木めぐり像めぐり

気に入った木、気になる像などを紹介していこうと思います。

岩宿文化資料館のマンモス象の住居

2015-02-18 10:45:59 | 

入口に 岩宿資料館の庭に面白い建造物があったので写真の撮りました。説明によると、
 「ウクライナ共和国 メジチリ遺跡 約2万年前 直径約6m(1号住居跡、約75%縮小)
 メジチリ遺跡では、マンモス象の骨を骨組みに使った住居跡が5軒発見された。そのうち1号住居は、入口に大きな牙(切歯)2本を渡し、385個もの多くの骨を組み合わせたしっかりしたものであった。なお、住居の屋根は、動物の皮等で覆われていたものと考えられる。」と、なっていました。
とても美しく組み合わせてできた建造物だと思いました。これだけのものをくみ上げられる感性は、近代人の感性よりも優れているのではないかと思ってしまいます。限られた材料の中で、食料のマンモス象の骨を利用して住居をつくる。映画「2001年宇宙の旅」には、猿人が、骨を握って武器として利用しているシーンがありました。骨はとても利用価値のある物だったのでしょうね。
下部の壁面のU字形の骨は、マンモスの下あごの部分です。
 
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岩宿遺跡にあるエノキ

2015-02-17 10:58:37 | 


 考古学の本をよんでいて、岩宿遺跡のことが書かれていて、初めて石器が発見された場所だと日本史で学んだことを思い出し。両毛線の岩宿駅からそれほど遠くない場所にあり、東武桐生線の阿左美駅から徒歩40分ぐらいなので、行ってみました。
 阿左美駅ホーム横には、縄文時代の住居跡が窓越しから見学できる小屋がありました。古代はここら辺りは、住みやすい場所だったのかもしれません。
190mほどの稲荷山と琴平山があり、両方とも10分ぐらいで登れ、カタクリの群生地として有名のようでした。鹿の川沼の周囲には桜がうえられており、岩宿文化資料館、入浴施設の健康センターなどあり、よく整備された公園になっています。そこで写真のエノキがありました。説明によると
 「ニレ科の落葉高木で、関東から西の暖かい山地に自生する。幹は直立し大木になり、枝を大きく広げて日陰を作るため、江戸時代に一里塚の木とも呼ばれている。
 鹿の川沼のエノキは、沼の西側を区画する堤上に植えられており、その横には南北の銅山街道が通り、1649年に設定された銅山街道は、足尾銅山から5宿の継送りとなり、利根川を下って江戸に至る街道である。足尾銅山から3番目の宿場である桐原宿から鹿の川沼までは約4㎞、ここから大原宿まで4㎞の距離がある。そのため、推定樹齢からすると街道の距離の目安として整備された一里塚に植えられた木ではなかったかと考えられる。推定樹齢約300年、幹回り3.1m、高さ7.7m」と、なっていました。
2008.4.12のブログ「大磯、化粧阪のエノキ」の写真と見比べて見てください。木の雰囲気がまったく違います。
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