前回に続き、神社参拝の意識を変えただけで、私を取り巻く現象(現実)が変化したことを書き起こさせていただきます。
二つ目の大きな変化は、昨年他界した父親を自宅で看取ることができたこと。
脳梗塞で倒れ、リハビリを頑張ろうとして、病院のベッドから転落。
大腿骨骨折で、ほぼ寝たきり状態になった父親。
千葉県に住む私。
一方、両親は宮城県在住。
コロナ感染拡大防止のため、父親が入院していた病院は首都圏からのお見舞い者は入ることができない状態。
世の中の動きを考えれば、ごくごく当たり前の対応。
同じ宮城県に兄夫婦は住んでいましたが、それぞれの生活があるので、兄夫婦だけには頼れない状態。
姉夫婦は神奈川県に住んでおり、私と同じ状態。
姉夫婦と我が家は首都圏からの移動になるので、体調が急変しても父親とは会えないことが確定!
最悪は、亡くなった後に再会を果たすことになる。。。
ここまで追いつめられると、どうやったら自宅で看病できるか?との思考が湧き上がる。
もちろん我が家のメンバだけで看病しようと思ったら、終わりの時期が見えない看病は、看病している側も共倒れになる!
ここから病院だけでなく、訪問介護スタッフさんなど、様々な方にサポートいただきつつ奇跡的に自宅で看取ることができたのです。
コロナでお見舞いに行くことができないという制約がなかったら、姉も私もここまで踏み出すことはできなかったかも知れません。
そう考えると、いろんな状況・制約がうまく噛み合ったとしかいいようがない出来事でした。
こういう理屈では証明できないけど、有難い現象が起きたのは、神さまのおかげとしか言いようがないというのが、母親を含め、我が家の結論だったので、ご紹介いたしました。
次回、三つ目に体験した有難いことをご紹介予定です。
楽しみにしてもらえると嬉しい限りです。
本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。