上諏訪駅から徒歩約10分、諏訪高島城があります。1592年に着工、1598年に完成、城の際まで諏訪湖の水が迫り、湖上に浮いて見えたことから「諏訪の浮城」と呼ばれた。しかし明治4年、廃藩置県により封建制のシンボルである城郭の撤去が決定。明治8年には天守閣の撤去が終了。明治9年、本丸跡を高島公園として一般に開放しました。そして昭和45年、天守閣が復興された。この内部は資料館になっていて、最上階は展望台になっていて、うっすらと形のいい富士山が見えました。2枚目の写真は城郭内にあったオオバヤナギです。城内に樹齢数百年と思われるケヤキもあったので、この木も昔からあった木かもしれません。
上諏訪駅から徒歩約10分、諏訪高島城があります。1592年に着工、1598年に完成、城の際まで諏訪湖の水が迫り、湖上に浮いて見えたことから「諏訪の浮城」と呼ばれた。しかし明治4年、廃藩置県により封建制のシンボルである城郭の撤去が決定。明治8年には天守閣の撤去が終了。明治9年、本丸跡を高島公園として一般に開放しました。そして昭和45年、天守閣が復興された。この内部は資料館になっていて、最上階は展望台になっていて、うっすらと形のいい富士山が見えました。2枚目の写真は城郭内にあったオオバヤナギです。城内に樹齢数百年と思われるケヤキもあったので、この木も昔からあった木かもしれません。
1枚目の写真は、諏訪大社前宮のケヤキです。このほかにもケヤキの大木が数本あり、どの木を掲載するか迷ったのですが、この木の姿がめずらしかったので、これにしました。2枚目の写真は、諏訪大社上社のケヤキです。説明によると「樹齢約千年、古くは贄・御狩の獲物(お供物)を掛けて祈願したことから『贄掛けの欅』
と呼ばれ境内最古の樹木のひとつである。」となっていました。
諏訪地方はケヤキが多いのかもしれませんね。
若山牧水は国語の教科書に
幾山河 越えさり行かば寂しさの 終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく
白鳥は 哀しからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ
この2首が掲載されていて、暗記したことを覚えています。なかなか言葉の調子がよく、そこに書かれている風景が想像できて、わかりやすい歌だと思いました。今読むと哀愁があり、風景を見ながら人生について思いをはせる作者の心境が感じられます。説明によると
「若山牧水は、明治から大正にかけてのころの有名な歌人です。若いころからいろいろな傾向の歌をつくりましたが、とくに晩年は自然を愛し、素直な心情を歌にしながら、酒と旅を楽しみつつ生涯を終えました。大正13年7月、鳳来寺を訪れ医王院に五日滞在しました。そして、大正15年6月、再び鳳来寺を訪ね、小松家一泊しました。牧水が鳳来寺を訪れた時に
仏法僧仏法僧と鳴く鳥の 声をまねつつ飲める酒かも
という歌を刻んだ碑が、松高院の上の左側の岩の壁にはめ込んであります。……」
となっていました。像の作者は保田井智之でした。
ウィキペディアによると、「大の酒好きで、一日一升程度の酒を呑んでいたといい、死の大きな要因となったのは肝硬変である。」と、なっていました。1928年9月17日 満43歳で没しました。明日が命日ですね。
この像を見たとき、奈良県のキャラクターせんとくんとそっくりと思いました。やはり、この像の作者は同じ人物で薮内佐斗司さんでした。説明によると「鳳来寺山はもと桐生山といって、高さが150mもある桐の大木が生えていました。古い木なので洞があり、竜や鳳凰という美しい大きな鳥が住み着いていました。1400年ほど前、仙術という超能力を身につけた利修仙人がこの山へ来て修業をはじめ、鳳凰を操って空を飛んだりしていました。
1300年ほど前のことです。文武天皇が病気になってなかなかなおらないので、霊力を持つといううわさの高い利修仙人にご祈祷してもらおうということになりました。そして、草鹿砥公宜という人が天皇の使いとして、利修仙人に頼みにきました。仙人は鳳凰に乗って都へいき、一心にお祈りをして天皇の病気をなおしました。
病気の全快を喜んだ天皇は、利修仙人を開山として、桐生山に立派なお寺を建てました。そして、鳳来寺と名付けました。そこから鳳凰が来たという意味です。それから桐生山を鳳来寺山と呼ぶようになったということです。」と、いうことです。
仙人というと、白いひげを伸ばした老人をイメージしてしまいますが、幼児にしてしまうところが作者の凄いところだと思います。
鳳来寺の仁王門をくぐって少し歩いた所に傘杉があります。新日本名木百選の木で、この山でもっとも優れた木だそうです。目通り周囲7.5m、樹高60m、樹齢800年とのことです。
もう一本はバス停から仁王門までの途中にある愛知県指定文化財のネズの木です。こんなに大きくなるのは全国的にも例がなく貴重な樹で、樹高はもと13mありましたが、平成8年2月、樹木医による樹勢回復所措置で枯枝を切り詰めたので、現在の高さに9mになったそうです。樹齢推定1400年だそうです。
地図を見ていると、名称から興味を覚えさせる所がある。この鳳来寺も、その名称からどんなところか興味を抱かせてくれる。地図から近くに湯谷温泉があり、そこから直線距離で数キロなので、ハイキングコースがあるか調べてみたらあったので、歩いてみました。湯谷温泉のひとつ手前の三河大野駅から東海自然歩道が鳳来寺まで続いているので、そちらの道のほうがよく整備されて楽しいかもしれません。
湯谷温泉から90分ほどで鳳来寺に着き、そこから40分ほどで鳳来寺山に着きます。山頂からの景色は望めませんが、途中の奥社のところが、展望がききます。そこから再び鳳来寺に戻り、そこから鳳来寺バス停までの道が面白い。ほぼ1時間ほど石段の道を下る。1425段あるそうです。仁王門をでると、門前町のような家並みがバス停まで続いています。
鳳来寺はおよそ1300年前に、利修仙人よって開かれ、703年文武天皇から鳳来寺の名を賜って建立されたと伝えている。以来広い信仰圏を持って栄え、源頼朝も厚く信仰し七堂伽藍を寄贈し隆盛期を迎えた。松平広忠夫妻が天下人となる男子を祈願して、授かったのが徳川家康であったという。
上段の写真が鳳来寺本堂と、奥に見える岩山が鳳来寺山。中段が山頂。下段が石段が続く道です。