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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

エリックを探して

2011-01-02 | 映画
 昨年末に観てしみじみ映画を観ることの幸せを感じたのが、英国の名匠、ケン・ローチ監督の最新作「エリックを探して」だ。(於:Bunkamuraル・シネマ)
 大まかな筋立ては次のとおり。
 マンチェスターの郵便局員エリックは、パニック障害で失敗し、別れた最初の妻リリーを心の底で今も愛しながらも何もできず、2度目の妻が置いていった連れ子の少年2人は手が焼けるばかりか、彼らにも冷たくあしらわれる始末。何をやってもうまくいかない人生を送っている。
 そんなある日、夜中に思わず自室の壁に貼ったあこがれのサッカー選手エリック・カントナのポスターに愚痴をこぼすと、暗がりから声がして、何とカントナ本人が現れたのだ。
 マンチェスター・ユナイテッドの大スターだったこのカントナはその後もたびたびエリックの前に現れ、サッカーにちなんだ格言とともにアドバイス、エリックを奮い立たせていく・・・・・・。

 この映画の見所は何と言っても往年の名選手エリック・カントナ本人がカントナの役で画面に現れ、重要な役どころを演じていることだろう。
 主人公が窮地に陥るたびに現れ、シンプルな言葉で勇気づけ、問題を乗り越えていく姿に観客も感情移入していくに違いない。
 主人公エリックの回想とともにいくつも挿入されるカントナのゴールシーンは見るものを高揚させてやまない。
 「サンダーランド戦、あのシュートは素晴らしかった。バレエみたいだった。一瞬、自分のクソ人生がどこかに消えていた・・・・・・」
 だが、カントナ本人は自分が目立ったシュートにまったく興味を示さない。「すべては美しいパスから始まるのだ」
 その言葉どおり、主人公エリックは郵便局の仲間たちの応援を得ながら、問題に立ち向かっていく・・・・・・。

 そもそもこの映画の企画はカントナ自身がケン・ローチ監督に持ち込んだそうで、彼は製作総指揮にも名を連ねている。
 サッカー好きで知られるローチ監督がその申し出を受け、うまく乗ったということなのだろうが、新たなアイデアを加え、肉付けしながら、いささか荒唐無稽ではあるけれど、この暗く景気の低迷した時代に希望と勇気を与えてくれる佳品である。
 この映画を通して、英国の抱える社会的問題や労働者階級におけるサッカーゲームの位置づけなど様々なことを知ることができる。

 さて、話は少し変わるが、こうした優れた映画を上映するミニ・シアター系映画館の経営が低迷しているとのことだ。
 観客の嗜好が変わりつつあるということなのか。顕著なのは、若い世代の観客の減少だという。
 そう言えば、私が「エリックを探して」を観た時も回りは圧倒的にシニア層の観客ばかりで、しかも公開直後だというのに、客席には空席が目立っていた。
 これはどうしたことか。若い観客は一体どこに行ってしまったのか。映画館から若者の姿が消え、シニア料金で入場する観客ばかりでは映画産業は成り立たない。結果的に優れた映画を生み出す環境の枯渇につながってしまいかねないわけで、これは文化の危機なのだ。
 これは映画産業にとどまらない現象でもある。例えば自動車産業だが、クルマに乗らない若者が増えているという。環境問題を考え合わせれば、一概に悪いことばかりとも言えないのだが、日本経済を牽引してきた自動車産業にとって憂慮すべき状況だということは言えるだろう。何か大きなパラダイムの転換が起こりつつあるのである。
 それにしても映画を観ず、クルマにも乗らない若者たちを嘆かわしいと思うのは、そのこと自体、私が歳をとったと言うことなのかもしれない。

 帰途、少し回り道をして原宿を通ってみたのだが、そこには息が詰まるほどに溢れかえった若者たちの姿があった。