【はじめに】
このことについては、まず過去ログを参照して欲しいのだが、「しなの3号」は指定席予約が1ヶ月前で取れないというトンデモ特急のおそれがあるとレポートした。
その実体験については、まさかの検証結果に立ち会えたこととなったので報告したい。
<名古屋駅での”しなの25号”をパチリ。勿論、自分はグリーンではなく指定席だったが、自由席でも全然座れそうだった。>
【そもそも論だが】
その前に、飛騨高山から長野県への移動に際し、アホみたいなルートを選択したオレがそもそもの間違いだったのだけどね。
そのアホな選択の結果が、負のスパイラルを呼んだのだけど。
<みてよ、このルート(笑)素直にアルピコさんとかの特急バスを使って高山から松本に出ていれば、こんなことにならなかったというのに。当日は目的便がガラガラだったという読みの甘さにガッカリ。これは結果論だけど、トホホですよ。何百キロ移動したんだろ。>
<素直に特急バスで松本へ向かっていたら、費用も距離も時間も1/3だったという皮肉・・・>
【負のスパイラルを簡単に】
そもそも論の続きになるが、普通に指定席制度のない特急バスで松本に出ていれば、JRで特急しなの3号を使うという選択肢はなかった。
しかし、指定席で安全に移動したいというという選択にするには、上述のアホルートを使って、翌朝にしなの3号を利用できれば、移動にスムーズだったわけ。
しかし、そのチケットが、過去ログのとおりチケットが取れなかったことによって、前日のうちに塩尻まで行って宿泊するという強行軍になったのだ。
この時点で、バスなら松本着17時過ぎで、列車なら塩尻の宿着が23時過ぎという5時間のロスがあることも知っていただきたい。
【負のスパイラルのトドメ】
名古屋発のワイドビューしなの25号で本来は恵那まで行くところ、塩尻まで行く羽目になったのは、しなの3号の予約状況のせいであることをこれまでご説明したとおりだ。
まあ、逆に我ながら塩尻まで動くという選択は、なかなかナイスアイディアだと自負していたのよ。
弱点は、塩尻駅からタクシーで数分というところに宿があるというところだけ。
塩尻なんて、アルプスの玄関口だし中央本線の分岐となる主要ターミナル駅だから、タクシーがゼロとは全く思わないじゃん?
そんなタクシー問題なんか完全に無視して安心しきっていたら、夜の9時半過ぎの駅のロータリーには東西出口に一台もいないではないか!!
メインの東口で頑張って15分弱待ってみたけれど、いるのは代行だけ。
我慢しきれず、大荷物を担いで徒歩30分ちょっとのホテルに倒れるように流れ込んだのだった。
【トドメのトドメが待っていた】
ホテルのフロントに「塩尻駅ってタクシーがいないんですね。夜の10時前だというのにビックリしました。」って皮肉っぽく言ってやったのよ。
勿論、そんなことホテル側には落ち度はないし、知ったことではないことくらい百も承知よ。
だけど、この悶々としたイライラを少しでも解決したくて思わず嫌味を言い放ってしまったよ。
そうしたらなんと意外な回答が。
「実は今日、この近くでケミストリーがコンサートやっていたみたいで・・・タクシーだけではなくて、周辺は軒並み宿も一杯みたいですよ」
なぬ~~~、なんてこったい。
ケミストリーぐらいのアーティストが長野や松本とかの大きな街ではなくて、塩尻ってことあるぅ??
しかもピンポイントで今日ですかい?
塩尻と何らかのゆかりがあるのでしょうか??
ケミストリーに罪はないが、ちょっと嫌いになりそう(笑)
まあ、これもスパイラルってことだよね。
宿泊代金を支払い、ルームキー(カード)を預かって、しょぼくれ状態で部屋のキーを差し込むが今度は一向に開かないのよ。
マジで勘弁してよ~って、またフロントに戻るオレ。
くたくたな上に、この負の連鎖に発狂したくなった。
こんな日を最悪な日と取るか、そんな日の予約が取れただけでも良しと考えるか、冷静にはいられない一日となったとさ。
【余談脱線スマン:しなの3号事件ってなんだった?】
翌朝の塩尻駅では、当然、名古屋からやってくる「しなの3号」が拝めることが出来るわけで、1番線で新宿行きのあずさを待っていたら、定刻から遅れること数分、6番線にヤツが入線してきた。
するとブッタマゲーのゲの状態がホームに展開される。
この写真で分かるかどうか不明だが、この列車を利用して指定席のすべてを占拠してツアーが組まれていた模様がすぐに理解できた。
そのしなの3号から降りてきた客の数が異様で異様で。
あっという間に塩尻駅の5・6番ホームがツアー客と添乗員らで埋め尽くされる。
その光景は、正直カオス。
シーズンがシーズンだけに、こんな状況も分からんでもないが、一ヶ月前にこんな数の席の予約を入れられたら、一般旅行客が指定席など買えるわけないわ。
悔しいというかなんちゅうか本中華・・・
<おまけのおまけ>
今回の一連のヤツ、悪夢の塩尻事件として大きく記憶に刻まれそうだが、一切塩尻市には全く関係のないことだ。
今回の旅で塩尻事件に泣いた俺だが、唯一救われたのは、交通マナーというか譲り合いの精神が素晴らしかったこと。
何があったのかというと、自分が泊まった塩尻のホテルから塩尻の駅まで歩いて30分くらいあって、その移動中に何回か信号のない横断歩道を渡るのだけど、そこで立ち止まって待っていたら、必ず止まってくれるのよ。(3~4回はあったよ。)
もう前夜があんな始末だったので、市民の皆さんの優しさには感動するばかり。
危うく塩尻という街が嫌いになりそうだったけれど、これでいいほうの思い出もできてよかったなぁと振り返っている。
(どれかひとつで結構ですのでクリックしていただくとありがたいです!励みになります!!)