ダウンタウンにあるキューバンレストランの横のテラスからの一枚。
アイステイを頼んだ、、。
ヒスパニックのウエイトレスの女の子にクーバから来たの?と聞いたら、うんにゃ、ブラジルだべ、、と言ったので唯一知っているブラジル語、、ポーチュギーズね、、でオブリガート(ありがとう)と一言、、喜こんでもらった手前チップもはずまないと何かいけないような気になってきちゃって、、馬鹿だね、、。
おっと、もう一言知っていた、、ボモスゴメサ、、Let's Go だそうだ。
4月1日に自分の音楽人生でとても縁が深かった、アイ高野が天国に帰っていきました。
最後に会ったのは去年の日本ツアーの時でした。クロスオーバージャパンというコンサートがあったので、彼の体調が良ければ是非一緒にやろうと彼の家に行きました。
その時もすでに体調が良くなく、じゃあ又やろうね、と別れました。 家では彼の愛用のエピフォン カシーノを借りて、彼は太目のステイックを取り出し、久々に一緒にプレイしました。 All Of Meと何かStevie Wonderの曲でした。
彼と初めて会ったのは1968年-69年頃で彼は自分が出演したJazz喫茶の帰り道、僕たちがプレイしていたGoGo Clubにたち寄ってくれて話しました。 当時から泣く子も黙るほどの有名人、また当時の状況はGS VS New Rock という感じもなきにしもあらずで、まあ敵対心をもたれてもおかしくないBLUES CREATIONという立場、そんなものをまったく気にしないファンキーで優しい心の持ち主でした。お互い16歳だったと思います。
それから天に召された2006年4月1日まで、ずっと彼は天才であり続けました。 彼の才能が世の中の理解を得られない時期もあったようだけど 周りは皆知っていました、、。まことに不世出の大天才シンガー、ドラマー、でした。ギターだって上手かった。
仲良くなったのは73年にフェルナンデスのキャンペーンがあって私、内田裕也さん、柳ジョージさんなどと北海道をツアーしました。このときに思いっきり仲良くなってそれ以来、All Stars、クリエーションで一緒に熱い音楽をプレイできたのが最高の思い出でした。 サイパンに一ヶ月近くの作曲旅行に行って最初に一緒に作ったのがキャリーオン、、30数曲作りました
My Soul Brother #1といつもお互い言い合ってここまで来ました。 喧嘩していた時期もあったし、日本とアメリカと離れて一緒に音楽をできなくっていたけど、生まれる前から今生のこの出会いとコラボレイションは約束されていたと本当に思います。
彼がいたからこそ作ることのできた素晴らしい作品の数々、彼とのコラボレイションは自分の音楽人生の中でも心から誇りに思える一ページだったと思います。
モッチン! ありがとう
See You In Heaven Buddy !