お待たせしました!
やっと京の伏見の港にやってきました。
こちらは、三栖閘門宇治川側のゲートです。
結構は迫力で、近づくと全部がカメラに収まりません。
赤く塗られたゲート部分を見下ろすと結構こわい・・(左)ゲート越しに宇治川が見えます(右)。
いかつい施設の下に、クリスマスカラーのツタが絡みついて、和みます。
振り返ると、向こうの方に川側のゲートが見えています。手前は十石舟の船着き場。
さてそもそも三栖閘門とは何でしょう?
400年前、伏見城とその城下町が造営された際、大工事により宇治川の流れを北上させ、街中にも水を引き入れ、
城を囲う外堀としました。これが現在の濠川であり、琵琶湖疎水と宇治川をつないでいます。
江戸時代から明治時代にかけて、淀川の水運が活発になりました。
17世紀初めには角倉了以により京都二条から伏見を結ぶ高瀬川が開削され、宇治川、淀川を経て大坂までが水上交通で
結ばれました。伏見はその中継点となり、大いに栄えたそうです。
江戸時代の伏見港には、三十石船や高瀬船など、なんと2千隻もの船舶が往来していたといいます。
その後、時は流れ、伏見の街を水害から守るため、1922年(大正11年)、宇治川右岸の観月橋から三栖に堤防が築かれ、
宇治川と伏見港に段差ができてしまいました。それを解消するために作られたのが、この三栖閘門で、宇治川と濠川との
4.5メートルほどの水位差を上下させて調整し船を行き来させていました。
陸上交通が発達したことから、今は使われていませんが、2003年にこの周辺一帯が「三栖閘門と伏見みなと広場」
整備され、十石舟が濠川を行き来して風情を醸し出しています。
(月桂冠ホームページの内容を簡略化して引用させていただきました)
ということで、もう一度三栖閘門をごらんください。
宇治川側(左)と、濠川側(右)です。
広場のイチョウがほんの少し黄葉を始めていました。
同じく、広場に一輪咲いていたスミレ。
濠川側の閘門の手前には、広い港が広がっています。
濠川沿いは遊歩道になっていて、歩いていくことができます。
長くなったので、続きは明日・・・
(まだつづく)
【撮影:2019/11/9 伏見港公園】