ふるさと。
人はこの言葉に懐かしみの情景を思い浮かべる。
だが、人間の「ふるさと」とは、何だろうか?
安吾のいう「ふるさと」も、戦争や破壊だのとのみ、
背中合わせに考えるべきものではないのだろう。
それは誰もが「直立二足歩行」を始めて以来、
自然と失われざるを得ない風景だったのだ。
だが時に、誰の平凡な日常にも、それへの隙間がフッと開くことがある。
それは、闇の中で見出され、光の中で見失われる。
眼をつぶらなければ見えないもの。瞼の裏にあるもの。
夢のように儚くて、いつも現在からは遠くにある。
けれど、愛情が自然と体中から溢れ出し、
お互いがそれで暖まるような、温もりの場所。
だがそれでいて、捕らえる端から次々と消えてしまうような、
接近と同時に遠ざかり、逃げ水のようにいつも向こう側に煌めいているものだ。
向こうが過去なのか、未来なのかは分からない。
でも何か、ひたすら暖かいものが自分へと起き上がってきて、
心が鼓動していて、それのみが真実を刻んでいる場所なのだ。
私を包む、優しく柔らかい闇。
そこは、誰もがかつて<個体>へと
排除を受けた母の胎内のことなのか。
生と記すよりも、立心偏の“性”である。
<性>とは本来、そのように我々の実存を包み込みつつ、
秘められた場所、戻れない遠い場所のことなのではないのだろうか。
* * *
商店街の男たちも、安アパートの女たちも会社員も芸術家も、
軍国主義がうるさかろうと治安維持法が何であろうと、
さらに敗戦でそれらがすっかり消し去られようと、
この日本において、いや人間においては何も変わらないのだ。
街の風景は一面の焼け野原に変わっても、人の風景は先から同じだ。
良かれ悪しかれどこまでも変わらない“人”という頑強な事実。
絶望をひっくり返してみたら、心の風向きひとつで、
裏には希望が貼り付いていたりする。
全的肯定へと達する止揚云々と言わずとも、命を生きる活動、
すなわち“生活”の文字でよい。『白痴』は語る。
「ああ日本は敗ける。
泥人形のくずれるように同胞たちがバタバタ倒れ、
吹きあげるコンクリートや煉瓦の屑と一緒くたに
無数の脚だの首だの腕だの舞いあがり、
木も建物も何もない平な墓地になってしまう。
どこへ逃げ、どの穴へ追いつめられ、
どこで穴もろとも吹きとばされてしまうのだか、夢のような、
けれどもそれはもし生き残ることができたら、
その新鮮な再生のために、そして全然予測のつかない新世界、
石屑だらけの野原の上の生活のために、…」
(坂口安吾『白痴』)
焼け野原だから、希望があるというのではない。
希望があるから殊更に生きようとするのでもない。
“生きている”と自脈が私を打つから、生きるのだ。
体の中の、この小さな泉こそ、
誰が誰に対しても侵してはならない、純粋で尊い希望なのだ。(続)
メンタルヘルスブログ 精神科・心療内科
人気blogランキングへ
人はこの言葉に懐かしみの情景を思い浮かべる。
だが、人間の「ふるさと」とは、何だろうか?
安吾のいう「ふるさと」も、戦争や破壊だのとのみ、
背中合わせに考えるべきものではないのだろう。
それは誰もが「直立二足歩行」を始めて以来、
自然と失われざるを得ない風景だったのだ。
だが時に、誰の平凡な日常にも、それへの隙間がフッと開くことがある。
それは、闇の中で見出され、光の中で見失われる。
眼をつぶらなければ見えないもの。瞼の裏にあるもの。
夢のように儚くて、いつも現在からは遠くにある。
けれど、愛情が自然と体中から溢れ出し、
お互いがそれで暖まるような、温もりの場所。
だがそれでいて、捕らえる端から次々と消えてしまうような、
接近と同時に遠ざかり、逃げ水のようにいつも向こう側に煌めいているものだ。
向こうが過去なのか、未来なのかは分からない。
でも何か、ひたすら暖かいものが自分へと起き上がってきて、
心が鼓動していて、それのみが真実を刻んでいる場所なのだ。
私を包む、優しく柔らかい闇。
そこは、誰もがかつて<個体>へと
排除を受けた母の胎内のことなのか。
生と記すよりも、立心偏の“性”である。
<性>とは本来、そのように我々の実存を包み込みつつ、
秘められた場所、戻れない遠い場所のことなのではないのだろうか。
* * *
商店街の男たちも、安アパートの女たちも会社員も芸術家も、
軍国主義がうるさかろうと治安維持法が何であろうと、
さらに敗戦でそれらがすっかり消し去られようと、
この日本において、いや人間においては何も変わらないのだ。
街の風景は一面の焼け野原に変わっても、人の風景は先から同じだ。
良かれ悪しかれどこまでも変わらない“人”という頑強な事実。
絶望をひっくり返してみたら、心の風向きひとつで、
裏には希望が貼り付いていたりする。
全的肯定へと達する止揚云々と言わずとも、命を生きる活動、
すなわち“生活”の文字でよい。『白痴』は語る。
「ああ日本は敗ける。
泥人形のくずれるように同胞たちがバタバタ倒れ、
吹きあげるコンクリートや煉瓦の屑と一緒くたに
無数の脚だの首だの腕だの舞いあがり、
木も建物も何もない平な墓地になってしまう。
どこへ逃げ、どの穴へ追いつめられ、
どこで穴もろとも吹きとばされてしまうのだか、夢のような、
けれどもそれはもし生き残ることができたら、
その新鮮な再生のために、そして全然予測のつかない新世界、
石屑だらけの野原の上の生活のために、…」
(坂口安吾『白痴』)
焼け野原だから、希望があるというのではない。
希望があるから殊更に生きようとするのでもない。
“生きている”と自脈が私を打つから、生きるのだ。
体の中の、この小さな泉こそ、
誰が誰に対しても侵してはならない、純粋で尊い希望なのだ。(続)
メンタルヘルスブログ 精神科・心療内科
人気blogランキングへ