべきは大山デブ子の存在だ。彼女は、ハヤフサヒデト監督・主演の「争闘阿修羅街」にも悪漢に誘拐される令嬢宅の女中役で出演している。当時23歳くらいだったはずだ。
 彼女の名前を私たちの多くは寺山修司の戯曲「大山デブ子の犯罪」で耳にしているかも知れない。演劇実験室天井桟敷の第2回公演として、1967年9月1日から7日まで新宿末広亭で上演。演出・東由多加、美術・横尾忠則、井上洋介、音楽・和田誠、出演・新高恵子、大山デブ子、萩原朔美。
 彼女は寺山修司の舞台に出ていたのだ。その時たしか52歳。まだまだ現役だったのだ。
 大山デブ子が河合=大都映画入りしたのは12歳の時。大岡怪童とのデブデブコンビとギョロ目の山吹徳二郎とのトリオのコメディ路線は老若男女を問わない大人気で抜群の観客動員を誇ったという。
 寺山修司はそんな大山デブ子の映画を故郷の青森県の映画館の舞台裏で垣間見ていたのだろうか。後年の映画「田園に死す」にも登場するサーカス団員の空気女など、彼女へのオマージュを感じさせる。

 それにしても戦前におけるこの豊島区という街は本当に興味深い。
 長崎村地域にはアトリエ村が群れを成して多くの若い美術家・芸術家を輩出し、池袋モンパルナスと呼ばれる文化圏を形成した。目白では赤い鳥を中心とした童話童謡文化が花開き、巣鴨では映画産業が時代の寵児となって大衆の娯楽を提供していた。
 これらが同じ時代、わずか3、4キロ四方の狭い地域に集積していたのである。
 それぞれ分野ごとに語られがちなこれらの歴史であるが、こうした絵描き、彫刻家、詩人、小説家、俳優、学生たちがあちらこちらで交流しなかったわけがないのだ。
 ぜひとも、そうした観点からの文化史に光をあててみたいものだと思う。