世間には不幸になりたがっているとしか思えない人がいる。不良と付き合いたがる生徒、明らかに暴力的な男との交際を求める女、我儘な女に貢ぎ続ける男、健康を害するまで働き続けるサラリーマン、IS(イスラミック・ステート)に参加しようとする人、これらは明らかに不合理な行動だ。
暴力的な男を好む女について心理学者ならこう解説するだろう。彼女は児童虐待の被害者だった。親による理不尽な虐待を承認することはできないが過去の事実を否定することもできない。だから親による暴力に対して意味付けをしようとする。自分が虐待されたことを是認したいから暴力的な男の長所を見つけようとする。暴力性を肯定できれば自分の過去が救済されると信じる。こうして虐待された子供が虐待する親になってしまう。あるいはもっと単純に、暴力的な男に父親のイメージを重ね合わせて親近感を覚えるのかも知れない。
医学のオフセット鎮痛を理解すればもっと簡単で全く違った解釈が可能になる。例えば45℃の湯に浸かったあとであれば43℃の湯は余り熱く感じない。人間の五感は強い刺激を受ければそれまで感じていた弱い刺激が不快ではなくなる。このオフセット鎮痛の効果を殆んどの人が自分で何度も経験している。だから痒ければ傷になるまで掻き、騒音にはそれ以上の大音量で抵抗する。このように強い刺激によって日常的な不快感を解消している。
不幸になりたがる人は大きな誤解をしている。新しい刺激が現在の不快を解消するのはあくまで知覚レベルでの事実に過ぎない。知覚レベルでの経験から類推して、新しい刺激によって苦しい過去を忘れようとしても、記憶は決して上書き保存されない。不快な記憶のファイルに新たなファイルが加わるだけだ。知覚は現在が総てだ。しかし記憶は過去を現出させる。過去の不幸が帳消しにされることは無い。
こう考えれば、不幸になりたがる人が、不幸な過去を忘れるために新しい不幸を求めても虚しいだけだと分かる。彼らは知覚と記憶が別レベルであることを理解せずに、知覚での成功体験を演繹して不幸の解消を図る。これは絶対に成功しない。一層不幸になるだけだ。困難を克服すれば成長できるが、困難なことを次々に経験するだけであれば更に不幸になるばかりだ。
暴力的な男を好む女について心理学者ならこう解説するだろう。彼女は児童虐待の被害者だった。親による理不尽な虐待を承認することはできないが過去の事実を否定することもできない。だから親による暴力に対して意味付けをしようとする。自分が虐待されたことを是認したいから暴力的な男の長所を見つけようとする。暴力性を肯定できれば自分の過去が救済されると信じる。こうして虐待された子供が虐待する親になってしまう。あるいはもっと単純に、暴力的な男に父親のイメージを重ね合わせて親近感を覚えるのかも知れない。
医学のオフセット鎮痛を理解すればもっと簡単で全く違った解釈が可能になる。例えば45℃の湯に浸かったあとであれば43℃の湯は余り熱く感じない。人間の五感は強い刺激を受ければそれまで感じていた弱い刺激が不快ではなくなる。このオフセット鎮痛の効果を殆んどの人が自分で何度も経験している。だから痒ければ傷になるまで掻き、騒音にはそれ以上の大音量で抵抗する。このように強い刺激によって日常的な不快感を解消している。
不幸になりたがる人は大きな誤解をしている。新しい刺激が現在の不快を解消するのはあくまで知覚レベルでの事実に過ぎない。知覚レベルでの経験から類推して、新しい刺激によって苦しい過去を忘れようとしても、記憶は決して上書き保存されない。不快な記憶のファイルに新たなファイルが加わるだけだ。知覚は現在が総てだ。しかし記憶は過去を現出させる。過去の不幸が帳消しにされることは無い。
こう考えれば、不幸になりたがる人が、不幸な過去を忘れるために新しい不幸を求めても虚しいだけだと分かる。彼らは知覚と記憶が別レベルであることを理解せずに、知覚での成功体験を演繹して不幸の解消を図る。これは絶対に成功しない。一層不幸になるだけだ。困難を克服すれば成長できるが、困難なことを次々に経験するだけであれば更に不幸になるばかりだ。