僕達の小学校の頃は、まだ、貧富の差が今よりあった様に思います。「人生ゲーム」を持っている家は金持ちだとか、クーラーがある家は金持ちだとか思っていました。クーラーも「金持ちの家に行って、『クーラーにあたる』という感覚」でした。「レーシング・カー」を持っている家も金持ち感はありました。逆にクラスの名簿を見ると電話番号の横に(呼)という記号が書かれている家がまだありました。一クラスで三人位でしょうか。つまり、自分の家に電話が無いので、近所の家の電話番号を書いておいて、電話がかかってきたら、呼びに来てもらうのです。昭和42年頃の話です。うちの家は、父の仕事柄、電話がつくのは早く、向かいの家に電話がなかった為、「うちの電話番号が向かいの家の(呼)
」になっていました。向かいの家の子供が悪ガキで、電話を借りたついでに、うちの冷蔵庫から、何か食べ物を持っていった記憶があります。当時は兵庫県西宮の広田神社(阪神タイガースが毎年参拝する神社)の南に住んでいて、田んぼや畑もあり、野つぼや馬糞の山などもありました。近くの沼でアメリカザリガニ釣りをやったものでした。あの辺りも今では全く様変わりしていますが。僕の家に初めてクーラーがついたのは大学受験の頃でしょうか。昭和50年前後だったと思います。また、大阪万博の頃、テレビはカラー放送になり、新聞のテレビ欄にもカラーの番組は「カラー」という表示がついていました。うちがカラーテレビを買ったのは、中学の終わり頃だったと思います。

