江戸東京博物館で開催中の「手塚治虫展―未来へのメッセージ」を観る機会があった。
思えば手塚作品には子どもの頃からお世話になったというか、随分親しんできたものだ。もとよりその全貌を知る由もないのだが、昭和30年代以降、漫画に夢中になった私たちの世代が成長する過程で、その精神形成に大きな影響を与えられたことは確かだろう。
その世界観を賛美するにしろ、否定することによって別の世界を構築するにしろ、手塚漫画に影響を受けたことに違いはない。
展示会場の入り口近くに、誕生間際のアトムの等身大のフィギアが横たわっていて、何ともいえない懐かしさとでも言うしかない不思議な感慨が湧き出してくるのを覚えた。心のふるさとに出会ったとでもいうのか・・・。
手塚治虫は紛れもない天才だと思うが、それを実感させるのが、医学生時代のノートである。
最近、「東大合格生のノートはかならず美しい」という本が話題になっているが、手塚のノートこそはまさに美しい。そのまま印刷して本にできるような筆記、温かみのある几帳面な文字、解剖図の美しさ、ダ・ヴィンチの手稿に匹敵するとでも言いたくなるような素晴らしさである。
少年時代の昆虫標本の筆写といい、世界をまるごと描くことにおいて、ある種パラノイア的な生真面目さが手塚のなかにはあったのではないか。
手塚作品のテーマはずばり何だろうか、と思う。
「生命」を描き続けた作家、というのが私の感想なのだが、彼自身は何と言うだろう。
私が子どもの頃、NHKのテレビ番組に出演した手塚治虫のことが強烈な印象として残っている。
番組は、子どもたちに手塚作品の魅力を伝えるという特集であったと思うが、アニメになった「ジャングル大帝」の紹介のあと、アナウンサーが「この作品のテーマは何でしょう。自然を大切にしようということですか?」と聞いたところ、手塚治虫が即座に、
「いや、そんなくだらないことじゃないですよ」と言ったのだ。
その一言があまりに衝撃的だったので、手塚自身の答えた正解がなんだったのか覚えていないのだが、たしかに「自然を大切に」などという教条的な主題は彼から最も遠いものだったのに違いない。
それにしてもそんなことを子どもたちの前で言ってしまう天才の姿が私にはとてつもなく興味深い。
手塚治虫という天才のもう一つの側面がその圧倒的な作品の量である。
生涯に描いた作品700タイトル、原稿15万枚、アニメ作品70タイトルという数量には言葉を失ってしまう。
仮に20歳からの40年間、毎日均等に原稿を描き続けたとして、1日あたりの原稿枚数は10枚以上となる計算である。
展示された原画の美しさに改めて触れながら、その数量を思い浮かべるとき、休むことを知らない「肉体労働」から生み出されたその仕事量の前に、私たちは沈黙するしかない。
超多忙であった売れっ子漫画家をめぐるエピソードには事欠かないが、作品を量産する毎日のなかで、彼は編集者から逃れては映画の試写会場に出没したり、漫画の普及活動に取り組んだり、後進を育てる一方、若手作家の作品に異様なライバル心を抱きながら、それを凌駕すべく新たな作品を次々と構想したのである。
そんな手塚治虫のことを考えるとき、私は小林秀雄がモオツァルトについて語った次のような言葉を想起する。それはまさに手塚治虫その人に捧げられたもののようである。
「ここで、もう一つ序でに驚いて置くのが有益である。それは、モオツァルトの作品の、殆どすべてのものは、世間の愚劣な偶然な或は不正な要求に応じ、あわただしい心労のうちに成ったものだという事である。制作とは、その場その場の取引であり、予め一定の目的を定め、計画を案じ、一つの作品について熟慮専念するという様な時間は、彼の生涯には絶えて無かったのである。而も、彼は、そういう事について、一片の不平らしい言葉も遺してはいない」
「芸術や思想の世界では、目的や企図は、科学の世界における仮定の様に有益なものでも有効なものでもない。・・・大切なのは目的地ではない。現に歩いているその歩き方である」
「モオツァルトは、目的地など定めない。歩き方が目的地を作り出した。彼はいつも意外な処に連れて行かれたが、それがまさしく目的を貫いたという事であった」
思えば手塚作品には子どもの頃からお世話になったというか、随分親しんできたものだ。もとよりその全貌を知る由もないのだが、昭和30年代以降、漫画に夢中になった私たちの世代が成長する過程で、その精神形成に大きな影響を与えられたことは確かだろう。
その世界観を賛美するにしろ、否定することによって別の世界を構築するにしろ、手塚漫画に影響を受けたことに違いはない。
展示会場の入り口近くに、誕生間際のアトムの等身大のフィギアが横たわっていて、何ともいえない懐かしさとでも言うしかない不思議な感慨が湧き出してくるのを覚えた。心のふるさとに出会ったとでもいうのか・・・。
手塚治虫は紛れもない天才だと思うが、それを実感させるのが、医学生時代のノートである。
最近、「東大合格生のノートはかならず美しい」という本が話題になっているが、手塚のノートこそはまさに美しい。そのまま印刷して本にできるような筆記、温かみのある几帳面な文字、解剖図の美しさ、ダ・ヴィンチの手稿に匹敵するとでも言いたくなるような素晴らしさである。
少年時代の昆虫標本の筆写といい、世界をまるごと描くことにおいて、ある種パラノイア的な生真面目さが手塚のなかにはあったのではないか。
手塚作品のテーマはずばり何だろうか、と思う。
「生命」を描き続けた作家、というのが私の感想なのだが、彼自身は何と言うだろう。
私が子どもの頃、NHKのテレビ番組に出演した手塚治虫のことが強烈な印象として残っている。
番組は、子どもたちに手塚作品の魅力を伝えるという特集であったと思うが、アニメになった「ジャングル大帝」の紹介のあと、アナウンサーが「この作品のテーマは何でしょう。自然を大切にしようということですか?」と聞いたところ、手塚治虫が即座に、
「いや、そんなくだらないことじゃないですよ」と言ったのだ。
その一言があまりに衝撃的だったので、手塚自身の答えた正解がなんだったのか覚えていないのだが、たしかに「自然を大切に」などという教条的な主題は彼から最も遠いものだったのに違いない。
それにしてもそんなことを子どもたちの前で言ってしまう天才の姿が私にはとてつもなく興味深い。
手塚治虫という天才のもう一つの側面がその圧倒的な作品の量である。
生涯に描いた作品700タイトル、原稿15万枚、アニメ作品70タイトルという数量には言葉を失ってしまう。
仮に20歳からの40年間、毎日均等に原稿を描き続けたとして、1日あたりの原稿枚数は10枚以上となる計算である。
展示された原画の美しさに改めて触れながら、その数量を思い浮かべるとき、休むことを知らない「肉体労働」から生み出されたその仕事量の前に、私たちは沈黙するしかない。
超多忙であった売れっ子漫画家をめぐるエピソードには事欠かないが、作品を量産する毎日のなかで、彼は編集者から逃れては映画の試写会場に出没したり、漫画の普及活動に取り組んだり、後進を育てる一方、若手作家の作品に異様なライバル心を抱きながら、それを凌駕すべく新たな作品を次々と構想したのである。
そんな手塚治虫のことを考えるとき、私は小林秀雄がモオツァルトについて語った次のような言葉を想起する。それはまさに手塚治虫その人に捧げられたもののようである。
「ここで、もう一つ序でに驚いて置くのが有益である。それは、モオツァルトの作品の、殆どすべてのものは、世間の愚劣な偶然な或は不正な要求に応じ、あわただしい心労のうちに成ったものだという事である。制作とは、その場その場の取引であり、予め一定の目的を定め、計画を案じ、一つの作品について熟慮専念するという様な時間は、彼の生涯には絶えて無かったのである。而も、彼は、そういう事について、一片の不平らしい言葉も遺してはいない」
「芸術や思想の世界では、目的や企図は、科学の世界における仮定の様に有益なものでも有効なものでもない。・・・大切なのは目的地ではない。現に歩いているその歩き方である」
「モオツァルトは、目的地など定めない。歩き方が目的地を作り出した。彼はいつも意外な処に連れて行かれたが、それがまさしく目的を貫いたという事であった」