湯河原駅から徒歩10分ほどのところにある産土八幡神社のクスノキです。樹齢600年 樹高25m 幹回り6.3mです、普通これぐらいの巨木になると、どこか腐っているところがあるのですが、見当たりませんでした。観光案内書でもらった湯河原散策マップに産土八幡神社は載っていますが、このクスノキについて記載されていないのが残念です。
越後湯沢駅から徒歩15分ほどのところにある熊野神社の杉です。参道の杉と境内にある杉がりっぱです。
神社自体はごく普通の小さなものです。
神社自体はごく普通の小さなものです。
高社山谷厳寺登山口から高社山に登り、下山途中で赤岩下山道近道という道標があり、登山用地図には記載されていないが、ちゃんとした道だったので下ってみました。登山道入口までおよそ700mてまえのところで、この写真のケヤキがありました。こんな立派な木が地図上に記載されていないのが不思議です。木の前に鳥居があり、根元には小さな祠がまつられていました。
グーグルマップのストリートビューでもよく確認できます。(36°47'16.1"N 138°22'27.0"E)この数字は北緯と東経の位置です。この数字でグーグルマップの検索にコピペしてしてストリートビューで見られます。むしろストリートビューで見たほうが迫力があるかもしれません。
グーグルマップのストリートビューでもよく確認できます。(36°47'16.1"N 138°22'27.0"E)この数字は北緯と東経の位置です。この数字でグーグルマップの検索にコピペしてしてストリートビューで見られます。むしろストリートビューで見たほうが迫力があるかもしれません。
藤の牛島駅から徒歩10分ほどのところにある藤の牛島、樹齢1200年、国指定天然記念物です。
あしかがフラワーパークの藤と比べると華やかさと美しさに劣ると思いますが、本来の藤の成長の仕方、枝の張り出し方がこういう感じになるというのがわかる。それに樹齢が1200年というのがすごい。
あしかがフラワーパークの藤と比べると華やかさと美しさに劣ると思いますが、本来の藤の成長の仕方、枝の張り出し方がこういう感じになるというのがわかる。それに樹齢が1200年というのがすごい。
奈良県 大宇陀バス停から徒歩20分ほどのところにある又兵衛桜、4月10日に撮ったものです。もう満開を過ぎてしまったようです。
またバス停からから宇陀松山城跡まで往復1時間ほどで行け、近くに江戸時代から続く歴史的な建造物群があります。
またバス停からから宇陀松山城跡まで往復1時間ほどで行け、近くに江戸時代から続く歴史的な建造物群があります。
大垣から樽見鉄道で1時間、終点の樽見駅から15分ほどにある薄墨桜です。説明によると
「この桜は彼岸桜の一種(和名ウバヒガン)で、樹齢が高く枝の各所が折損して樹勢が衰えたので昭和24年に山桜の若根238本を根接ぎしたほか、種々の保護を加え回生を図った。」
となっています。
枝を支える添え木が多い理由がこの説明でわかる、確かにこの姿は、延命治療をしている病人に見える。何とか生き続けているといった感じかもしれない。
「この桜は彼岸桜の一種(和名ウバヒガン)で、樹齢が高く枝の各所が折損して樹勢が衰えたので昭和24年に山桜の若根238本を根接ぎしたほか、種々の保護を加え回生を図った。」
となっています。
枝を支える添え木が多い理由がこの説明でわかる、確かにこの姿は、延命治療をしている病人に見える。何とか生き続けているといった感じかもしれない。
密蔵院に咲いている安行桜、説明によると
沖田雄司氏の研究改良によるもので、又の名を沖田桜とも呼んでいる。
一般の桜の開花時期よりも早く咲きだし、赤身を帯びた花色は艶やかで……と書かれている。
その密蔵院の隣ある九重神社の樹齢500年以上のスダジイです。
沖田雄司氏の研究改良によるもので、又の名を沖田桜とも呼んでいる。
一般の桜の開花時期よりも早く咲きだし、赤身を帯びた花色は艶やかで……と書かれている。
その密蔵院の隣ある九重神社の樹齢500年以上のスダジイです。
山中湖平野バス停から石割山に登る途中、徒歩1時間30分ほどのところにある石割神社のそばにあるご神木の桂があります。説明によると
霊山石割山の標高1300mの高地に自生する、この桂の巨木は日本でもひじょうにめずらしく 地元民から御神木として崇められている。また、この神木の後にはお釜岩という釜の形をした水の湧き出る岩があり、地元民、山中湖村民の水の源であり、百数十㎞に及ぶ相模川の源流であり、その上流の桂川の名前の由来といわれ、古くは旱魃のさいは この場所で地元民により雨乞いの儀式が行われたとも伝わる。
と、なっていました。写真は桂のご神木と、とも長い参道の階段です。階段をのぼる人が、一人写っています。
霊山石割山の標高1300mの高地に自生する、この桂の巨木は日本でもひじょうにめずらしく 地元民から御神木として崇められている。また、この神木の後にはお釜岩という釜の形をした水の湧き出る岩があり、地元民、山中湖村民の水の源であり、百数十㎞に及ぶ相模川の源流であり、その上流の桂川の名前の由来といわれ、古くは旱魃のさいは この場所で地元民により雨乞いの儀式が行われたとも伝わる。
と、なっていました。写真は桂のご神木と、とも長い参道の階段です。階段をのぼる人が、一人写っています。