フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

問責決議と偏差値教育

2011年12月06日 09時05分24秒 | 社会・政治・思想哲学

 大臣の失言で問責決議がされるというニュースがある。うーん、なんだかなぁという感じだ。いろんな問題があると思うが、私が気になる点は2つである。
 
 1つは、素人が大臣になるな、ということだ。大臣の職を何だと思っているんだということである。素人という自覚があるなら頼まれても最初から断れ、と思う。だから、キョロキョロと自信のない態度になるのだ。自信があればあれくらいの攻撃はバシッと跳ね返せるはずだ。
 
 2つ目は、野党つまり自民党のしょうもない問責決議案である。本質的な議論を戦わせること無く、相手の落ち度を叩くことで相対的に自分たちの地位を高めていくという卑怯な戦略である。つまり、自分自身が頑張って自分の地位を高めていくという正当なやり方ではなく、相手の悪口、陰口をいうことで相対的に自分の地位を高めていくというやり方である。ありとあらゆる場所で、この卑怯なやり方が見受けられる。なぜか。
 
 私は、戦後の偏差値を基準にした教育が、そのひとつの要因ではないかと思っている。偏差値は、自分が頑張っていけばもちろん点は上がるが、相手が落ちていくことでも点は上がっていくからである。
 内田樹氏が、ブログで面白い例をあげていた。ある成績の悪い子供が、塾に行って成績をあげた。その子が先に塾で習った箇所を学校の授業でやり始めた。そうすると、大きな声で歌を歌い始めたということである。
 つまり、その箇所を級友が勉強すると、自分の優位性が崩れてしまうので、授業を妨害したわけである。その部分をやらせないということで自分の優位性を保とうという戦略をとったのだ。自分の優位性を維持するためには合理的な戦略でかもしれないが、卑怯だ。もっといえば、この戦略だとこの学級は自分以外は馬鹿なままである。クラス全員で解決しなければならない重要な問題が起こった場合、その問題を解決できないことになる。周りを蹴落とすことで自分を優位にするということは、集団で解決しなければならない問題を解決できないという結果になる。
 このような状態が今の日本なのではないかと思う。

コメント
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