山道、まるで峠のような場所に、ツガの木と石の祠がありました。右下の写真は、その祠に彫られた像です。
落葉樹ばかりの山道を歩いていると、突然、常緑樹の大きな木に出会うことがある。それも、峠や分岐点など、重要と思われる地点にドーンと鎮座している。これは、道標の役目として、人為的に植えられたものだろうと思うのです。植えたのは、マタギ、木地師、里人だろうか。道のなくなる雪山に獲物を求め、マタギが尾根から下を眺めれば、緑の常緑樹を直ぐに見つけ、自分の位置を確認する。そんな風に、この木の役割を想像しています。
ところで、この木から、少し離れた場所に、もうひとつ石の祠があり、そこに「山神……」と「宝……」と彫られた文字を何とか判読しました。(間違っているかもしれません)「宝」は、宝永か宝暦のことだと思います。宝永元年は1704年、宝暦元年は1751年です。そんな古い時代のものには見えません。写真の祠の方が古いように見えました。
落葉樹ばかりの山道を歩いていると、突然、常緑樹の大きな木に出会うことがある。それも、峠や分岐点など、重要と思われる地点にドーンと鎮座している。これは、道標の役目として、人為的に植えられたものだろうと思うのです。植えたのは、マタギ、木地師、里人だろうか。道のなくなる雪山に獲物を求め、マタギが尾根から下を眺めれば、緑の常緑樹を直ぐに見つけ、自分の位置を確認する。そんな風に、この木の役割を想像しています。
ところで、この木から、少し離れた場所に、もうひとつ石の祠があり、そこに「山神……」と「宝……」と彫られた文字を何とか判読しました。(間違っているかもしれません)「宝」は、宝永か宝暦のことだと思います。宝永元年は1704年、宝暦元年は1751年です。そんな古い時代のものには見えません。写真の祠の方が古いように見えました。