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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

師弟

2011-08-13 | 読書
 三浦哲郎著「師・井伏鱒二の思い出」(新潮社版)を読んだ。
 これは筑摩書房版「井伏鱒二全集」の月報に16回に亘って掲載されたエッセイをまとめたもので、昨年の12月、著者の没後に刊行された。
 三浦哲郎は学生のときに同人雑誌「非情」に「遺書について」という作品を書き、それを読んだ井伏鱒二が興味をもったことから面識を得た。
 
 「君、今度いいものを書いたね」
 先生との出会いはその言葉から始まった。
 ・・・・・・と本の帯にあるように、井伏はのっけからまだ若い三浦哲郎の作品について熱く語ったようだ。
 「近頃、僕はどういうものか書くものに身が入らなくてね、困ってたんだが、君のあれを読んだら、また書けそうな気がしてきたよ。死ぬことがこわいんじゃなくて、死の呆気なさがこわいんだと君は書いてるね。僕は、あの一行に羨望を感じたな。」

 二人の師弟関係はこうして始まったのである。
 本書には、著者が芥川賞を受賞した昭和36年から平成2年に至る折々の二人の写真が何枚か掲載されていて、その交流の軌跡を偲ばせる。
 その師弟としての在りようについては、解説の荒川洋治の文章が素晴らしく、全部を引用したくなるくらいだが、それにしてもその関係は羨ましい。
 私自身は、ひねくれた性格のせいか、父親のない環境で育ったせいか、年長の男性に一定の距離を置いてしか接することができず、指導者といわれる人に対してもまずは斜に構えて反発してしまうという困った青春期を過ごしてきたから、こうした師弟関係を心の奥底では求めながらもあえて否定してきたような気がする。
 それゆえにこそ、本書に描かれたふたりの関係にはそれこそ「羨望」を覚えてしまうのだ。これらの文章を読むことで、叶わなかった師弟関係というものの疑似体験をしているようにも思うのだけれど。

 さて、井伏鱒二といえば、太宰治との師弟関係がよく知られている。
 ここでは、太宰について師・井伏鱒二が語ったくだりを引用しておきたい。

 ――「太宰はよかったなあ。」と先生は、暗くなった庭へ目をしばたたきながらいわれる。
 「ちょうど今時刻、縁側から今晩はぁとやってくるんだ。竹を割ったような気持ちいい性格でね。・・・・・・生きてりゃよかったのに・・・・・・。」
 太宰さんの思い出を語られる先生のお言葉一つ一つに、深い愛情が感じられて心を打たれた。――

 ――先生の座談はまことに面白かったが、私はただうっとりと聞き惚れていたばかりもいられなかった。その座談のところどころに、たとえば、
 「毎日、すこしずつでも書いてるといいね。太宰なんか、元日にも書いてたな。」
 というような、貴重な呟きがさりげなく織り込まれていて、私は一語も聞き洩らすまいと耳をそばだてていなければならなかった。――

 誰かが誰かに何かを伝えていく、そのやさしい心遣いやまなざしに満ちた素晴らしい瞬間を感じさせてくれる一冊。


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