国民栄誉賞って、どうなんでしょう。「時の政治家」の道具に使われている気がとてもします。1989年2月9日、僕の敬愛する漫画家・手塚治虫さんが60歳で亡くなられました。同じ歳に、あの美空ひばりさんも亡くなられているのですね。どちらが偉いという事ではなく、ひばりさんには、国民栄誉賞が与えられて、手塚さんには、与えられないのは・・・「国民栄誉賞」なんて、どうでもいいと思いつつ・・・おかしい事だなあと思いました。僕は、1985年、手塚治虫さんの番組をやって、前年の暮れに、高田馬場にある手塚プロダクションの狭い応接室で、手塚さんを待っていました。
「お待たせしましたねえ」という優しい言葉と共に、手塚治虫さんは入ってこられ、打合せをし、後日、宝塚から、大阪・四ツ橋の電気科学館、そして、道頓堀の松竹座とロケに付き合って下さいました。手塚さんはこう言っていました。
僕の漫画は『宝塚』という洋式の「ハイカラさ」(宝塚歌劇の影響が「リボンの騎士」に出ていますよね)と、『大阪』の「泥臭さ」が混じり合って出来ているんだよ」とおっしゃられていました。ついでに言うと、僕の思うに、「とても真面目な話になると、笑わせたくなる」という大阪人の習性が、「ヒョウタンツギ」や「オムカエデゴンス」を生んだのではないかとにらんでいます。1989年2月9日は、ぼくにとって、とてもとてもショックな日でした。「火の鳥」の結末が見たかったです。
ちなみに、「手塚治虫さん」と、僕の大好きな小説家「筒井康隆さん」は、どちらも、「宝塚ホテル」で結婚式を挙げられております。僕も十数年前、「宝塚ホテル」で結婚式を挙げました。来客の皆さんには、大阪市内から遠くて、御迷惑をおかけしましたが、どうしても、あのホテルでやりたかったのです。



