いつだったかのブログで、貴志祐介氏の「新世界より」を読んでいると書いたが、正直に言うと、途中で挫折してしまった。
作品を評価できるレベルまで読んでいないので、感想は控えておく。
ただ、この作家はかなり人気があるので、もう一つくらい読んでみようと思った。
そこで図書館にあった「クリムゾンの迷宮」を何気なく手にとって読み始めたわけである。
この小説に関して言えば、もう、最初から鷲掴みにされて、一気に読んでしまった。
「なるほど、一気に読ませるというのはこういうことなのね」と、いい勉強をさせてもらった。
話自体は、かなり荒唐無稽である。ちょっと、バトルロワイアルに似ているかもしれない。あまり詳しく書くとネタバレになるのでこの辺でやめておく。
思ったことは、状況設定がありえない感じのものでも、プロットの組立や心理描写を丁寧に描くことで、素晴らしい作品になりうるということである。
貴志氏はホラー作家ということだが、この小説がホラーかどうかは評価の分かれるところだと思う。アドベンチャー的要素も多く含まれているから。
ただ、それは、ホラー(horror)の定義によるだろう。
ホラー小説が人の恐怖を描写した小説とするなら、この小説は紛らもなくホラー小説である。
私自身、怖くなった場面が何回も出てくる。
恐怖を感じることは、単に臆病で弱い人間ということではなく、生命の危機に敏感ということである。
だから、恐怖に敏感な人間は、鈍感な人間に比べ、ある意味、危機にうまく対処出来るともいえる。
もちろん、きちんと行動できればだが。
人間は恐怖を感じると3パターンの行動をとる。
逃げる、戦う、とどまる。
どれかを選択して適切に行動すれば、危機を回避する可能性が高くなる。
しかし、恐怖を感じすぎると、パニックになって動けなくなり、その場にうずくまるだけになってしまうことが多い。
その場合、人間にとって恐怖は有害な感情となる。
だから、恐怖をどうコントロールするかが重要になってくる。
今までホラー小説とかホラー映画とかあんまり関わりを持たないようにしてきた。
どうしてかと自分自身に問うてみると、あんまりこわいものを見たくないという心理が働いているようだ。
しかし、ホラー小説を読めば、自分の中にある恐怖の形を、ありありと感じることができる。
自分が何に対して恐怖を感じるのかが分かれば、それに対処できる可能性が高まる。
ただ面白いだけではなく、そういう部分でも、ホラー小説を読むことは有意義なんだなぁと、思った。
そのことを知ったことが、この小説を読んだ一番の収穫だったかもしれない。
今、貴志祐介氏の「黒い家」を読み始めたところである。
これも面白そうだ。