seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

増幅される芸術

2009-05-06 | アート
 スーザン・ボイルの鮮烈なデビュー(?)映像については先日書いたばかりである。
 すでに世界中で1億回ものアクセスがあったとのことだが、ネットに書き込まれた意見のなかには「見え透いた演出だ」という批判も見受けられる。
 もちろんショー・ビジネスのテレビ番組なのだから周到に準備されたプロデューサーの演出がそこにあったとしても何ら不思議はない。
 ならばこそ、その演出を楽しめばよいのではないだろうか。なぜ殊更にミエミエの演出などとあげつのる必要があるのだろう。自分はそんなことに騙されるほどバカではないということをその人たちは誇示したいのだろうか。
 
 昔、「スティング」という映画を観たとき、ラストのドンデン返しにダマされてやられたなあと気持ちよく映画館を出たものだが、映画通の友人に「あんなもの、途中から筋が見えてつまらなかった」と言われ、すっかり不愉快になったことがある。
 どうしてみんな素直になれないのかなあと思ったものだ。

 ・・・と、実はこんな話をしたかった訳ではない。
 メディアによって複製され、増幅する芸術のありようというものについてぼんやり考えていたのである。
 今月2日付の日経新聞で坂本龍一が次のようなことを言っている。
 「今はインターネット上で無料で聴けて、ダウンロードできる音楽がたくさんある。音楽はタダという考えが広まる中で、人は音楽を作る情熱を持ち続けられるのかを考えている」

 インターネットの現在の有り様を10年前に誰が予測しえただろう。
 いまやCD発売されたばかりの音楽や公開されたばかりの映画がネット上で有料配信され、その違法コピーが複製されては無限大に増幅する時代なのである。
 その功罪は計り知れないが、芸術の大衆化という面で大きな役割を果たしていることは確かである。

 LPレコードというものが商品化されたのが1947年、その35年後の1982年にCDが発売された。
 とりわけLPの発明以前と以降では音楽や演奏会という表現形式そのものの考え方がコペルニクス的に変動したといえるだろう。
 コンサート会場で特権的に享受される芸術であったクラシック音楽が複製芸術という独自のジャンルとして認知され、商品化されて世界中に広まっていったのである。
 そのことにとりわけ意識的に取り組んだのが指揮者のカラヤンであった。
 カラヤンの評価についても毀誉褒貶さまざまあるが、彼自身は「近い将来、私は地球上の最も遠隔な地域に住む、最も特権的でない人びとに、オペラや音楽や歌を提供できる者と手を組みたく思います。私たちは、壮大なオーディオ&ヴィジュアル機器の揺籃期という、新しい冒険のゼロ・ポイントに立っているのです。・・・(中略)そこに向かって進むことは天命であり、生まれ変わってでもやりとげなければなりません」という強い信念を抱いていた。

 もう一人、コンサートは死んだ、という挑発的な言葉を残して録音室にこもり、オーディオ&ヴィジュアル機器を駆使した作品を生み出そうとしたのがピアニストのグレン・グールドである。
 グールドは、録音のプロセスは非常にすぐれた音楽作りを可能にするという見解を持っており、録音の過程で演奏上のミスを除去したり、編集によってそれぞれのテイクの優れた部分だけをつなぎ合わせたりすることを当然と考えていた。
 このことの是非についてはまた別の機会に考えたいが、彼は、電子テクノロジーの発達がもたらす有効な側面として「聴き手は、家庭で電子機器を駆使して既成の録音を編集して楽しめるようになる」という点を指摘している。
 「そうした『新しい聴き手』は音楽作品の創造に参加することとなり、作曲家・演奏家・聴き手という役割分担も相対化し、音楽作品の帰属性もあいまいになる」というのである。(以上グールドの見解部分は、青山学院大学准教授・宮澤淳一氏のまとめを勝手に引用:「NHK知るを楽しむ」より)

 上記のグールドの考え方は、現在のネット世界の様相をある面で予測したものといえるのではないか。
 坂本龍一はこうした時代における創造行為の困難性を語ったのだろうが、いま、カラヤンやグールドが生きていたらどんな感想をもらしただろうか。

 グールドは、晩年、「ゴールドベルク変奏曲」のデジタル録音に取り組み、その発売の約1ヵ月後の1982年10月4日に50歳の若さでこの世を去った。
 奇しくもそれは、CDプレーヤーとCDソフトが日本で初めて発売された3日後のことである。