電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

また、真夏日。そして、短歌。

2004-09-20 09:59:29 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日は家族全員ぐったりしていた。1昨日の運動会でも疲れたが、それだけでなく、また、この2,3日、暑い日になったからだと思う。東京では、気象庁が東京・大手町で観測を始めた1923年以降、30度以上の「真夏日」が、過去最高だった2000年の67日に並んだという。大阪でも、1999年の88日のタイ記録となったらしい。息子は、運動会の時は、土埃と火山灰をすって、軽い咳をしていたが、朝になってさらにひどくなっていた。体温を測ったら、37.9℃だった。

 朝起きたときは、東京サマーランドへの遠足に絶対行くと言っていたが、さすがに体温計の温度を見て、諦めたようだ。病院が休みだったので、前にもらった薬を飲ませた。だから、昨日は、息子は一歩も外へ出ないで過ごした。布団に入って寝るほどでもなかったので、午前中はフレッツスクエアで「ポケモン」の映画を見、午後は「マトリックス」のビデオを見て過ごした。妻は、疲れたらしく、肩こりの薬を飲んで、ゆっくり昼寝をしていた。私は、息子に付き添い、一緒にビデオを見ていて、途中眠ってしまった。

 昨夜は、暑く寝苦しい上、息子はぜいぜい言いながら寝ていて、隣の私はなかなか眠れなかった。妻は、大丈夫よというのだが、今にも息が詰まりそうな呼吸の音を聞いていて、どうしようもできない自分の無力さのようなものを感じた。今朝、多少熱はあるようだったが、元気に起き、9時頃、従兄弟のところに出かけた。「ポケットモンスター エメラルド」を持って。

 私は、ひとりでゆっくりと朝刊を読む。江沢民引退の記事がトップを飾る今日の朝日新聞には「朝日歌壇」があった。島田修二選、佐佐木幸綱選、馬場あき子選と読んで、ふと気づけば、島田修二さんは、12日に逝去されているとのこと、この掲載文が彼の最後の仕事だそうだ。私は、俵万智さんの師であり、尊敬する万葉学者の佐佐木信綱先生の孫の佐佐木幸綱さんの選が好きだ。今週分の最初の3首。

輝々という名の桃が実家より届いて暑さここに極まる 
                          (横浜市)桑原由吏子
病みてもう用なき旅の案内誌めくればカナダかえでのもみじ 
                          (八王子市)相原法則
三日月が気づけば滲み揺らめいて泣くのかわたし泣くなりわたし                         (高岡市)鍋島恵子

 私の知っている人がそこにいた。そして、素直に、短歌はいいなと思った。彼はもう酒は飲めなくなっているに違いない。古ぼけた神楽坂の居酒屋で、児童文学についていろいろ教えて頂いた頃が懐かしい。確かそのとき、いつか、私も、短歌の勉強をしますと答えたのだが、まだ、短歌の勉強を始めていない。まず、ゆっくりと読むことから始めようと密かに誓った。「俳句 淀風庵」というWebサイトに「酒の詩歌句集」というのがあり、古今の酒についての詩歌が集められている。その中から、2首。

喉深く熱酣の酒落としつつ腹に沁みゆくまでのしばらく
           佐佐木幸綱著『遠ざかりゆく君へ送る歌』より
にわか雨を避けて屋台のコップ酒人生きていることの楽しさ
           俵万智著『サラダ記念日』より

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ロボット工学の「不気味の谷」

2004-09-19 10:11:11 | 自然・風物・科学
 アーノルド・シュワルツェネッガーが人気を得た作品『ターミネーター』という映画は、3まであり、とても面白い映画だった。私は、未來から送られた殺人サイボーグが、突然機械であることが分かる場面で、とても不気味な思いをした。特に、首が折れたままでも動き回るときなど、目を背けたくなるような不気味さを味わった。2003年の「ターミネーター3」は久しぶりの大ヒット作となり、アーノルド・シュワルツェネッガーの人気の衰えを払拭し、カルフォルニア州知事選挙への再度の出馬を成功させてしまった。ここでも私は、あの、グラマーな女性に変化するロボットが、時にロボットたる証拠見せるとき、不気味な気持ちを抱いた。
 
 この人間にあまりに似たロボットの「不気味さ」について、ロボット工学の世界では有名な説があることを、昨日の(9月18日)の朝日新聞の夕刊の「不気味ですか?『人間そっくり』」という内村直之さんの記事で初めて知った。東工大の森政弘博士が1970年に雑誌に「不気味な谷」と題する論文で発表した「予言」があるという。

……工業用ロボットより、おもちゃの人型ロボットの方が、親しみやすい。ところが、それ以上人間に似ると、「動く死体」を見たかのように気味悪く感じる。
 そこを通り越して、本物と見分けがつかなくなれば、気味悪さは感じようがない。
 つまり、人間にある程度似た姿と、見分けがつかなくなるまでの間に、親和感が大きく落ち込む「不気味な谷」がある。(朝日新聞)

 アイボなどを開発したことで知られるソニーの土井利忠さんは、「ロボットのキャラクターについてどのようにお考えですか?
」という問いに次のように答えている。

……例えばQRIOのデザイナーには「宇宙生物で8歳の子供」というヒントをだしました。あまり人間に近いデザインにしたくないと思ったのです。その背景にあったのが、日本のロボット工学の基礎を固められた森政弘教授による「不気味の谷」という考えです。これはデザイン的に人間に近づけていくと、あるところから急に不気味になってしまうというもの。だから、人間をイメージさせながらも、少し宇宙人的デザインにしたかったのです。


 土井さんは、森博士の説を知っており、それを前提とした上で、ソニーのロボットのキャラクターづくりを考えている。さらに、これをふまえて「広い意味で考えると、人型だけがロボットの進む道ではないのでは?」という問いに対しては次のように答えている。

……そうですね。ロボット自体は人型でなくてもいいですね。ただし、エンタテインメントロボットだと二本足で歩いているほうが、人に感動を与えます。人間は自分に近いものに対して特別な感覚を抱くという特性があります。脳の中にミラー細胞というのがあって、誰かがコップでお茶を飲んでいると、自分がコップでお茶を飲むときに興奮する細胞が興奮する仕組みになっているのです。そういうことがブレーンサイエンスのほうからもわかってきていて、エンタテインメントロボットにおいては二足歩行というのは重要なポイントです。

 今、ロボット開発企業が、「リアル」より「かわいい」を思考する背景には、こうした考えがあるようだ。確かに、アニメやCGでも、人間そっくりよりはデフォルメした方がヒットしやすい。そうでなければ、無意識のうちに人間だと思ってしまうようなレベルにする必要がある。ATR脳情報研究所のテリー・シャミナド研究員によれば、「見かけが人間に近いアニメの場合ほど、自然な動きに対しても、それを人工的な動きだと見なしやすい」という。

……シャミドナドさんは、「脳に、『動き』と『見かけ』を関連させながら鋭く関知するシステムがある」と見て、それが不気味の谷を生んでいるという。
 人間は、見かけがよりリアルなものに対して、「違和」への感受性が敏感になる、という特性を持っている可能性がありそうだ。(朝日新聞)

 私が、「ターミネーター」で時々感ずる「不気味さ」は、ある意味では、「ゾンビ」に対する「不気味さ」と同じである。そして、人が「ゾンビ」に対して不気味さを感ずるのは、人間の脳が成長過程で作り上げた「違和」への感受性の敏感さによるということになる。おそらく、「共感」することを拒絶されるような感じを抱くのだ。人間というのは、無意識のうちに、キャラクターに共感したり、反発したりしているのだ。そうすることによって、「違和」の感覚を形成していくのに違いない。実際、赤ちゃんは、「違和」を感じないそうだ。

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秋の運動会

2004-09-18 16:57:03 | 子ども・教育
 運動会といえば、10月10日ということに決まっていたが、10月10日が体育の日からはずされ、10月の第2月曜日を体育の日とすると決まってから、10月10日に運動会をするのが珍しくなってしまった。10月10日が体育の日と制定されたのは昭和41年で、昭和39年に日本で初めて開かれた東京オリンピックの開会式がおこなわれた日を記念して決められた。オリンピックの開会式が10月10日になったのは、この日付が、日本の観測史上いちばん晴れる確率が高かったからだそうだ。この特異日はいまでも継続中だそうだ。

 妻は、体育の日というより、10月10日にこだわっていた。昨年も9月の中旬の土曜日に運動会が予定されたが、二日続けて雨のため、運動会が1週間延期になった。予定が狂うのが困るというのだ。今年の運動会は、9月18日。次の日は、スポーツ教室で東京サマーランドへの遠足があり、今日雨だとそれにいけなくなる。息子はそれを楽しみにしており、だから雨だとパニックになりそうな雰囲気だった。幸い、今年は、天気がよさそうだった。

 朝、6時半に、花火が上がった。学校から歩いて2,3分のところにあるので、かなり大きな音が響く。今日も昼間は暑くなりそうだ。子どもの通う小学校は、1年生だけが4クラスだが、2年から6年までは3クラスなので、赤・青・黄の3色対抗チーム分けになっている。息子は、3年2組で、赤組である。家から運動着で行くのかと思ったら、なぜだか分からないが、普段着で学校へ行き、学校に行ってから運動着に着替えるようだ。妻に聞いても、理由は分からないという。そんなわけで、息子は、普段と同じように、8時に通学班の集合場所まで行き、みんなと一緒に学校に向かう。

 開会式が8時50分から9時15分まで。演技が、9時30分から14時まで。閉会式が14時20分から14時35分まで。我が息子は、午前は、プログラムで2番目の「80メートル走」、11番目の「○○オリンピック 金メダルはきみのもの」、午後になり、15番目の沖縄の民謡「エイサー」、最後の全員での「3色対抗大玉送り」に出る。午前の部の最後に「3色対抗代表リレー」があるが、事前の競争で3位だったということで、出られかったそうだ。そんなに、悔しくなかったようだ。

 私と妻は、開会式はキャンセルし、演技から見学。家を、9時25分に出る。私の小さな頃との違いは、父兄の見学者が少ないこと。昼は子どもだけで弁当を食べること。PTAの参加行事がなくなったこと。その代わり、長寿会の人たちの踊りなどがあった。また、来年度の新入生のかけっこもあった。要するに、運動場の周りに、子どもの控えの場所だけでなく、父兄の席が作ってあり、親戚を集めて、運動会に参加するという地域の行事(学校区)という性格が少なくなったことだ。しばらく前までは、運動会を平日にやっていたほどだ。最近になって、また、「地域との連携」ということがうるさく言われるようになって、休みの日に行われるようになった。ただし、日曜日ではないので、必ずしもいい日とはいえない。

 運動会という行事は、文明開化の時に西洋から持ち込まれたもので、日本で初めて行われた運動会は、明治7年海軍兵学寮で行われたものだと言われている。だから、運動会は当初は、軍事的性格を持ったもので、団体訓練をする場として利用されていた。しかし、その後各地に広がり、盛大で楽しいお祭色の濃いものへと変化し、明治40年前後には、そのプログラムも現代のものに近づき、地域全体のお祭へとなったようだ。私が小学生のころは、まだその面影が残っていた。運動会が終わると、「農繁休暇」になり、子どもたちも稲刈りなどの手伝いをしたものだ。

 昼には私と妻はいったん家に帰り、昼食を取り、また時間に合わせて学校へ行く。午前の「80メートル走」は、6人中5位、「金メダルはきみのもの」は団体戦で、6組中4位だったが、午後の「エイサー」はよかった。夏休みに作った締め太鼓を使った、きびきびした踊りだ。息子は、一番後ろで、(クラスで男の中で1番大きいので)、リズムに合わせて、大きな動作で、しっかりと踊っていた。生真面目な性格が表れた踊り方だと思った。運動会の演技が終わると私たちは先に家に帰った。子どもたちは、閉会式をやり、着替え、それから家に帰ってくる。

 息子が帰ってきたのは3時半頃だった。赤組は2位だったそうだ。黄組みが優勝したそうだが、息子は、黄組みはいんちきをしたと怒っていた。浅間山の噴火の灰の影響もあるかもしれないが、土ぼこりの中に、長い間いたせいで、のどを痛めていた。妻は、息子の踊りをほめていた。そして、みんなの中で一番上手だったと言った。息子は、その言葉に満足だったらしく、うがいをしてから、妻の運転で習字教室に行った。習字は実家の方にある教室で、習字が終わったら1時間ほど従兄弟たちとゲームをしたいのだそうだ。発売日の16日にアマゾン・コムに注文した『ポケットモンスター エメラルド』が昨日の夕方届いた。昨晩も、今朝も、中身を点検していた。忙しい1日だ。

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大都市圏に偏在する団塊世代

2004-09-17 09:26:54 | 生活・文化
 これからの時代は少子高齢化に向かうということが言われてきて久しいが、今まではどちらかというと実感がわかなかったような気がする。しかし、団塊の世代という巨大集団が2010年頃に定年を迎えるという事態が目の前に現れ、「少子高齢化社会」が突然出現しようとしている。それが、あまりに巨大な集団であるため、財務省所管の財務総合政策研究所が平成15年11月に「団塊世代の退職と日本経済に関する研究会」作り、そのまとめが今年の6月に報告書として発表されている。

……2010年頃までに、いわゆる「団塊世代」(1947~1949年生まれ)が60歳を越え、その多くが定年(法定下限60歳)による退職を迎えることにより、労働市場における労働供給減少(そしてそれによる技術・技能継承問題の発生、企業経営への影響、オフィス需要の減少等)をはじめ、貯蓄・消費の変化、金融資本市場への影響、ひいては日本のマクロ経済への影響や財政、税収等への影響を与えることが考えられる。そのため、これらのインパクトについて包括的に影響の試算、検証を行い、それに対する対応策やわが国の経済社会の在り方について議論を行う。(研究発足の趣旨)

 この研究会の結論は、次のようにまとめられている。まず、プラスの面としては、次の3点。

1 団塊世代に続く世代の昇進遅滞が解消される可能性
2 企業における賃金負担の軽減
3 時間消費型消費などの拡大の可能性
 さらに、マイナスの面として次の6点が指摘されている。

1 業種や職種によっては、大きな労働力不足や技能継承不全が起こる可能性
2 企業にとっての多額の退職一時金やその後の企業年金の負担
3 オフィスワーカーの減少による賃貸オフィス市場の更なる需給緩和
4 大都市圏に偏在する団塊世代の加齢による大都市の急速な高齢化
5 高齢化による家計貯蓄率の低下
6 労働供給の減少などによる経済成長率の低下、高齢化による財政・社会保障収支の悪化

 団塊の世代の退職問題は、「少子高齢化の問題を遠い将来の問題ではなく、間近に迫った問題として捉え直す上でも意義深い」ものである。しかし、これまでこの巨大集団が社会を支える側にいたのが、支えられる側に移るということは、意義深いということですませるような事態ではなさそうだ。「団塊の世代は、定年退職を迎えた後であっても、少子高齢化の進展で労働力が減少する社会にとっては、埋もれさせることのできない重要な人的資源」ということであり続けることができれば、救いもあるのだが。

 これから、じっくりと、自分も含めて、「少子高齢化」の意味を考えてみなければならないと思うが、ここで一つだけ気になったことがある。それは、マイナス面の4の「大都市圏に偏在する団塊世代の加齢による大都市の急速な高齢化」ということだ。これこそが、団塊の世代の特殊性なのかもしれない。私もその典型であり、生まれは岐阜県中津川市、島崎藤村で有名な木曽路の入り口である。それが、いま、埼玉県の西部に家を建て、東京まで通っている。

……戦後の結婚ラッシュ等にようるベビーブームで誕生した、いわゆる団塊世代(1947~1949年生れ)の出生数は約806万人にのぼり、2000年時点でも689万人と総人口の5%強を占めている。団塊世代は、1970年代前半に世帯形成が進み、第2次ベビーブームをもたらした。
 居住地分布から移動の動向をみると、団塊世代の三大都市圏の居住割合は、出生時には1/3に対し、世帯形成時にはおよそ1/2となっていた。
 現状では、団塊世代は高齢化比率を引き下げているが、65歳を超える2015年以降は逆に高齢化比率を引き上げる効果を持つ。(加藤論文)

 団塊の世代は、高度経済成長の主たる担い手であり、集団就職があったり、都市への企業の集中があったりし、20代後半には地方から東京を中心とした都市圏へ移動している。また、私も含めて、団塊世代の家族は、兄妹姉妹が多い。長男でも地方には就職先がなく、いわんや長男でなければ、地方へなど帰るあてもなかった。その結果、団塊の世代は首都圏に偏在してしまった。我が埼玉県などは、2020年に70歳以上の人口が2.5倍に増えるといわれている。ただ、首都圏では、団塊ジュニアが多いので、実働世代があまり減らないので、団塊ジュニアが60歳以上になる2035年以降のほうが大問題だともいわれている。こうした、世代間での人口構成のいびつな構造は、今後の「少子高齢化社会」にどうのような影響を与えるのか、注目していきたい。

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日本でいちばん有名な校長先生

2004-09-16 08:58:31 | 子ども・教育
 放浪の女流作家・林芙美子が通っていたという広島県尾道市立土堂小学校。そこの校長に昨年の4月になった、蔭山英男先生だ。蔭山校長は、前任の兵庫県朝来町立山口小学校での教育実践をまとめた『本当の学力をつける本』(文藝春秋刊)がベストセラーになり、家庭の主婦からも俄然注目されるようになった。我が家も例外ではない。蔭山校長の本は、大体買って読んでいる。

 そんな蔭山校長について、最近二つの記事を目にした。一つは、「朝日わくわくネット」のコラム「児童らの集中力にびっくり」という記事であり、校長になってから2年目の2学期の始業式の様子を見学した未来読者開発ディレクター・上島誠司さんのレポートになっている。もう一つは、月刊現代10月号に掲載された「百ます計算とサッカーの共通点」という横浜F・マリノス監督の岡田武史監督との対談である。

 どちらにも共通しているのは、「児童の集中力」は大人が少しちゃんと指導すればすぐたかまるとといい、そのために蔭山校長が力を入れているのは、「百ます計算」や「漢字前倒し指導」、「古典の音読」などのいわゆる「蔭山メソッド」といわれているものよりも、まず「体力・気力」を充実させることだという主張だ。ある意味では、「体力・気力」が充実してくると、いわゆる蔭山メソッドによる学力が確実に身につくのだという。

……「よく寝て、よく食べる」。本当に基本的なことなんですよ。でも現代はこの基本ができていないから、ここを直すだけで子供たちは見違えるように元気になる。体力がつくんです。ただ、その時点では、脳そのものは目覚めていません。ですから、生活面を整えて体力がついたところで、「百ます計算」や「音読」をやらせて脳をトレーニングしていく。そうすると子供たちの学力は一気に伸びるんです。土堂小学校の子供の知能指数は、たった1年で110近くまで上がっています。(「月刊現代10月号」P124・蔭山発言)


 それにしても、蔭山校長の実践を見ていると、国が教育改革と言っていることがすべて空々しく見えてくるのは、私だけだろうか。指導要領の内容を見直したり、教育制度を見直したり、はたまた教員養成の仕方を見直したりということは、確かに重要なことには違いない。そういうものは、時が経てばやがてボロが出てくるものだからだ。しかし、今本当に教育に必要なものは、「確かな学力」というより「確かな指導」だと思う。家庭も学校も国も、それぞれの立場で子どもに対する「確かな指導」が必要なのだ。

 蔭山校長の実践は、現行の教育制度でできることばかりだ。特別に新しい制度が必要ではない。家庭・学校・国の教育に関わる人たちが、もう少し柔軟に、もう少し真剣に取り組めばできることばかりだ。蔭山校長の新しさとすばらしさは、多分、誰でもできることを取り上げ、それを徹底させたことと、そしてそのことを自分で身を以て証明して見せたことだと思う。そして、教師というのはある種のスターであることを自覚し、それにふさわしい行動を取っていることだと思う。こういう校長先生を尊敬し、まねをする人がもっと出てもいいのではないのか。私も、自分の子どもともう少しまともに向かい合ってみたい。

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