非思量とは、禅の言葉で、何も考えないことを意味します。
禅僧が、坐禅を組んでいるときに、
坐禅に集中し、頭を空っぽにすることです。
僕の解釈では、これは平常心を保つための訓練だと思っています。
僕も、短い時間ですが、坐禅を組みます。
しかし、頭を空っぽにすることは本当に難しいです。
思考が、あちこち動いて、どんどん変な方向に流れていきます。
妄想は止められません。
すでに終わったことについて、怒ったり悲しんだりします。
しかし、最近はちょっとだけコントロールできるようになってきました。
そして日常生活でそれを活用しています。
まあ、仕事中に頭を空っぽにしてたら、
「なにボーっとしてるんだ」と怒られますので、そこまではしません。
そうではなくて、出来事について良い悪いの評価をしないようにしています。
評価すると感情的になります。
たとえば、運転してるとき、子供が飛び出してきたとしますね。
「くそ、何やってるんだ」と怒ります。
しかし、飛び出した子供の良し悪しを評価しても意味はありません。
大事なのは飛び出した事実です。
そして、感情と関係なく、ブレーキを踏むだけです。
怒っても意味はないですよね。
そうやって、次々に起こる出来事について、
評価せず感情をからめないようにする。
感情が湧き上がると、ダメダメとストップをかけます。
そうやって過ごすと、ぜんぜん疲れなくなりました。
仕事を終わってから、自分の時間を有効に使えるようになりました。
本当ですよ。負の感情は、脳を疲労させるだけです。
事実を事実として捉えて、評価しないこと。
試してくださいね。