For Crying Out Loud By ギタリスト竹田和夫

ロスアンジェルス在住のギタリスト 竹田和夫
何でも書いちゃいます。For Crying Out Loud !

So Long 樋口晶之

2017年07月04日 | ロスアンジェルスから

晶之の突然の訃報に茫然自失で時間だけがどんどん過ぎ去っていく。心の整理など到底付かないけど、何か書いておきたいと思った。

 出会いは1970年の5月だったかな。 渋谷ジャンジャンの月曜日の昼、僕達が当時のドラマー田代くんの運転するバンドバスで会場に付いた時、そこの駐車場の入り口に晶之がいた。彼16歳 僕は18歳。脱退が決まっていた田代くんに呼ばれて来ていた。そしてその日の前座バンドだった僕の姉のグループで2,3曲叩いてもらった。 

曲はFreeのWalk In My Shadowとその他だった。 荒削りな中にとんでもない強くそして何か新しいビートがあった。 速攻僕たちは彼に加わってもらうことにした。 その時の姉貴のバンドはRusty Shackと言ってドラムが内藤正美、ベースが松本繁、ギターは春日博文か松本恒男のどっちかだったと思う。 つまり、皆、この頃からの仲間なわけだ。

それから長い音楽人生が始まるわけだ。出会って47年 ここまで一緒に歩いてきた。10代のガキの頃から60代のオヤジになるまでだからね。それは長い付き合いだった。でも、長いけどあっという間でもあった。振り返る人生はそんなものなのかもしれない。

沢山のライブ、色々な思い出、数え切れないほどのエピソードがある。君は言葉にできないほどの素晴らしいことをこの世に残して風のように去っていった。

 きっと、天国の同じ村から同じ使命を持ってこの世に来た魂の兄弟 SoulBrotherだったんだね。そして君は一足先に使命を果たして天の国へもどって行った。

樋口晶之 

君のいるところにはいつも笑顔があった。 君ほど周りから愛され、慕われ、好かれた人間は僕の周りにはいない。 つまりそれほど得の高い 高貴な魂の持ち主だったんだろうと思う。 

最後に一緒に演奏したのが今回の春の日本ツアー最終日、豊田のバンボラ、その夜の演奏中、二人の出会いのことや お互い元気でいるかを確かめるためにライブやってんだよね、なんて、普段言わないような冗談を言ったりしていたのを思い出す。 

秋にまた一緒にプレイ出来ると思っていたけど、それはこの世では叶わぬこととなってしまった。  

いつの日にかまた天国で再会出来ることを信じて。 So Long.

See you in Heaven who knows when,

Until then , So Long Masayuki.  

コメント (12)
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