For Crying Out Loud By ギタリスト竹田和夫

ロスアンジェルス在住のギタリスト 竹田和夫
何でも書いちゃいます。For Crying Out Loud !

日本の音楽 続編

2009年01月30日 | ギター&音楽 
昭和25年 真鶴港はソ連からの初の引き上げ船を待つ人の群れでごったがいしていた。 シベリアに抑留されていた日本人が初めて帰って来るというので、日本中が沸きに沸いていたそうでした。

しかし、生き別れた家族と再会を果たせた人は決して多くは無く、次の船に今度こそは息子が乗って帰ってくるに違いないと、年老いた母は来る日も来る日も港で待ち続けた、、という実話を元にした歌が<岸壁の母>だったんですね。

曲名は昔から聞いていたが、そういったストーリーがあったとは、昨日まで知りませんでした。

浪曲から演歌までパート1で書いた三波&村田の巨匠達、このお二人に匹敵する女性版が写真の二葉百合子さんだったんですね。

 ヘッドフォンから流れてくる巨匠の歌声、息をのんで初めて聞く声、、想像していたのは枯れた渋い声、、例えてみればサンハウスか、ライトニンホプキンスを勝手に想像していたのだが、この想像は嬉しく、かつ激しく裏切られた、、

おお、ステーブペリーかロバジョンか、といったハリと伸びのあるハイトーンでバリバリの現役でした。(勝手に枯れた声を想像していた自分がいけなかったと大反省、、、)

しかし、フリーウエイ101を東に走るわが愛車の中から流れる二葉百合子さんのパワーフルな歌声は沈むロスアンジェルスの夕日の中に溶け込み、音楽と景色の異種格闘技状態となっていた。

しかしもうすでに石川さゆりさんの歌声は、夜のヴァレーの景色に溶け込み始めている、、 この方は本物のストロングスタイルのオールラウンダーで、数あるヒット曲はもちろんのこと、歌う歌、全て良いのだけど、個人的にはまた旅物も大好きだ。 弁天小僧菊の介とか来まくる。 

異種格闘技といえば面白いことに カーラジオからマライヤキャリーが流れていたとしよう、、そこに持ち込んだ自前の島津亜矢さんの演歌桜かなんかスイッチオン、、 まったく島津さんの勝ちだ、、比べるのも悪いくらいの力量の差だ、
凄いぞ日本の女性歌手!

明日も良い日だ。 
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最近はまっているもの、、 (大作、、)

2009年01月26日 | ギター&音楽 
日本茶ブームの後は、日本の音楽、、といっても昔の音楽といったらいいか、それもより日本的な原点の音楽、 これまで日本の音楽はそのジャンルを問わず、あまりというかほとんどというか、正直まったく聞いてこなかった。

ふとしたことがきっかけで、2009年の今改めて何の先入観も無く聞くと、ものすごく新鮮だった。そして素直に感動する。 目頭が熱くなったり、きゅううんとハートに迫ってくる歌が少なくなかったことには自分でも驚いている。

現在 自分の中で色々と系統たてて整理している途中。

もちろん 物心付いた子供の頃 どこからともなく流れてきて覚えているメロディもあったり、 その不確かな記憶にたどり着き、納得して整理する作業とでも言ったらいいか、、まあ、とにかく面白いし楽しい。

自分が音楽を始めてからは100%洋楽しか聴いていないのである時期からブランクがずっと現在まである。

前置きが長いのはいつもとおり、じゃ、どんなものを聞いて驚いているか、感動しているか、書いてみよう。

鉄砲光三郎さんの多分レコードとしては元祖の”河内音頭”の哀愁の声、とポールロジャースをも思わせるフレージングの妙、、写真のレコードジャケットも粋だ!

はたまた巨匠、三波春夫さんの”俵星玄蕃”とか、これは強力だった。 この人はまったく自分の中で勘違いしていた、というか知らなかった。 <オリンピックの顔と顔、、ちょちょんがちょちょんが、、かおとかああおおおお、、♪ >

と、これに代表されるポピュラーな部分だけを断片的にTVなどで見ていただけだったわけだ。 それじゃこの人の凄さがわかるわけは無い、、

”俵星玄蕃”のようなタイプの曲は歌う格闘技と言われるのも納得だ。 彼自身のパフォーマンスにしても若い頃と、晩年ではパワーが多少違うことを見てもまさに歌う格闘技そのものと言えるのだろう。

現在若手NO1と評価される女性シンガー、島津亜矢さんのヴァージョンも凄いし、彼女だと圧巻は”決闘高田の馬場”だろうか。仁王立ちする天才シンガーだ。

その他にも色々聞いている。 自分ながらにおぼろげに その流れを分析すると、面白いことがわかり始めてきている。 

 浪曲、民謡からの流れのアーテイスト、たくさんいるが代表は前出の三波巨匠と村田巨匠、お二人による忠臣蔵なんかは国宝物だ。 村田巨匠はどすの聞いた声が有名だが実はハイトーンも行くのだ、、こぶしの回しは両者甲乙つけがたい。

 三橋美智也さんは子供の頃 <真っ赤なあ 太陽、、燃えているううう♪> とハリマオのテーマでわれ等昭和の子供達にはとりわけ親しみがあったのだが、、今聞く ”相馬盆歌”は流石の一言。

そして終戦後のJazzとカントリー&ウエスタンからの流れからのシンガー、
このグループの人たちは、その後日本の芸能界で姿形を変えながらも活躍したので、ポピュラーだったし、今聞いて激しく驚くというわけではないが楽曲が良いので懐かしく聞ける。

特に江利チエミさんは日本語より英語のテネシーワルツの方が良いような気さえして驚く。

そして最後のグループはいわいる音楽学校に行ってクラシックの勉強をしてそれと日本の古来のフィーリングを融合させた歌手、代表は島倉千代子さんだろうか、、

まあ、そのオリジナリテイのあるスタイルは驚きの一言だ。 か細さの中に伸びのある高音が混じる、ワンフレーズ聞いただけで情景が胸に突き刺さるワン&オンリーの魅力。 デビューヒットの ”この世の花”は何回だって聞いていられる。

 彼女島倉千代子さんがいてそして、その正統的流れは民謡、浪曲、演歌、と全ての要素をクロスオーバーに昇華した形で現代のデイーヴァ、石川さゆりさんへと続いてきた。 

日本語での歌、その表現力を前人未踏のあのレベルまで高めた彼女の歌はまさに、アート!孤高の歌姫だ。、また”河内音頭”で見せるバーサタイリテイ、、
彼女が正統的な意味で現在日本最高の女性シンガーであることは間違いない。
彼女の凄さの分析は又の機会にしよう。 

話を現在から今日のテーマ、昭和のルーツに戻すと、なんと言っても、西田佐知子さんの存在が凄い! 彼女の”東京ブルーズ”は自分の小学校時代を思い出させてくれる。 今聞いてもモダンなアレンジとともに非常に個性的なスタイルで他の歌手とは明らかに違う品格がある。当時のベストシンガーの一人だろう。

今日の昼間こういった音楽に浸っていて、夜はGIG、、さっき帰ってきてこれを書いているわけだが、正直 こういう日本のルーツ音楽を浴びるように聞いていて自分のGIGになって、何か変化がおきるのだろうか?興味が自分でもあったのだが、実際はこうだった、、 

やはり子供の頃から聞いてきた自分のルーツが身体中に詰まっていた、乱暴に年代だけで順番を追ってみると、ジーンビンセント、レイチャールズ、ナットキングコール、ポールデスモンド、ウイルソンピケットにサムクック、ポールロジャースにステーブマリオット、、BBキングにボビーブランド、その他多くの巨匠達、こういった音楽の影響抜きがたく、自分の地や肉になってしまっていることを改めて確認した。 三波巨匠の影響は流石に無かったということか、、、。 この調査分析の旅のあと、、今後の展開は面白くもあるが、、(笑、、)

じゃ、どちら様も Hava Good Night!
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明日はオバマさんの就任式

2009年01月20日 | ロスアンジェルスから
大変なイベントになりそう。 大掛かりな警備も凄いし、国を挙げて盛り上がろうとしている様子がわかる。 でも一般の国民全部が盛り上がっているわけでは決してない。 

それにしてもこういうイベント関係には絶対と言って良いほど顔を出したがる
U2のボノ、、いい加減にしろと言いたい。 芸能人丸出し、、最高かっこ悪い、、大体自分が良い男とか勘違いしてその気になっている奴ほどかっこ悪いものはないのだ。

女性もそうですね。 自分は良い女、美人とか思っている奴ほどかっこ悪い、
話がそれた、、、ボノはいらない、、大体お前アイリッシュだろ、、

話は変わって来月からTVがデジタル放送になる。 コンバーターを色々なところで売っている。 40ドルくらいだ。 まあケーブルTVとかを通してみている人は関係ない話なのか、、

でもコンバーター勝ってアンテナ経由だと18,2とかサブチャンネル放送も見れるとか、、面倒くさいけど、、どうなっちゃうのだろうか、、。
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ときならぬ暑さ、、、

2009年01月14日 | ロスアンジェルスから
昨日今日明日リキホルモ、、、ちょっと古すぎ、、謎、、、

ここのところLAは真夏日より、、今日はTシャツ一枚でした。 
明日あさってと、、今週は真夏日が続くそう、、、

ただ、例年この時期はサンタアナ ウインドと呼ばれる強い季節風のようなものが吹き荒れるので乾燥が凄いです。

TVでは湿度10%とか言っていた。  山火事が起きるとこの風だとものすごい勢いで広がっちゃうので注意しているようです。

ここ一ヶ月くらい日本茶に凝っていて やっと日本茶の美味さがわかってきたような、、これまではコーヒー紅茶、あるいはコーラなどをよく飲んでいたけど、、
日本茶のよさがやっとわかってきた。 なんかほっとするような美味さ、落ち着きます。 

コーヒーはおままごとのような小さなカップで一日1ッパイくらいは飲んでいますが、、また、そうなるとこれまでは馬鹿でかいマグカップで飲んでいたのでマグカップは沢山あるのだけど、小さなコーヒーカップ、デミタスカップですね、これを持っていないことに気が付いた、、早速 買い集めだしそう。

それと小豆を煮るのにも凝っていてすでに3,4回お汁粉を作っている。 地元にあるグリーンマーケットというコリアンマーケットに少し日本食の食材もあるのでここを利用。 けっこう塩加減とか上手くなってきたかもしれない。

TVでコーンビーフの作り方もやっていたのでそのうち挑戦してみようか、、、

どちら様もHava Nice Day,,,
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ちょっと調べてみました、、長いですよ(笑)

2009年01月11日 | ロスアンジェルスから
パレステイナ問題(イスラエル問題)

今日の複雑な中東情勢をつくりだしたもとは、第二次大戦前、同地域を植民地支配していた英国の二枚舌外交と、第二次世界大戦後の国連による同地域の処置に慎重さを欠いたことによるものが大きいようである。

イスラエル建国前は現在のイスラエルのある地域全体をパレスチナと呼び、長い間イスラム教徒によって治められていた。ユダヤ人も少数ながらキリスト教徒と共にイスラム政権下のもと共存していた。

第一次世界大戦以前、東アラブ地域(現在のレバノン、シリア、パレスチナ、イスラエル、イラク、ヨルダン)はオスマン トルコの領土だった。当時オスマン トルコの弱体化により、西欧の列強が同地域、特にエルサレムに注目し始めていた。

エルサレムをイスラム教徒の手から奪還するというのは十字軍のとき以来のキリスト教徒にとっての悲願であった。第一次世界大戦中、英国は自国に有利にことが運ぶように以下のような二枚舌外交を展開した。

アラブ人への約束:フセイン・マクマホン書簡(1915.7~1916.1にかけて、メッカの守護職フセインとイギリスの高官マクマホンの間でやりとりされた手紙)

英国のオスマン トルコとの戦いへの協力の見返りに、東アラブ地方(イラク、シリア、ヨルダン、レバノン、パレスチナ)およびアラビア半島にアラブ王国建設を支持する事を約束

ユダヤ人への約束:バルフォア宣言(1917.11.2 バルフォア外相からユダヤ人の富豪ロスチャイルドへの手紙を通じイギリスのシオニスト組織へ伝えられた。)

第一次大戦におけるイギリス内外のユダヤ人の協力を得るために「英国政府がパレスチナでのユダヤ人の民族郷土を建設を支持し、努力する」事を確約した書簡を出した。

英国は、パレスチナという同じ札をアラブ、イスラエル双方に出したのである。第一次世界大戦終了後パレスチナはイギリスの委任統治領となったが、英国は第一次世界大戦中にした二枚舌外交の代償を払わなければならなくなる。

第一次世界大戦終了後から第二次世界大戦終了までユダヤ人移民がパレスチナへ大量流入し、それに対するアラブ人の大反乱が起こった。第二次世界大戦終了後、英国は手におえなくなったパレスチナ問題の解決を国連に委ねた。

これを受けて1947年11月、国連総会はパレスチナをアラブ、ユダヤの2ヶ国に分割し、エルサレムおよび周辺地域を国際管理下におくというパレスチナ分割案をアラブ諸国の猛烈な反対にもかかわらず、採択した。アラブ諸国はそれを不服としてアラブとイスラエルの長きにわたる中東戦争へと突入することになった。

イスラエルは対アラブの戦略的重要性から、欧米、特に多数の強力なユダヤ人勢力を抱える米国の支援により、1948年5月1日独立後、次第にパレスチナ地域に不動の位置を定め、パレスチナ地域全域を手中に治めるに至る。

このような国際社会の成り行きに振り回されたパレスチナ地域に元々住んでいた住民たちは悲劇にさらされたのであった。そのような中がパレスチナ人の地位向上のために立ち上がり、結成されるようになったのがPLOである。

エジプトのカイロ大学のパレスチナ学生の組織「パレスチナ学生連合」の主要メンバーを中心にして1950年代末、「ファタハ」が結成された。「ファタハ」は、パレスチナ解放を目的とし、イスラエルに対してゲリラ闘争を挑んだ。

そのリーダーがヤセル アラファト(現PLO議長)だった。PLOは1964年5月に結成された。1969年にアラファト氏がPLO執行委員会議長に就任した。その後、アラファト議長はPLO内現実派として国際交渉に活躍、国連でパレスチナ人の権利を認めさせるのに成功した。

それと共にPLOはイスラエルの抹殺という当初の目的を変更し、イスラエルとの共存をはかるようになる。

現在日本をはじめ世界の多くの国がヨルダン川西岸・ガザ地区に対するイスラエルの占領行為を国際法上の違法行為にあたるとしており、PLOをパレスチナ人を代表する有力な組織として認めている。

(ただし、PLOが暫定自治を行うことを定めているだけで、将来において独立国家が樹立されることまで保証するものではない。)国家でない地域に対して援助ということで、特殊なケースとしてではあるが、多くの国がPLOに経済的援助を行っている。

ちなみに日本の場合は世界銀行や日本・パレスチナ開発基金などの国際機関を通じての援助を先行させていくという形を取っている。

1988年、アルジェで開催されたPNC(パレスチナ民族評議会)は、パレスチナ国家独立を宣言した。そしてアラファト議長は、テロの放棄、イスラエルの生存権の承認を表明した。

1993年、イスラエルとPLOの間でパレスチナ暫定自治協定が結ばれ、PLOはイスラエルが国家として、平和と安全の内に、存在する権利を認め、イスラエルはPLOをパレスチナ人の代表として認めた。

1994年、ガザとヨルダン川西岸のエリコを手始めとして、5年間の暫定自治開始。

1995年、ヨルダン川西岸地区への自治拡大協定に調印。イスラエル軍がラマラから撤退、ヘブロンを除くヨルダン川西岸からの撤退が完了。

その後、イスラエルに超鷹派ネタニヤフ首相が誕生し、双方の歩み寄りは途絶えがちになったが、バラク元イスラエル首相のもとでイスラエル軍のヨルダン川西岸地域からの追加撤退が実現している。
2005年にはガザ地区からの撤退も実現した。

そして2009年 イスラエルが狂った、、、、。
パレステイナの子供は石をエイブラムに投げている。

かわいそうに、、。


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イスラエルが狂っている。

2009年01月08日 | ロスアンジェルスから
パレステイナの民間人にむけ容赦ない無差別攻撃を繰り返しているイスラエル。
世界中の人たちがやめろと思っているのに、やめようともしないし、正当化しようともしている。 オマケにブッシュまで味方しているような発言、、それに勢いついついたか拍車がかかり、またもやの狼藉、。

子供がタンカで運ばれる様子とかは本当に怒りで涙が出そうになる。 かわいそうな話しだ、それだけイスラエルに怒りがわく。

まったく酷い、はやくやめろ!

子供相手にあんな戦車持ち出すなと言いたい。 何考えているんだろうか。

太郎ちゃんも聞くところによると電話してやめろといったとか、、それをどうのこうのいう意見もあるとか、、まあ、しかし、電話するだけ偉いと思うけどね。

PEACE!!!!!!

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賀正!2009

2009年01月01日 | ロスアンジェルスから
明けまして おめでとうございます。
皆様にとって最高の年、素晴らしい2009年に
なりますように。

そしてご家族の健康とますますのご発展をお祈り申し上げます。

Love & Peace

ないとほーく

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