脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

安吾小論(2)

2007年11月06日 20時14分06秒 | 読書・鑑賞雑感
『白痴』の主人公・伊沢は、見聞きした町の風俗の有り様に、
これが、戦争で荒んだ人心というものか、と訝るが、
仕立屋は「このへんじゃ、先からこんなものでしたねえ」と
「哲学者のような面持で静かに」応じる。

伊沢の隣家には、
三十歳の「気違い」と白痴で年下の妻が住んでおり、
「気違い」は屋根の上で演説したり、
仕立屋との垣根を、我が物顔で越えて来ては、
家鴨に石をぶつけたり、豚を突っつき廻している。

どこか怪しげな連中に囲まれて、演出家である伊沢は、
隣近所からは「先生」と呼ばれ「芸術」を夢見ていた。

だが、伊沢の会社では
「蒼ざめた紙の如く退屈無限の映画」が毎日制作され、
社内では、部署毎に「徒党」を組んでは「情誼の世界」が作られ、
「義理人情で才能を処理して、会社員よりも会社員的な順番制度」の中で、
貧困なる才能の救済組織に成り下がっている。

「徒党」が外に出れば、「アルコールの獲得組織」となり、
うわべの身なりは芸術家でも、その魂も根性もなく、
酔払っては芸術を論じる「会社員よりも会社員的」な連中、
として主人公は蔑む。


「およそ精神の高さもなければ 一行の実感すらもない架空の文章に
 憂身をやつし、映画をつくり、戦争の表現とはそういうものだと思いこんでいる。
 又ある者は軍部の検閲で書きようがないと言うけれど、
 他に真実の文章の心当りがあるわけでもなく、
 文章自体の真実や実感は検閲などには関係のない存在だ。
 要するに如何なる時代にも
 この連中には内容がなく空虚な自我があるだけだ。」
                             (坂口安吾『白痴』)

伊沢は、芸術の独創と個性の独自性を主張しては社内で孤立し、
義理人情の制度の中で安息する凡庸で低俗卑劣な魂たちと一緒に、
そこに二百円の給料という卑小な限定で身を置かざるを得ない、
我が身を「賎業中の賤業」と云っては、嘆く。

ここで、作者も唐突に、自分の書いている小説に嘆きを吐き出す。
「日本二千年の歴史を覆すこの戦争と敗北が
 果して人間の真実に何の関係があったであろうか」と。(続)

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