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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

換算とご破算

2014-03-06 | 文化政策
 経済学では、単に金銭価値の金銭価値の計算だけでなく、犠牲にされた全ての価値に基づく機会費用の真の額を計算しようとする。
 交通事故で亡くなった人が、仮に生きていたとしたら得られたもの……、所得だけでなく、人生の様々な楽しみや充実した生活……、そうしたことが各種アンケート等に基づいて収集されたデータを統計学的に処理したうえで、人命の損失やケガによる損失の価値が計算される。
 内閣府による計算(2004年時点)では、交通事故による死亡事故ではその損失額は一人当たり2億2600万円、重傷事故では平均8400万円と算定されるとのこと。
 これらの数字を参考にして、現在の道路整備や改良については、精神的なものも含めた人命の価値も含めて費用対分析が行われているのだという。

 さて、経済と言えば、わが国の昨年の貿易赤字は初めて10兆円の大台を突破し、11兆4745億円と前年に比べ約4兆5千億円も増加したと報道された。
 赤字拡大の要因は主に2つだと指摘されている。
 一つが昨今の円安効果を生かし切れず、輸出が伸び悩んだことであり、もう一つが、原発の相次ぐ稼働停止に伴い、火力発電向け燃料の輸入が増えたことである。円安で輸入金額もかさ上げされ、この燃料輸入増によって貿易収支は約2兆6千億円悪化したという。
 このことが原発再稼働を推進しようとする人たちの主張の論拠となっている。原発を止めたままでは日本の経済は益々悪化し、人々の暮らしも悪くなってしまいますよ、というわけだ。

 だが、このレトリックは説得力がありそうに見えて、実は論点が巧妙にずらされているように思える。ことの善し悪しではなく、そもそも比較のできない数字を持ち出して我が田に水を引くような話になっているのではないか。
 貿易赤字の要因の一つとして、原発停止によって賄う必要の生じた燃料費の増大があることは事実だが、この額には、海外から燃料を輸入することによって得られたエネルギーの質量やそれが生み出した価値=人々の得た便益の多寡が反映されていないのだ。

 一方、原発被害者の損失をいかに計ることができるのだろうか。
 復興庁の2月26日付のデータによれば、東日本大震災による全国の避難者数は約26万7千人、そのうち福島県から県外に避難している人は47,995人に及ぶという。
 原発被害によって多くの人々が故郷を離れ、慣れない土地での生活を余儀なくされている。これによって失われた一人一人の幸福や、事故さえなければ人々が享受したはずの家族の団欒や楽しみ、さらには住み慣れた土地で働くことによって得られたはずの様々な価値……、それらは貿易赤字額などとは比較にならない総量となるに違いない。

 自分に都合の良い論理構成のための数値化ではなく、より客観的で精緻な評価基準にもとづく金額換算がもし可能となるのであれば、様々な政策判断や方針の決定に有効な手立てとなることは間違いない。

 一つの例として、釧路市では、生活保護受給者への自立支援によってもたらされる被保護者の自己肯定的な変化(自尊心の回復)に対する客観的評価として「SROI」=Social Return on Investment(社会的投資収益率)という手法に着目し、評価を始めているという。
 詳述は避けるが、ある福祉施策を実施するために要した費用と、その結果、施策の対象者である被保護者が社会的に自立して得るようになった賃金や、当人に関わる地域社会に生じた効果も含めて金銭に換算することでその施策の波及効果を評価しようとするものだ。
 興味深い試みだと思う。

 さて、では私たちのアート、文化芸術の価値を測るものさしはいかなるものなのだろう。
 それは金銭に換算できるものなのだろうか。
 


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