本日は、駒川の自宅マンションから大国町(今宮戎駅前)の事務所まで、自転車で。
最短経路は、昔のチンチン電車・南海平野線の線路伝いでとなります。
あべの斎場前から昔のチンチン電車道の坂道で、飛田までおります。そして、大阪ロータリーから堺筋を北上します。
飛田では、堺筋に出るのではなく、街中を通ってみました。
日本最大の売春地帯です。旧赤線地帯です。
写真とったらあかんよ。ジェスチャーで✖を出すやり手ばばあ。
どこの売春小料理屋でも、玄関に売り物の女の子を座らせます。
入口手前には、やり手ばばあが。
異様な雰囲気です。
私は、この町のお世話になったことはありません。
中学校の時、社会科クラブの部長をしていました。
中学3年生の時、ブロック大会で、69年の歴史に幕を閉じる南海電車平野線。というテーマで研究発表をしました。
その中で、飛田通いが盛んだったころ、南海平野線は、2両編成で運行されていたと説明しました。
その時、飛田通いは何ですか。と質問されたらどうしようかハラハラしていたのを今でも覚えています。
ませたガキではなかった私は、飛田通いの意味が分からなかったからです。
平野線の沿線には、飛田駅があったのは知っていましたが、しけた駅だったからです。
駅前に商店街があるわけでもなく、さびれた街に、2両編成にしないといけないぐらいの人がなぜ押し寄せたのか、
全く、想像がつかなかったからです。
家で母に飛田通いの意味を聞いても、そんな言葉聞いたことがないと言います。父に聞いても、教えてくれません。
学校の職員室で、片っ端から先生に聞いてみたことがあります。
女の先生は、母と同じリアクション。飛田通いという言葉は聞いたことがないと言います。
男の先生は、ニタリとしますが、教えてくれません。
本当に、困ってしまいました。
ブロック大会では、だれからも、飛田通いって何ですか。
と聞かれなかったので、ほっとしたのをいまだに覚えています。