石見畳が浦を見たあと、下府駅から、三次行に乗車。
11時53分浜田始発。12時34分江津発ですが、江津からの乗車では、立つことになるので、その一つ手前の都野津駅での乗車でもよいという考えを持っていました。
浜田から乗れば、窓側の良い席に座れると思っていましたが、下府からでは、希望の席(ボックス席の進行方向窓側)には座れないものの、席には座れると思っていました。
甘かったです。
車内は、満員。立ち客となりました。
ほとんどが三江線乗車目当ての乗客。
着席している乗客は、江津で降りそうにありません。
このまま、三次まで5時間近くの乗車となります。
考えると気が狂いそうです。
老夫婦が乗っていて、この夫婦は、江津で降りると踏んで、その前に立っていました。
車窓からは、波子の街並みが。
そして、ふと、少し離れたロングシートをみると、一席あいているではありませんか。
かばんは、そこ(通路)に置いたまま、人をかきわけ、その席に着席。
すると、隣にいた鉄オタが、「そこには、人がいますよ」と。
すると、隣にいたオジサンが「いいですよ」と。
そして、同行者に、私のカバンを持ってきてもらいました。
すると、そのおじさんは、私に同行者がいることを知ると、おつれさんがいるのですね。と言って、どうぞと言って、
立ち上がって、席を譲ってくれました。
奇跡が起こったと思われました。
佐々木家のご先祖様が、席を与えてくれたのだなぁと感謝しました。
その席に二人並んで座りました。三次までの4時間半、立たずに済んだので、ほっとしました。
ちなみに、私が座った席は、そのおじさんの娘さんの席で、娘さんは、座れなかった他の兄弟と、別のところにいました。
その親子4人連れは、江津駅で下車しました。
ちなみに、2両編成のこの車内。私が、狙っていたボックス席に座っていた老夫婦は、江津駅で下車しませんでした。
ロングシートに座っていたおばあさん一人が下車。江津駅到着以前に、立っていた乗客のうち江津駅で座れたのは、そのおばあさんの前にいた一人だけでした。
私が、下府駅で乗車した時にすでに満員だったので、浜田から三次まで5時間の立ち客も多く出る感じとなりました。
江津駅で、下車する人も多くいましたが、それ以上の数の人が乗車。満員電車並みに。
江津駅から乗車した人は三次駅まで、立ったままで。気の毒です。
江津駅の停車時間の間に駅トイレへ。
車内が混雑しているため、車内のトイレにたどり着くのが大変なためです。
ホームにまだ、多数の撮り鉄が写真を撮っている間でも、この混雑ぶり。
車内は、超満員のため、向かいの窓の車窓は見えません。ロングシートに座っている私は、後ろを向かない限り、車窓が見えませんでした。
後ろを向いて、車窓を眺めました。
江津駅から川平駅までは、ずっとビデオを回して、車窓をとっていました。
子供のころ、よく見ていた景色だったので。
川戸駅。川戸駅からバス(当時・現在は廃線))に乗って、市山というところに、親戚(母の妹)がいたので、そこにも、よく行きました。
川戸駅。懐かしの駅です。
ちなみに、88年前、三江線の最初の1930年の開通区間は、江津から川戸間。途中駅は、川平駅のみ。
1930年の三江線は、江津・川平・川戸の3駅を行ったり来たりしたものでした。
川戸駅から先の三江線は、この3月になって、初めて利用したことになります。
因原駅。
沿線のすべての人。野良仕事をしている農家のおばさんや、車に乗っている、すべてのひとが、三江線の列車を見て、手を振っているのが印象的でした。
そして、石見川本駅に到着。
この列車は、江津駅を特急のスーパーおきの到着待ちで5分遅れで出発。
川本駅到着が6分遅れとなり、停車時間が、10分から4分に。そのため、下車しませんでした。
向かい側には、13時45分発の江津行が停車。
そちらの列車が出発しようとしているところでした。
向かい側ホームにとまっていた江津行が動き出しました。
そして、お見送りが終わったようで、一部が、こちら側のホームへ。
2両目にいましたが、川本町長が車内に来てあいさつ。
川本町の人口は3355人。本日、それと同じくらいの人が、三江線を利用。
三江線がなくなっても、是非、川本町へお越しくださいと。
乗車口付近でしゃべっていた町長は、人影に隠れて撮れませんでした。
そして、向かい側ホームに。邑南スパイダーマンを発見。
子供に記念写真をせがまれ、記念撮影に応じるやさしい邑南スパイダーマン。
そして、三次行きは、石見川本駅を出発。
川本町観光協会などの人が向かい側のホームから見送り。
こちら側のホームでも見送っていたかもしれませんが、向かい側の車窓は立ち客に遮断されて見えなかったのでわかりませんでした。
そして、石見川本駅を出発。
亡き母が、川平から川本高等女学校への通学に使っていた石見川本駅をあとに。
母の三江線の思い出話と言えば、冬、雪が降ると、三江線(当時三江北線)は、遅れます。
何もない時は、川平と石見川本間は40分ほど。
でも、雪が降ると、列車は、駅ごとに止まり、ラッセル車が雪かきしてからの出発となります。
母は、遅れを見越して、朝4時か5時の始発列車に乗り込み、石見川本へ向かいました。
通常なら朝の7時台の列車で余裕に川本に着きます。
その日は、雪で、三江線は、猛烈に遅れ、始業時間までに、川本高女に到着できたのは、三江線利用者は、母一人だったといううことでした。
それで、全校生徒の前で、勉学熱心なたとえとして、母の事例がたびたび挙げられ、母は、めちゃ恥ずかしかったと言っていました。
私が神戸大学に通っているときも、朝、ごろごろ家にいると、母に「大学は・・」と聞かれて、2限目から行くというと、授業料一緒なんやから、1限目から授業受けんと損やろ。とよく怒られたものでした。
粕淵駅の手前で、第一江川(ごうがわ)橋梁を渡ります。
前回、乗車した時に、車掌が車内放送で紹介していました。
全国でも珍しい人も渡れる橋梁だと。
本日の車掌は、各駅の到着予定時刻をいうだけで、観光案内はなしでした。
あの鉄板のところが、歩行者用通路です。
こんなところにも、撮り鉄が。
そして、浜原駅へ。三江北線時代の終着駅です。
優雅に流れる江川(ごうがわ)。
そして、天空の駅 宇都井駅へ。
駐車している車列。
駐禁にはならないのでよろしいですなぁ。
地上21メートルにあるホームにも多くの人が、
前回、この駅で降りたとき、乗車時、駆け込み乗車となりました。
あと、1分で、、この電車に乗らないと、三次に戻れない。三次に予約しているホテルにたどり着けない。
必死でした。
でも、階段を登って登っても、ホームにたどり着けません。
もう、あきらめも半分。
上には、列車の到着する音が、
でも、頑張って駆け上がりました。
ホームに到着すると、20名ほどの乗車客が列をなしていて、乗車中でした。
そのため、助かりました。
駆け込み乗車に成功しました。
宇都井駅での駆け込み乗車、私が最初で最後だと思われました。
そして、途中、口羽駅で、江津行きとすれ違いました。
そして、三次駅に到着。
三江線利用の終了となりました。
そして、芸備線・福塩線経由の府中行に乗車。
1両編成でした。
普段は、ガラガラなのですが、三江線からの乗り換え客が多く、車内は、かなり混雑、立ち客も多くいました。
日ごろからの利用者は、本日に限って、なんでこんなに乗客がいるのか、不審がっていました。
立ち客もいる福塩線の1両編成に揺られて府中まで。
府中で、黄色い4両編成の電車に乗り換え、福山で、日生行きに乗り換え。
こちらは、6両編成でゆったり。
岡山20時33分着。
岡山21時09分発。
36分間、時間があるので、岡山駅を出て、昨日食べた、めりけんやへ。
昨日のランチで食べたのと同じメニュー ミニ肉玉丼+ぶっかけうどん+大盛り
昨日は、ランチであったため、950→880となっていましたが、今回は、夜のため、通常価格950円でした。
950+120 1070円。
でも、うどん大盛りなので満腹。
岡山から姫路行は、黄色い3両編成。
超満員。
毎回、座りますが、今回も、座れました。
ただ、座席が混雑しているため、隣の席にカバンを置くことができません。
そして、姫路駅へ。
姫路から大阪までは、12両編成の新快速。
1両目とか前の方は、ガラガラなので、ゆったりくつろげます。
そして、23時38分。大阪駅へ到着。
23時53分発の谷町線最終の八尾南行きに乗車。
駒川中野駅に、0時15分到着。