For Crying Out Loud By ギタリスト竹田和夫

ロスアンジェルス在住のギタリスト 竹田和夫
何でも書いちゃいます。For Crying Out Loud !

クウバ、、、

2006年04月25日 | ロスアンジェルスから
Cubaと書いて本場ではクーバと発音するらしい、、。
ダウンタウンにあるキューバンレストランの横のテラスからの一枚。
アイステイを頼んだ、、。
ヒスパニックのウエイトレスの女の子にクーバから来たの?と聞いたら、うんにゃ、ブラジルだべ、、と言ったので唯一知っているブラジル語、、ポーチュギーズね、、でオブリガート(ありがとう)と一言、、喜こんでもらった手前チップもはずまないと何かいけないような気になってきちゃって、、馬鹿だね、、。

おっと、もう一言知っていた、、ボモスゴメサ、、Let's Go だそうだ。
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和菓子

2006年04月23日 | ロスアンジェルスから
今日のLAは土曜日なので日本語のTVをやっていた。 例によって食事中にふとつけたら料理番組をやっていた、どっちの料理ショーというものだ。 きっと日本の皆さんにはポピュラーなものに違いない。

今日のテーマは甘いもの、、。 自他ともに認める甘党の私、、堪能したことは言うまでも無い。
シュークリームと串団子の対決だった。 圧巻は特別な砂糖、、昔ながらの西方というのだろうか、で手間隙かけて作る究極の砂糖をふんだんに使った和菓子の勝利!
美味しそうだった。
で、東京の美味い団子屋を二軒紹介していたが、一軒目は向島、、納得できるわけだ、次がなんと私もなじみのある西荻窪が選ばれていた。
お店の名前は越後鶴屋という粋なネーミング。 美味そうな団子だった。 

これで又ひとつ 今年の日本ツアーの楽しみが増えたというものだ。 
日本に着いた次の日にまずやることは、
荻窪の箱根そばの海老かき揚そばを食べること、
それにこの越後鶴屋の団子を食べることも加えよう。

甘党はアンコにはうるさい、、。 たくさん食べるので甘すぎは邪道なのだ。
おはぎという究極のお菓子があるが、これは中のもち米もつきすぎず やや荒い米がまだ見えるかなくらいが最高なのだ。 これにこれもつぶしすぎない甘さ抑え目の大粒のあんこがくっついている。 これが最高だ。 ほのかな塩味もするくらいな感じで、、これだと私は3,4個食べて食事代わりになる。

ああ、美味そう、、、。

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FWY,,,

2006年04月15日 | ロスアンジェルスから
LAのフリーウエイの夕方、、、これから混み出す頃です。
右に行くとその昔John Mayallが出したレコード ローウエルキャニオンホームのタイトルになった、Laurel Canyon方面へ降ります。
まんなかの101がここまで走ってきた道です、、、左に行くとジャンとデイーンでおなじみ(相当古いか?)のパサデイナのおばあちゃんです。

で、よく車を見てもらうと気がつくのですが いわいるPickup トラックが多いです。 実はアメリカの男たちはこのトラックに乗りたがるのです。 男の象徴、、彼らなりの美学があるのでしょう。

日本でもうブームが去っていったと聞く 4WDなどのユーテリテイビイコーはトラックと同じくらいいまだ人気です。 ミニヴァンに関して面白いのは日米の違いがこれほど顕著に現れた車種はありません。 日本ではミニヴァンがとても人気があります。かたやのアメリカではミニヴァンは女性の車で主婦を中心に盛り上がっていますが男は決して乗りません。
 男はミニヴァンに決して乗らない! 驚かれたことと思いますが事実なんですね。
Fordのトラックとか馬鹿でかいのに乗って、ガソリンがべらぼうに高くなって、、まったくブッシュはしょうがない、、ヒットラーだという人もいるくらいです。

たとえばイランが原子力を開発してどこがいけないのでしょうか?
ちょっと話がそれそうなので今日はここまで、、、。
Peace.
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不世出の天才アイ高野が天国に戻りました。

2006年04月03日 | ライブ 

4月1日に自分の音楽人生でとても縁が深かった、アイ高野が天国に帰っていきました。

最後に会ったのは去年の日本ツアーの時でした。クロスオーバージャパンというコンサートがあったので、彼の体調が良ければ是非一緒にやろうと彼の家に行きました。

その時もすでに体調が良くなく、じゃあ又やろうね、と別れました。 家では彼の愛用のエピフォン カシーノを借りて、彼は太目のステイックを取り出し、久々に一緒にプレイしました。 All Of Meと何かStevie Wonderの曲でした。

彼と初めて会ったのは1968年-69年頃で彼は自分が出演したJazz喫茶の帰り道、僕たちがプレイしていたGoGo Clubにたち寄ってくれて話しました。 当時から泣く子も黙るほどの有名人、また当時の状況はGS VS  New Rock という感じもなきにしもあらずで、まあ敵対心をもたれてもおかしくないBLUES CREATIONという立場、そんなものをまったく気にしないファンキーで優しい心の持ち主でした。お互い16歳だったと思います。

それから天に召された2006年4月1日まで、ずっと彼は天才であり続けました。 彼の才能が世の中の理解を得られない時期もあったようだけど 周りは皆知っていました、、。まことに不世出の大天才シンガー、ドラマー、でした。ギターだって上手かった。

仲良くなったのは73年にフェルナンデスのキャンペーンがあって私、内田裕也さん、柳ジョージさんなどと北海道をツアーしました。このときに思いっきり仲良くなってそれ以来、All Stars、クリエーションで一緒に熱い音楽をプレイできたのが最高の思い出でした。 サイパンに一ヶ月近くの作曲旅行に行って最初に一緒に作ったのがキャリーオン、、30数曲作りました

My Soul Brother #1といつもお互い言い合ってここまで来ました。 喧嘩していた時期もあったし、日本とアメリカと離れて一緒に音楽をできなくっていたけど、生まれる前から今生のこの出会いとコラボレイションは約束されていたと本当に思います。

彼がいたからこそ作ることのできた素晴らしい作品の数々、彼とのコラボレイションは自分の音楽人生の中でも心から誇りに思える一ページだったと思います。
モッチン! ありがとう
See You In Heaven Buddy !

コメント (11)
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