お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「世田谷区桜」と「千葉県佐倉」

2004年12月21日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
夜中に飲んでいて、「世田谷区桜」に住む人を送って自宅に帰ろうと思って、タクシーを止め、「世田谷区桜」経由の××というと、運転手が驚いて聞き返してきたので、そのルートでお願いしますと言って、タクシーに乗りました。うとうとしていて、ハッと目を覚ますと、タクシーは
「東関道」を走っていました。最初は寝ぼけていたのか、「世田谷区桜」に行く抜け道でもあるのかなぁと、バカな事を考えましたが、運転手さんにちゃんと聞くと、「千葉県の佐倉」に向かっていました。そこでメーターを止めて貰い、隅田川をもう一度渡って都内へ。結局、自宅に帰りついたのは、タクシーに乗って二時間後で、フラフラになりました。全然話は違うかもしれませんが、「下高井戸」を「下田街道」と聞き違えませんか?僕だけでしょうか。
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「消耗させるメディア」と「育てるメディア」

2004年12月21日 | テレビ
映画に出て、その映画が興行的に失敗しても、出演者への「世間のイメージ」はそれほど変わりません。ところが、連続ドラマで主役をやり、これが視聴率的にこけると、この主演俳優は相当なダメージを受けてしまいます。また、ラジオはそういった、具体的数字が恒常的にある訳ではないので、ダメージを受けるというより、育てられるメディアだと思います。バラエティーも含め、テレビは消耗するメディア、映画は、ダメージが少なく、俳優に「箔を付けるメディア」、そして、ラジオや雑誌、書籍は「育てるメディア」という事が言えるのではないでしょうか。テレビの中で、長年、消耗しないで、出続けられるという事は、かなりのパワーとセンスを持った天才に近い存在だと思います。
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「大きなウソ」と「小さなホント」

2004年12月21日 | テレビ番組
ドラマ作りで、大切にしなければならない事があります。それは、「大きなウソ」をついても良いが、「小さな事はホント」でなければならないという事です。つまり、ドラマの場合、ディテールで嘘をつくと、視聴者が冷めてしまうのです。逆に「大きなウソ」は、それがストーリー的に許せるなら、「感情移入」が出来るのです。「時代劇」や「韓流」や「太平洋戦争」を扱ったドラマ等がそうですね。「韓流け」というパッケージに包まれているから、あの「冬のソナタ」の様な「恋愛ドラマ」が成り立つのですね。日本で同じシチュエーションで、あのストーリーをやると、「嘘やぁ」になってしまいます。「時代劇」でも、実際にその時代を忠実に描いている訳ではなく(「水戸黄門」があんなに漫遊するはずもなく)、ただ、「時代劇」という「大きなウソ(フレームといった方が良いかもしれません)」の中に、「人間ドラマ」がちゃんとあれば、視聴者は引かないのです。だから、現代は「恋愛ドラマ受難の時代」と言えるでしょう。「恋愛ドラマ」は、何か「障害」を乗り越えて、二人が結びつく・・・というのが基本的パターンですから、現代で、その障害を見つけ出すのは非常に難しい事だと思います。キムタクや織田裕二くらいのキャストがくれば、それはそれで。ドラマというより、一時間の「キムタクのプロモーションビデオ」という事で成立してしまうのですが・・・
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