n45-50

ロシア・サハリンと北海道を結ぶ架け橋ネット。
サハリン州には。、ロシア人もウクライナ人も住んでいる混住地域です。

サハリン州クリル列島デジタル放送化 サハリン発

2011-08-24 13:44:18 | 情報
通信大臣イゴール Shchegolev ユジノサハリンスクのデジタル放送の紹介で開催通信・ マスコミ ロシア連邦イゴール Schegolev の大臣ユジノサハリンスクに到着しました。プログラム-調査サハリン「軌道」、テレビ放送の南サハリン ライトの村と地域政府の会議で作業を起動するのを旅行。大臣地域のネットワーク事業者に会う予定です。

占守島の 2011 年の終わりまでは完全に覆われるデジタル テレビ、サハリン エリアで取材 91 % に達する。

 今サハリンと 90 の仕事 38 オブジェクトを委託クリル列島にデジタル放送予定。すぐに別の 7 つのサイトを開始します。
45 追加測定の導入後に行います。必要に応じて、追加のサイトを入力する予定です。

 このようなデータは、サハリン、クリル列島は、ユジノサハリンスク イゴール Schegolev で開催されたデジタル テレビ放送の発展の見通しのワーク ショップの中に発表されました。

 状況からサハリン地域大臣会議のための知事の中心部、南部の Kurilami に連絡。管理領域のローカル放送センターを送信の代表者彼する準備ができてデジタル テレビ機器を報告しました。

 彼らによると、今年の終わりまでにデジタル放送南千島地域が表示されます。
連邦ターゲット プログラムの下で「ロシア連邦 2009年-2015年年放送の開発「2015 年の年末、ロシア完全デジタル テレビに切り替える計画。

 プログラム 1224 億ルーブルに達したの資金は、連邦政府の予算からを含む 764 億ルーブルに割り当てられます。
サハリンのデジタル テレビ 5 月に開始されました。

 テスト モードで、サハリン州の 19 の地域の 12 で開始されました。
6 月末には、デジタル テレビ、地域の人口の約 90 パーセントだった。
最初のソフトウェア パッケージは、いわゆる最初の多重化、8 つのテレビ チャンネル (」「文化」、最初チャンネル」、「ロシア」、「回転木馬」、「セント ピーターズバーグ チャンネル 5」、「ロシア-2」、「日テレ」、ロシア「-24」) の構成と 3 つのラジオ (「ラジオ Rossii」、「ウラル核惨事」、「FM Vesti「)。その後、このパッケージは、地方政府のプレス サービス 1 つの地域のテレビ番組で補完されます。

 日本でも先月には、アナログ放送が停波しています。
デジタル化によって電波使用範囲が増える事でしょう。

 Sakh.com サハリンマン
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子供たちの夢と友好を砕いた 日本の三流学者 二枚舌外交

2011-08-24 07:29:33 | 情報
 根室発 北海道新聞

【根室】根室市内の道立北方四島交流センターは18日、日ロ交流の成果として展示していた、日本とロシアの子供たちが共同製作したあんどんを撤去した。

 国後、択捉両島の絵に、ロシア国旗が描かれているのを、青山学院大の袴田茂樹教授(現代ロシア論)が見つけ、「北方領土がロシア領と受け止められる」と指摘したため。同センターは「今度どうするか検討したい」としている。

 日ロ関係を専門とする袴田教授は、18日に根室港を出発した国後、択捉両島へのビザなし訪問団の一員。出発に先だって同センターで開かれた事前研修会の合間にあんどんを見つけた。
 写真
 撤去される日ロの子供たちが作ったあんどん。手前の国後島はロシア国旗の色で塗られている 根室市内 道立北方四島交流センター

 日本とロシアの子供たちが描いた作品を排除させた三流学者は19^22日の間、ビザ無し渡航で択捉・国後でロシア人との友好交流会に参加した。

 この様な行動は、ロシア研究者として許せるものではないのである。
国内では、北方四島は日本領であるからロシア国旗は許せない。
と両国の子供らが制作した公共機関に展示された「行灯」展示排除する。

 一方では、北方領土に足を踏み入れた時点でロシアとの友好を強調する。
まさしく、二枚舌外交と言っても過剰ではない。 写真 奥で袴田が現地女性とダンスをしている姿がある。
国後島に到着した三流学者
  ソース Sakh.com

 二枚舌と言う日本外交の哲学を見た。 
 三流学者は、現地で日本領土を強調するなら日本国旗でも立てたのかと、思いきや「女性とダンス」とは、情けない。

 制作された「行灯」は、子供たちに著作権がある事をお忘れか?
勝手に排除すると「法的」な問題にもなるのでは・・・・。
 サハリンマン

ロシアは8月22日、国旗の日を祝っている。
この伝統的な三色旗は長い歴史を持っている。
最初にロシアの三色旗が現れたのは17世紀のことだが、20世紀には長い間日の目を見ることを禁止されていた。

 再び表舞台に登場したのは1991年8月22日、国家非常事態委員会のクーデターが失敗に終わってからだった。
 ロシアの三色旗は白、青、赤の三色からなっているが、その解釈については時代によってさまざまなものがあり、今に至るまで公式の解釈というものは生まれていない。最も流布している解釈としては、白は高潔、青は忠誠、赤は勇気を意味しているというものだ。

 政治テクノロジーセンターのアレクセイ・マカルキン第一副総裁は、この三色旗が国の象徴として使われ始めたのは、ピョートル1世の治世からだ、と指摘している。

―これを最初に公的な象徴として使い始めたのはピョートル大帝だと考えています。これはピョートル大帝が行った改革によって、ロシアがヨーロッパの大国のひとつとして生まれ変わったことと関連しています。

 その後、この旗は民間に根付き、歴史的に国民の旗としての認識が確立されました。
つまり、多くの行事や祝日の際に使われるようになったのです。

 1917年の革命とその後のソ連邦の誕生以降、この三色旗は長く使用することを禁止されてきた。そして再び表舞台に登場したのは1991年8月のことだった。

 1991年8月19日、各共和国に大幅な主権を認める新連邦条約を通じた改革を前に、共産党員や治安官僚の一部がクーデターを図ったのだった。
国家非常事態委員会はゴルバチョフ大統領を政権から退け、ホワイトハウスに終結した民主的勢力を一掃しようと試みたが、軍隊の一部は民主派に傾き、結局一斉攻撃は行われなかった。
国家非常事態委員会のメンバーは逮捕され、ホワイトハウスには民主派の勝利を記念して三色旗が翻ったのだ。

 政治テクノロジーセンターのボリス・マカレンコ代表は、その日から三色旗は民主主義と自由の象徴となった、と語っている。

―この日が選ばれたのは偶然ではありません。
その日、モスクワ市民たちは国家非常事態委員会に象徴される全体主義的共産主義体制への勝利を祝って、三色旗をもって街に繰り出しました。
85%のロシア国民は、三色旗の色の順番を正確に答えることができます。

それほど認識が広まったのです。
自らをロシア国民と考えている市民は誰でも、この国家の象徴を誇りとしなくてはなりません。

 ロシア国旗の日、という祝日が正式に制定されたのは1994年、エリツィン大統領によるものだ。
全ロシア世論調査センターの調べによれば、国旗に対して52%のロシア国民が誇りを感じており、また29%が共感を感じているということだ。
一方で無関心な人は15%となっており、嫌悪感を感じているのは2%に過ぎない。

 これは新生ロシア誕生から20年の間に、イデオロギー的対立がほぼ解消され、市民が真の意味で新しい国家の一員として自覚を持っていることを示しているといえるだろう。
 ロシア国旗 ソース ロシアの声


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国後島 空からこんにちわ ビザ無し渡航 サハリン便り

2011-08-24 06:26:20 | 写真・映像
 今月5日に撮影した国後島です。
 岬からは、日本への携帯電話が繋がります。

 撮影・サハリンマン
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