お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

あなたは、いつから「死」を考えましたか?

2004年12月29日 | エッセイ・日記・意見
僕は小学校の時、「塾」に通っていて、10歳とかに「死」を考えていました。当時、まだ、受験戦争が始まる初期で、クラスで塾に通っている子供は45人中、3人位でした。夏休みも「塾」の補習に追いまくられ、「心の出口」を無くした僕は、塾からの帰り、夜、塾の最寄の駅へ歩きながら、空の「オリオン座」を見ながら、「死」を考えていました。今、周りの人に聞いても、そういう人はなかなかいないのですが、その時、考えていた「死」が現在の「鬱病」や「強迫神経症っぽい性格」に反映されているのではないかと思います。「死」は「いかに生きるか」に繋がります。これからも人生を大切に考えて行きたいと思います。
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少年犯罪、「加害者の家族」

2004年12月29日 | 家族
もちろん、少年犯罪であっても、加害者が悪く、被害者とその家族に同情が集まるのは、当たり前のことだと思います。だけど、「加害者の家族」、特に加害者が未成年の場合、親は当然、教育等の責任があるのですから、ある程度の責任は生じるとは思いますが、加害者の兄弟・姉妹などは、実はその事件で、つらい思いをしていても、本人たちに何の責任も無いのではないでしょうか。ドラマにならないかと、企画書も書いたのですが、やはり、被害者と被害者の家族がいる限り、なかなか微妙な問題で、ドラマ化はできませんでした。東野圭吾が「手紙」で、加害者の家族を描いていて、思う事は一緒なんだなあと思いました。ドラマ作りには、何がしかの枠組みが要ると思います。以前も書きましたが、それが「戦争」だったり、「韓国」だったり・・・すると思うのですが。というのは、「恋愛」だったり、「家族」だったり・・・は、ドラマより現実のニュースの方が劇的な為、なかなかドラマの企画として、成立しにくいのだと思います。あとは、「人間の生死」に関わる事ですね。「病院もの・病気もの」が確実に視聴者の心を捉えるのは、そこに「命・・・そして、死」があるからだと思います。
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都会の中の「小さな旅」

2004年12月29日 | 旅・外国
東京の「鶴見」という駅から、鶴見線というのが出ています。この線の終点、「海芝浦」という駅には、二つの特徴があります。一つは、ホームの真下まで、海が来ている事、もう一つは、一般の人は駅を降りてもそれ以上どこにもいけないという事です。なぜかというと、この駅は「東芝」の工場に勤める人の為に設けられている駅だからです。でも、海がホームのそばまで来ている駅は少なく、気軽にいけるので、「都会の中の小さな旅」として、お薦めです。僕も一回行ってみました。改札口を出ても、いくところが無く、また、切符を買って帰路につくのが、またまた、「侘しくて」良いのです。
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