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お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

一万年後に地球が存在していたとして・・・

2004年12月18日 | テレビ
僕達が今、録画しているテレビ番組や、子供の運動会のビデオテープやDVDが地中から発見されたら、その時代の人はどうするのでしょう。技術が進歩していて、テープなどの中身が未来人に見られたら・・・彼らから見て一万年前の人は、こんなに「時間を浪費していた」と思うのではないでしょうか。いくら、ビデオにとっても、見る為には、録画と同じだけの時間がかかるのですから。なんか、録画媒体に僕達、振り回されている様な気がしてならない、昨今なのです。もっと、「人間」として、やらねばならない事があるのではないかと考え続けて、早何年になるでしょう。全く、「情報の入って来ないリゾート」があれば、そこに引きこもってみたいものです。「情報が数字で表わされるから、どんどん、今の日本はおかしくなっている」、そんな気がし始めています。それはテレビ局で言うと、「視聴率」や「営業成績」、メーカーなどは「販売量」でしょうか。「情報」と「数字」に振り回されている現代です。
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新聞が郵便で来る!

2004年12月18日 | エッセイ・日記・意見
これもまた、母方の実家の話なのですが、地元の「山陽新聞」は宅配があり、ちゃんと朝、配達してくれる様ですが、全国紙を取ろうとすると、「新聞は郵便で来ます」。特にうちの田舎は結構不便な所なので、多分、全国紙が宅配をしていては、採算が合わないのだろうと思います。新聞に帯がしてあり、そこに2円くらいの切手が貼られ、届け先の住所の家に昼過ぎに届きます。と言う事は、午前中のテレビ欄は意味の無いものになってしまいます。ここ何年も実家に行っていないので、今の状況は定かではありませんが・・・
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お客への対応はとっても大事。

2004年12月18日 | エッセイ・日記・意見
新宿には、「ヨドバシカメラ」「さくらや」「ビッグカメラ」と電器量販店ありますが、僕の私見(私見は、僕の意見に決まっていますが)では、「ビッグカメラ」がいちばん良いようです。ちゃんと店員さんの教育がしっかりしているのでしょうか。何か探していると、気持ちの良い位、ちゃんと声をかけてくれて、スムーズに買い物が出来ます。反対に「ヨドバシ」は、こちらが探したかったり、商品情報を聞きたくても、店員を見つけるのに一苦労。本屋にもこれは言えて、最悪は「紀伊国屋書店」です。「旭屋」や「ブック・ファースト」(どちらも関西系)の親切な事。こうした事が積み重なっていくと、お客は減っていくと感じました。やはり、お客さんを見ていて、的確な情報を与え、そして、気持ち良く、買い物をさせるにはどうしたら良いか、日夜考えて行くべきだと思いました。
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新・羽田空港に行きました。

2004年12月18日 | エッセイ・日記・意見
僕はANA派なので、昨日・今日との出張で、初めて、羽田空港の新しいターミナルに行って来ました。感じは、関西国際空港っぽかったです。慣れていないので、搭乗口までは戸惑いましたが、機能的には充実していて、京浜急行を降りた所に、チェックインの機械がたくさん並んでいたり、人間の動きを考えた作りになっていたと思います。空港とか駅が好きなので、ちょっと興奮してしまいました。それにしても、最近、飛行機や電車に乗るとすぐ意識不明の様に、寝てしまうのは何故なんでしょう。師走で疲れているのかなあ。なかなか、一冊の本を読了できません。
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スポーツ中継の変化(プロ野球・マラソン編)

2004年12月18日 | テレビ
知らない世代も多くなってきていますが、まだ後楽園球場があった当時、「プロ野球の基本の画」は、バックネット側から、ピッチャーを向いていました。僕達は、そのアングルで、長い間、プロ野球を見ていました。ところが、いつのころか・・・平成になったころでしょうか・・・「基本の画」が今の「センターからピッチャーの向こうにバッターがいる画」に変わったのでした。確かにその方がヒットやホームランの時、臨場感が出るし、今の画の方がライブという感じなのですが、多分「キャッチャーのサイン」がテレビに映るので、このアングルになかなかできなかったのかもしれません。今、野球中継は大体13台のカメラで撮っていますから、いろんなアングルから見えて、しかもディレクターが「ドラマ」を作ってくれていて、良いと思います。「アテネオリンピックの野球中継の国際映像」は最低でしたものね。何の意味もなく、長々と観客を撮ってみたり・・・ギリシャでは野球中継が普段ないのかなあ~?それと、今年のワールドカップバレーをTBSとフジが中継したのですが、TBSの中継の下手さ加減にうんざりしました。こちとら、選手の表情を前から見たいんだよぉ、と思わず叫んでいました。スロー再生を入れる回数も少なくタイミングも悪く、やはり、たくさんの試合を中継しているフジの画面を見ていると、ちゃんとした「ドラマ」を「バレーボール中継」でやっていました。最高。マラソンの方の転機は、10年位前の「大阪国際女子マラソン」の関西テレビの中継でした。バイクにカメラを乗せ、三位くらいの選手の後ろから、1カットで、トップを走る選手まで、一気にバイクで追い上げ、トップを走る選手と後続との距離感と、ライブ感を上手く表現していました。この手法は、他局のスポーツディレクターも関西テレビの中継を見ていたのでしょう。その後、当たり前の様に使われる様になりましたが・・・最初にやった関西テレビのディレクターは偉いと思います。
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週刊少年マガジン

2004年12月18日 | 本・雑誌・漫画
週刊少年マガジンは、夏になると、表紙を開けた所にあるグラビアで、「即身仏」とか「カタコンベ(宗教上の理由で、、生きながら、ミイラになった人達の遺体が並ぶ地下墓地)」の特集をやっていて、それを見て僕は、怖くて三日間位、熱を出した事があります。これも、母方の実家での話です。夏には、今は無き、「宝塚ファミリーランド」で、必ず「ゲゲゲの鬼太郎展」が開かれたみたいに、「マガジン」も夏は、「怖いもの特集」を載せると売れたんだと思います。でも、僕は、小さい頃から、「死」に興味があったせいか、どうしても、そのページを見ないと気が済まないのでした。今でも、海外に行くと、「カタコンベ」には、必ず行きます。変な奴ですね。
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てんぷら屋さん

2004年12月18日 | エッセイ・日記・意見
うちの母方の実家は岡山なのですが、僕が子供の頃はまだ蒸気機関車が走っているという田舎で、おじいちゃんの家まで、いちばん近い駅からでも四キロありました。当然、舗装道路ではなく、駅からタクシーで、砂埃をモウモウとたてて、おじいちゃんの家まで行きました。風呂は薪と、浴槽の中に入れた「練炭の入った防水火鉢のようなもの」で、沸かしていました。おじさんと夜中にの前を流れる「旭川」に川魚釣りに連れて行って貰った事もありました。カーバイトと言って、多分、僕より若い人は知らないと思いますが、液体状のものを二箇所から一点に向けて放射し、そこで火を燃やして、照明にするというものでした。僕らが夏泊まりに行くと、座敷に「蚊帳(かや)」をぶら下げ、その中で寝ました。勿論、蚊に刺されない為の、立体型の網目のカーテンといったものでしょうか。実家の横は、の墓地で、実家の便所が、その墓地のすぐ横にあったので、夜、おしっこに行く時はとても怖かったのを憶えています。汲み取り式で、「アンモニア」の臭いが鼻につき、お尻を拭くのも、いわゆる「落とし紙」でした。便所の穴の中から、隣の墓地の死んだ人の手が出てくるんじゃないかと、さっと、行って、蚊帳に飛び込みました。電話はに一回線。最初に行った頃は、電話に、廻す手みたいなものがついていて、それで交換手を呼び出し、電話をしていました。一回線しかないのですから、20世帯暗いるうちの一軒が電話していたら、他の家は電話をかけられない状態でした。テレビの画面の前には、難視聴地区のせいか、青い細かい網の目の薄い板が取り付けられていました。ヤギを飼っていて、よくおばあちゃんに「ヤギの乳」を飲まされたものでした。これが臭くて、なかなか飲めないのです。最後は、おばあちゃんが牛乳瓶に移し変えて、「牛乳だよ」と言って飲まされたのですが、すぐヤギの乳と分かりました。さて、タイトルの「天ぷら屋さん」とは・・・一日一回、その辺りのを回ってきて、いろんな食品・日用品を売るおじさんでした。最初は「自転車」で来ていましたが、途中から、車になりました。子供の僕と妹にとって、「天ぷら屋さん」が来て、何か買って貰うのが楽しみでした。今は、どうなっているのでしょう。への道も舗装され、人々も、近くの町のスーパーに行く様になったのかもしれません。の真ん中を小川が流れていて、僕の小学校に入る前(昭和40年位)は、その小川での主婦は洗濯をしていたのですから。
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東京湾で、火傷

2004年12月18日 | 旅・外国
ある番組のスタッフに誘われ、数年前、東京湾に釣りツアーを八月末に敢行しました。天気は晴れ。いつもは陸の方から見ている風景を東京湾の方から見てみると、あのビル群の中で、みんな働いているんだ・・・なんて、優越感を持ちつつ、心地良い風を受け、「最高やなあ」と思っていると、船は止まり、釣りが始まりました。僕は虫がダメで、餌の虫を付けてもらい、釣り糸を垂れるのですが、さっぱり魚はかからず、羽田空港の飛行機が離陸する下まで言ったのですが、釣果は無し。あらかじめ用意されていた「魚の天ぷら」を食べながら、ビールを飲みました。海の照り返しって、きついのですね。暑くて、裸になっていたら、完全に火傷しました。夕方に田町の港に戻り、雨も降ってきたので、雨宿り代わりに麻雀をして、帰りました。でも、東京湾とはいえ、自然の中にいるのは、いいですね。
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松原みきの死

2004年12月18日 | エッセイ・日記・意見
彼女の「真夜中のドア」という曲を好きな友達がいて、こないだ新聞を読んでいたら、死亡欄に載っていたので、驚きました。僕と同い年なのですね。死因は癌。僕と同世代の人しか、憶えていないかもしれませんが、自分と年齢が近かったり、自分の青春時代のアイドル的存在だったり、面識のある人が亡くなるのは、ショックで悲しいものです。僕は昔から、新聞は、まずテレビ面を見て、それから、死亡欄を見ます。このブログの「墓地」のところでも書きましたが、知っている人の名前が載っていると、いろんなことを考えさせられます。残った家族、その人自身の残した事・・・お酒とかを何度も一緒に飲んでいる人が今年亡くなりました。通夜と告別式の手伝いに行ったのですが、出棺前、家族の方に続いて、眠るような死に顔を見て、涙がとめどなくあふれました。「もっと、お話ししておけば・・・」と、強い後悔が残りました。夏の暑い暑い日でしたが、僕の心は冷え冷えとしていました。なんか、自分の周りにいる人は、いつまでもいてくれるような気で生活していますが、突然、いなくなるものだという事を心に刻み付けられました。父の死の時は、喪主をやっていて、告別式が終わって、しばらく経ってから、心に悲しみが次第に深く突き刺さるように感じられました。一日一日を誰に対しても、誠意を持って接していかないといけないと思います。
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コンビーフの開け方

2004年12月18日 | 料理・飲み物・食べ物
コンビーフが大好きです。しかし、カロリー高そうだし、最近は食べて無いので、これから言う事は起こりませんが、かつて子供時代によくやったことがあります。コンビーフって、ねじ回し(鍵)の様なものがカンの上部にあり、それを外して、コンビーフのカンの横にある出っ張りに、ねじ回しの穴通して廻していくと、カンが開く仕組みになっていますよね。僕は不器用で、これを途中で切ってしまい、コンビーフをなかなか食べれないという状況になったことありません?なんで、コンビーフだけがああいう開け方をするのでしょう。ちょっとした疑問です。
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