お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「人生ゲーム」

2004年12月12日 | エッセイ・日記・意見
僕達の小学校の頃は、まだ、貧富の差が今よりあった様に思います。「人生ゲーム」を持っている家は金持ちだとか、クーラーがある家は金持ちだとか思っていました。クーラーも「金持ちの家に行って、『クーラーにあたる』という感覚」でした。「レーシング・カー」を持っている家も金持ち感はありました。逆にクラスの名簿を見ると電話番号の横に(呼)という記号が書かれている家がまだありました。一クラスで三人位でしょうか。つまり、自分の家に電話が無いので、近所の家の電話番号を書いておいて、電話がかかってきたら、呼びに来てもらうのです。昭和42年頃の話です。うちの家は、父の仕事柄、電話がつくのは早く、向かいの家に電話がなかった為、「うちの電話番号が向かいの家の(呼)」になっていました。向かいの家の子供が悪ガキで、電話を借りたついでに、うちの冷蔵庫から、何か食べ物を持っていった記憶があります。当時は兵庫県西宮の広田神社(阪神タイガースが毎年参拝する神社)の南に住んでいて、田んぼや畑もあり、野つぼや馬糞の山などもありました。近くの沼でアメリカザリガニ釣りをやったものでした。あの辺りも今では全く様変わりしていますが。僕の家に初めてクーラーがついたのは大学受験の頃でしょうか。昭和50年前後だったと思います。また、大阪万博の頃、テレビはカラー放送になり、新聞のテレビ欄にもカラーの番組は「カラー」という表示がついていました。うちがカラーテレビを買ったのは、中学の終わり頃だったと思います。
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借り難いロケ地

2004年12月12日 | テレビ番組
ドラマをやっていて、とても借り難い、ロケ地がいくつかあります。代表的なものは、「病院」「デパート」「学校」、そして「広いオフィスの会社(セットでは作れないくらい広い)」。だから、脚本で、そういった場所が出てくると、早目から探します。それでも、「病院」や「デパート」は遠いところになってしまう事も多いのです。「火葬場」は「友引」に借ります。「病院」や「デパート」が借り難いのは、「患者さん」や「お客さん」への配慮があって、なかなか撮影許可を頂けないのだと思います。特に「会社の広いオフィス」は横浜の方と、幕張の方で、休日に借りれるところがあるので、複数のドラマが同じところでロケをしているのが、放送を見ていると分かります。
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「EMMA(エンマ)」という写真週刊誌を知っていますか。

2004年12月12日 | 本・雑誌・漫画
今、僕が一週間で読んでいる週刊誌は四誌。「週刊現代」「FLASH」「週刊文春」「FRIDAY」なのですが、このうち、写真週刊誌は、ヌードとかが多くなって、最近はめっきり面白くありません。かつて「TOUCH」「FOCUS」という写真週刊誌もあり、「エンマ」を入れると五誌あったのですが、今は二誌。僕が好きだったのは、隔週刊誌時代の「エンマ」。週刊になって、つまらなくなりました。泉昌之のコラムがあったりして、面白かったのですが、ちょっと、マニアックだったのかもしれません。ちなみに、僕は「GORO」の最終号を保存しています。「GORO」も一時代を作りましたものね。
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インドツアーの終わりには・・・

2004年12月12日 | 旅・外国
9日間のツアーの最終日、ボンベイの空港にチェック・インに行くと、「エア・インディア」の飛行機が成田を24時間遅れで出発するので、明日の今頃来て欲しいという事になり、僕達は、「エア・インディア持ち」でホテルに泊まる事になりました。夜、レストラン・バーで生演奏を聴きながら、ボーイさんにチップを渡し、「ミスティ」を演奏して欲しいとお願いするとちゃんと演奏してくれました。感激でした。しかし、ギリギリのスケジュールで、インドに来ていたので、翌日は仕事。日本に国際電話を入れて、会社に事情を説明しようと、何度も交換手にお願いするのですが、何時間経っても繋がらないのです。とうとう頭にきて、大阪弁で、「早く電話を繋いでくれ」と、怒鳴ると、こちらが怒っているのは分かったらしく五分で会社と繋がり、やっぱり肝心な時には母国語というか、大阪弁で感情をあらわにしないといけない事を学びました。
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インドツアー

2004年12月12日 | 旅・外国
20代の時、ある大きな仕事が終わって、会社から、長い休暇を貰い、僕はインドに行く事にしました。しかし、インドという国を考えると、ちょっと、一人旅はつらいかなぁと思い、旅行社にツアーを申し込みました。「二人から催行」というツアーです。「二人」やったら、すぐ集まるやろとたかをくくっていたら、旅行社から電話があり、「今、現在あなただけです」と・・・。すぐに一緒に仕事をやっていた先輩に頼み込み、「二人で催行」になりました。ツアーは、現地ニューデリーの空港で、日本語の分かるインド人の添乗員さんが待っているとの事で、インドに着くまで、「結局何人で旅するツアー」になったのかが分かりません。ニューデリーに着き、通関(ここの係官は、僕のペンを使って、入管の手続きをし、そのペンを返してくれないので『This is my pen.』と主張し、返して貰いました。彼の前にはペンが山の様になっていました)を済ませ、空港の出口で、添乗員の方と会いました。「何人のツアーですか?」と彼に聞くと、「あなた達だけ」との事。ツアーの運転手を入れて、四人のインドの旅が始まったのでした。名所・旧跡で、添乗員さんが説明してくれているのを聞いて無いと怒られます。なにせ、ツアーの客は二人しか、いないのですから。これが20人位ツアー参加者がいると、聞くのをサボっていても、目立たないのですが。でも、不思議で面白いツアーでした。前日まで、泊まれないと思っていた「レイクパレスホテル」(昔のインドの王様が湖の真ん中に建てた宮殿がホテルになっているのです。007/オクトパシーのロケでも使われました)に泊まれたのです。もちろん、船でしかいけません。ホテルの中庭には、噴水もあって、それはそれは贅沢な気分を味わえました。
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ニュージーランドの「水炊き」

2004年12月12日 | 旅・外国
子供がまだ二人の時、ニュージーランドに行きました。北の島のオークランドに飛行機で着いて、そこからレンタカーで、南の島の「クイーンズ・タウン」まで南下しました。道には時たま、羊の死骸があって、それは何故ならば、向こうの人は時速140キロ位で走るのですね。特に夜などは、突然、羊が飛び出てきても、そこで急ブレーキをかけると事故ってしまうので、スピードを落とさず、羊には可哀想ですが、ひいてしまうのだそうです。それで、ここからが本題なのですが、クイーンズ・タウンという本当に綺麗な街で、日本料理店に入り、「水炊き」を注文したのです。そしたら、「水炊き」の「白菜」の代わりに「キャベツ」が入っていました。この地で、「白菜」を手に入れるのは難しいのかも知れません。「キャベツの水炊き」は、残念ながら、それほど美味しいものではありませんでした。
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ナイロビの日本料理店の氷の話

2004年12月12日 | 旅・外国
実は、当時(15年位前)のナイロビは、夜になると治安がもの凄く悪く、道の街路樹から、強盗が降ってくるような町でした。だから、晩ご飯を食べに行く時も、ホテルから店までタクシーで行かざるを得ない状況でした。その日は、ナイロビの高級ホテルの隣の日本料理屋に行きました。まず、ホテルの前で降りると、ホテルの入口の横に、「朝日新聞」があるではないですか。「活字中毒」の僕には放っておけない存在。買おうと思い、値段を見ると一部3000円なんです。迷いましたが買ってしまいました。そして、隣の日本料理店へ。料理を食べ、食後に「ウィスキーの水割り」を頼みました。ここまでは良かったのですが、飲んでてよく、中に入っている「キューブ・アイス」を見ると、その一つの真ん中にハエが凍って入っているではありませんか。すぐに、店長を呼び、そのことを言うと返ってきた答えが「それは多分、凍った時に紛れ込んだものでしょうね」と、全く動揺することなく、当たり前のように言われ目が点になりました。もちろん、新しい水割りに換えてくれましたが。人間の生きるパワーを感じてしまいました。
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マカオのカジノ

2004年12月12日 | 旅・外国
ちょうど、僕が香港に行ったのが、中国への変換一年位前で、当時ポルトガル領だったマカオの治安は最悪でした。いつ、弾が飛んでくるか分からないと香港の人に言われたのですが、次、いつマカオに行ける機会があるか分からないので、マカオツアーに参加しました。沢木耕太郎の「深夜特急」の第1巻の終わりの方に出てきますが、マカオでもっとも高級なホテルの地下一階に、カジノがあり、僕はそれを見たくてマカオに行きました。そのホテルの地下には高級ブランド品店の並びに確かにカジノがあったのですが、たくさんの綺麗な女性がその地下街を歩いているのです。僕は突然おしりを触られました。つまり、カジノで勝った客が上のホテルに連れ込む娼婦達だったのです。さすがに、僕でも、広東語も使えず、カジノに入る勇気はありませんでした。でも、その女性達の姿は今でも鮮明に記憶に残っています。金のある所に、いろんな人が群がるんだなぁ~、と感心しました。そういえば、ケニアの首都、ナイロビのスタンドバーでも、娼婦に声をかけられた事があります。彼女曰く、「子供がたくさんいて、お金がいるんだ。だから、こんなことをやっている」と。本当か嘘かは知りませんが、早々に退散しました。
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香港の鍋料理屋

2004年12月12日 | 旅・外国
香港と有名な「鍋料理屋」に行った事があります。香港には、当時友人が二人いて、彼らに連れて行ってもらったのです。一階の入口に生きた食材が水槽のようなものに入っており、そこから、まず食べるものをチョイスします。そして、二階へ。混んでいて、しばらく並びます。店員さんが「席が空きました」というので、ゾロゾロついて行きました。当然のごとく、そこには、「前のお客さんが食べた鉄鍋やお皿や残った料理」がありました。店員さんは、それを白い布のテーブルクロスで全部包み、持って行ってしまったのでした。ビックリです。そして、新しいテーブルクロスを敷きに来て、鍋や料理を運んで来始めました。広東人は凄いなあと思いました。小ネタですが、香港の中での電話代はいくらかけても同じって知っていました?だから、八百屋やおみあげ物屋の店先など、街のいたる所に電話が置いてあって、現地の人はそれで電話をかけるのです。もう一つ、電話ネタです。携帯電話の通話料は、「電話をかけた人」と「電話を受けた人」の折半になっているのです。国によって面白いですね。
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