明治政府に雇われたオランダ人医師ボードワンは、東大医学部の前身、大学東校で講義や診療をおこない、上野に医学施設建設の視察をおこなった時、ここを公園にすべきと提案し、受け入れられた。それを記念して、オランダ人彫刻家によって作られたボードワン像が左上の写真である。しかし、この像は、実は本人ではなく、弟らしいのである。弟も日本に長崎領事として来日しており、二人の写っている写真がある。弟は立派なあごひげがあり、本人にはあごひげはない。どこかで、弟と兄を取りちがえたらしい。そこで、新ボードワン像が左上の写真の像と入れ替わりました。昔のほうが像として、好感を持っているが、仕方ない。
ところで、ボードワンは「太田胃散」を処方した。その薬の名前が未だに残っているのは、すごい。
ところで、ボードワンは「太田胃散」を処方した。その薬の名前が未だに残っているのは、すごい。