「雪あかりの路コンサート」を聴きながら色々なことに思いを巡らせた。そのほとんどが、私と小樽の人にまつわる内容であった。8703が北海道学芸大学在学時に小樽出身の相沢保正君と出会い、「アポロ男声合唱団」に誘われた。そこには指揮者として上元芳男先生がいらっしゃって、それを機に上元先生は8703の合唱の師として永くご指導を仰ぐことになった。
昭和37年、8703大学3年生の時に「アポロ男声合唱団」は全日本合唱コンクール全国大会に出場した。場所は東京文化会館、同館の杮落としの行事として開催された。もちろん、8703も一員として参加した。その時、共にステージに立った人が大道恒夫先生、長内 勲先生であり、他にも数名、今回のコンサートで確認した。
東京文化会館のステージで、8703と同じトップテナーとして歌った人に針生勝男氏がいた。数年前の秋、同氏のお嬢さんのコンサートで約40年ぶりに再会し、翌年春に小樽のコンサートでもお会いした。ところが、その数か月後に、彼は急逝した。筆舌に尽くしがたい驚きと悲しみであった。お元気ならば、きっと彼も歌っていたであろうに・・・。
アポロを離れてからも、小樽の人との出会いは続いた。8703が静修短期大学へ移り、合唱団の定期演奏会等でお世話になった中村 浩氏。岩見沢東高校時代、合唱部の夏合宿に坂下徹君と共に陣中見舞いに来てくれた北大生時代の廣原 誠氏。同じく岩見沢東高校で一年間合唱部顧問を共にし、8703が去った後を引き継いでくれた上に媒酌人までさせてもらった長枝明彦氏とそのご両親。
再び大学生時代を思い起こせば、一年後輩ながら大変お世話になった杉本守正君、彼は小樽潮陵高校に赴任し、合唱部の伝統を築いた。また、大学グリークラブの先輩である小山龍平氏など、8703の人生において忘れえぬ存在である人が多い。
そして今、高等学校三年次に同級生であった三浦 悟君が小樽の医師会、合唱界で活躍されていることは誠に嬉しいことである。これからも、8703と小樽との関わりは続くであろうことを確信して家路に着いたのである。
昭和37年、8703大学3年生の時に「アポロ男声合唱団」は全日本合唱コンクール全国大会に出場した。場所は東京文化会館、同館の杮落としの行事として開催された。もちろん、8703も一員として参加した。その時、共にステージに立った人が大道恒夫先生、長内 勲先生であり、他にも数名、今回のコンサートで確認した。
東京文化会館のステージで、8703と同じトップテナーとして歌った人に針生勝男氏がいた。数年前の秋、同氏のお嬢さんのコンサートで約40年ぶりに再会し、翌年春に小樽のコンサートでもお会いした。ところが、その数か月後に、彼は急逝した。筆舌に尽くしがたい驚きと悲しみであった。お元気ならば、きっと彼も歌っていたであろうに・・・。
アポロを離れてからも、小樽の人との出会いは続いた。8703が静修短期大学へ移り、合唱団の定期演奏会等でお世話になった中村 浩氏。岩見沢東高校時代、合唱部の夏合宿に坂下徹君と共に陣中見舞いに来てくれた北大生時代の廣原 誠氏。同じく岩見沢東高校で一年間合唱部顧問を共にし、8703が去った後を引き継いでくれた上に媒酌人までさせてもらった長枝明彦氏とそのご両親。
再び大学生時代を思い起こせば、一年後輩ながら大変お世話になった杉本守正君、彼は小樽潮陵高校に赴任し、合唱部の伝統を築いた。また、大学グリークラブの先輩である小山龍平氏など、8703の人生において忘れえぬ存在である人が多い。
そして今、高等学校三年次に同級生であった三浦 悟君が小樽の医師会、合唱界で活躍されていることは誠に嬉しいことである。これからも、8703と小樽との関わりは続くであろうことを確信して家路に着いたのである。