日本人は中国人も韓国人もモンゴル人も日本人と同じような顔をしていると思う。しかし彼らはしばしばお互いを見分ける。これは日本人が雑種民族だからだ。中国人や韓国人やモンゴル人のような顔の人が周囲に大勢いるからこれらの外国人が日本人のように見える。
今はそうではなかろうが、かつて日本人は黒人の顔を殆んど見分けられなかった。今でも西洋人の多くは東アジア人を見分けられないのではないだろうか。
実は、私は就職早々の頃、周囲の人の顔を覚えるのに苦労した。それまで不自由に感じたことなど無かっただけになぜそんなことになったのか不思議だった。あとになってから謎が解けた。従来は同世代内での付き合いが大半だったから同世代の顔の認識力ばかりが高まって異世代の顔に馴染んでいなかったからだった。
元々人間の顔はそんなに違わない。体型の違いと比べれば微妙なものだ。それにも拘わらず人は体型よりも顔の違いに敏感だ。先天的に顔の認識力が高く生活の中で更に強化されるからだろう。
オジさんになるとアイドルが見分けられなくなると昔から言われている。これも生活上で会う人とのギャップが大きいからだ。最近は芸能人の低年齢化が進んでいるから昔よりはオジさんの識別力も高まっているかも知れない。
顔の良し悪しはかなり微妙なバランスに依存している。標準からほんの少し外れることは個性的魅力になるが外れ過ぎれば醜くなる。それが魅力になるか欠点になるかは極めて微妙だ。
40歳を過ぎれば人は自分の顔に責任があると言うが、明らかな悪人顔以外は本人の責任とは言い難い。好悪の印象はかなり主観的なものだ。むしろ体型にこそ責任を負うべきだろう。手足の長さは本人の責任ではなかろうが、肥満や痩せ過ぎや崩れた体型は大半が本人の責任だろう。
今はそうではなかろうが、かつて日本人は黒人の顔を殆んど見分けられなかった。今でも西洋人の多くは東アジア人を見分けられないのではないだろうか。
実は、私は就職早々の頃、周囲の人の顔を覚えるのに苦労した。それまで不自由に感じたことなど無かっただけになぜそんなことになったのか不思議だった。あとになってから謎が解けた。従来は同世代内での付き合いが大半だったから同世代の顔の認識力ばかりが高まって異世代の顔に馴染んでいなかったからだった。
元々人間の顔はそんなに違わない。体型の違いと比べれば微妙なものだ。それにも拘わらず人は体型よりも顔の違いに敏感だ。先天的に顔の認識力が高く生活の中で更に強化されるからだろう。
オジさんになるとアイドルが見分けられなくなると昔から言われている。これも生活上で会う人とのギャップが大きいからだ。最近は芸能人の低年齢化が進んでいるから昔よりはオジさんの識別力も高まっているかも知れない。
顔の良し悪しはかなり微妙なバランスに依存している。標準からほんの少し外れることは個性的魅力になるが外れ過ぎれば醜くなる。それが魅力になるか欠点になるかは極めて微妙だ。
40歳を過ぎれば人は自分の顔に責任があると言うが、明らかな悪人顔以外は本人の責任とは言い難い。好悪の印象はかなり主観的なものだ。むしろ体型にこそ責任を負うべきだろう。手足の長さは本人の責任ではなかろうが、肥満や痩せ過ぎや崩れた体型は大半が本人の責任だろう。