苗場山麓ジオパークのお勉強その2
河岸段丘広がる中津川下流域から一転、中津川中流域はまさに地滑りの巣。
中津川中流域の両岸は、鳥甲山と苗場山の火山噴出物で埋め尽くされている。
下図の第四紀段丘礫層と表示されている部分が、信濃川と中津川によって作られた河岸段丘のある場所。
鳥甲山の火山活動は、70万年前以前。苗場山の火山活動は50万年から30万年前で四期に渡り、第二期の熔岩流が現在の龍ヶ窪付近まで到達した。
龍ヶ窪の水は、苗場山の溶岩に浸み込んだ雨水が、約40年かけて溶岩末端崖から超軟水として湧き出したもの。
毎分18~30トン湧き出し、1日で池の水がそっくり入れ替わるほど。
(ちなみに、水の年代を調べるには、含有するトリチウムの量を測定し、トリチウムの半減期をもとに推定するんだと・・・合ってる?)
中津川は、一度苗場山の火山噴出物で一旦完全に埋め尽くされた後、下方浸食により流域の火山噴出物を削り取って、今の流れになった。
(図は、津南学vol.4から無断で拝借。ごめんなさい。)
龍ヶ窪
第三紀基盤岩類の魚沼層群は、太古、海だった頃に堆積した地層で、柔らかい。その上に、鳥甲山と苗場山から流れてきた溶岩が固まって硬く重くなった安山岩がのっかったもんだから堪らない。ずるずると滑りやすい地滑り密集地帯となった。
地滑りは、地中の深いところから大きな塊として地盤がズルっと滑る現象で、その結果、発生域を取り囲むように急な崖=滑落崖ができ、滑り落ちた土砂は、下に溜まって広大な緩斜面=地滑りブロックを作る。
笹葉峰の西側の、まるでスプーンでえぐったような地形が、超大規模な地滑りの跡。
見玉の2kmほど下流から上流方向を見る。
見玉集落が地滑りブロック上にあることがわかる。
笹葉峰の北側から見玉集落越しに石落としを見る。
見玉公園から石落とし
見玉・穴藤・結東・見倉・前倉・屋敷・切明といった集落は、皆、地滑りブロックによる緩斜面の地に人々が定住してできた。
見玉上空付近からみた上流方向。
清水川原は、鈴木牧之が秋山郷の入口と紹介した集落。
ここは、地滑りブロックより下の、文字通り中津川の川原にある。
そこから見上げる大嵓も見ての通りの滑落崖。秋の紅葉の時期が素晴らしいとのこと。今秋にでも。
石落としの柱状節理は、苗場山熔岩流単独だが、大嵓は、下に鳥甲火山熔岩流と、上に苗場火山熔岩流の2段の柱状節理になっている。
間には、火山灰などが降り積もった谷上ローム層がはさまり、3段の紅葉になる。2つの柱状節理の違いも見物だとか。
鳥甲火山熔岩流の下の地層も魚沼層群であるとの記載を見つけた。
3番目の図の苗場山の北西側に広がるカルデラ地形。
噴火で陥没したカルデラではなく浸食カルデラというんだそうだ。
苗場山の山頂方向から、硫黄川と小赤沢川が流れ下って中津川にそそぐ場所。
この川の両岸が地滑りで陥没し、カルデラ地形を形成している。
とりあえずここまで。
続く。
間違いがあったらご指摘ください。
言い回しが、そのままに近い部分もあるので、著作権侵害とか、ちょっと心配してますが・・・。
図もかってに使ってるし。いいのかなぁと思いつつ。
でも、とても興味深い内容で、入院の退屈な時間をそこそこ有意義に使えました。演者さんに感謝です。
河岸段丘のでき方も、今まで知らなかった形成過程があることを知りました。纏められるかどうか?
滑落崖の落差を利用した発電。あれの事かな?と興味が膨らみます。
続く・・・予定です。
また戦前からこの滑落崖の落差を有効利用して発電に活用した先人の着眼点にも感心するばかりです。
入院中の暇つぶしに、ミニ図書館で勉強しましたが、理解不足や、誤って認識してることもあるかと思います。現地の資料館で確認しなきゃってことも多々ありますので、あくまでシロート地学であることを頭の隅において読んで下されば幸甚です。💦