『白痴』の主人公・伊沢は、見聞きした町の風俗の有り様に、
これが、戦争で荒んだ人心というものか、と訝るが、
仕立屋は「このへんじゃ、先からこんなものでしたねえ」と
「哲学者のような面持で静かに」応じる。
伊沢の隣家には、
三十歳の「気違い」と白痴で年下の妻が住んでおり、
「気違い」は屋根の上で演説したり、
仕立屋との垣根を、我が物顔で越えて来ては、
家鴨に石をぶつけたり、豚を突っつき廻している。
どこか怪しげな連中に囲まれて、演出家である伊沢は、
隣近所からは「先生」と呼ばれ「芸術」を夢見ていた。
だが、伊沢の会社では
「蒼ざめた紙の如く退屈無限の映画」が毎日制作され、
社内では、部署毎に「徒党」を組んでは「情誼の世界」が作られ、
「義理人情で才能を処理して、会社員よりも会社員的な順番制度」の中で、
貧困なる才能の救済組織に成り下がっている。
「徒党」が外に出れば、「アルコールの獲得組織」となり、
うわべの身なりは芸術家でも、その魂も根性もなく、
酔払っては芸術を論じる「会社員よりも会社員的」な連中、
として主人公は蔑む。
「およそ精神の高さもなければ 一行の実感すらもない架空の文章に
憂身をやつし、映画をつくり、戦争の表現とはそういうものだと思いこんでいる。
又ある者は軍部の検閲で書きようがないと言うけれど、
他に真実の文章の心当りがあるわけでもなく、
文章自体の真実や実感は検閲などには関係のない存在だ。
要するに如何なる時代にも
この連中には内容がなく空虚な自我があるだけだ。」
(坂口安吾『白痴』)
伊沢は、芸術の独創と個性の独自性を主張しては社内で孤立し、
義理人情の制度の中で安息する凡庸で低俗卑劣な魂たちと一緒に、
そこに二百円の給料という卑小な限定で身を置かざるを得ない、
我が身を「賎業中の賤業」と云っては、嘆く。
ここで、作者も唐突に、自分の書いている小説に嘆きを吐き出す。
「日本二千年の歴史を覆すこの戦争と敗北が
果して人間の真実に何の関係があったであろうか」と。(続)
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これが、戦争で荒んだ人心というものか、と訝るが、
仕立屋は「このへんじゃ、先からこんなものでしたねえ」と
「哲学者のような面持で静かに」応じる。
伊沢の隣家には、
三十歳の「気違い」と白痴で年下の妻が住んでおり、
「気違い」は屋根の上で演説したり、
仕立屋との垣根を、我が物顔で越えて来ては、
家鴨に石をぶつけたり、豚を突っつき廻している。
どこか怪しげな連中に囲まれて、演出家である伊沢は、
隣近所からは「先生」と呼ばれ「芸術」を夢見ていた。
だが、伊沢の会社では
「蒼ざめた紙の如く退屈無限の映画」が毎日制作され、
社内では、部署毎に「徒党」を組んでは「情誼の世界」が作られ、
「義理人情で才能を処理して、会社員よりも会社員的な順番制度」の中で、
貧困なる才能の救済組織に成り下がっている。
「徒党」が外に出れば、「アルコールの獲得組織」となり、
うわべの身なりは芸術家でも、その魂も根性もなく、
酔払っては芸術を論じる「会社員よりも会社員的」な連中、
として主人公は蔑む。
「およそ精神の高さもなければ 一行の実感すらもない架空の文章に
憂身をやつし、映画をつくり、戦争の表現とはそういうものだと思いこんでいる。
又ある者は軍部の検閲で書きようがないと言うけれど、
他に真実の文章の心当りがあるわけでもなく、
文章自体の真実や実感は検閲などには関係のない存在だ。
要するに如何なる時代にも
この連中には内容がなく空虚な自我があるだけだ。」
(坂口安吾『白痴』)
伊沢は、芸術の独創と個性の独自性を主張しては社内で孤立し、
義理人情の制度の中で安息する凡庸で低俗卑劣な魂たちと一緒に、
そこに二百円の給料という卑小な限定で身を置かざるを得ない、
我が身を「賎業中の賤業」と云っては、嘆く。
ここで、作者も唐突に、自分の書いている小説に嘆きを吐き出す。
「日本二千年の歴史を覆すこの戦争と敗北が
果して人間の真実に何の関係があったであろうか」と。(続)
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