For Crying Out Loud By ギタリスト竹田和夫

ロスアンジェルス在住のギタリスト 竹田和夫
何でも書いちゃいます。For Crying Out Loud !

ダヴィンチ コードその2

2006年01月10日 | ロスアンジェルスから
聖書には4冊の福音書が入っているが半世紀ころ前に北アフリカの地で発掘された第五の福音書と言われる” グノウシスの福音書”と言うものがあってこれには、重大なことが書かれていたと言う、 ある意味現在のキリスト教のあり方をも覆しかねない要素を含んでいたと言う。

その中の最大重要な内容がイエスースの後継者を誰としているかということだ。 なんとそこには我々の知る ”マグダラのマリア”をもってイエスースの後継者とするという内容が書かれていたらしい。

しかし、人類意の歴史のひとつに男尊女卑の考え方がありこれが非常に強くキリスト教の発展の歴史に影響を与えてきたというわけだ。 ダビンチが描いた最後の晩餐でイエスースの隣にいる、これまではヨハネとされていた人物が実はマリアだと言う説の歴史学的な証明として、当時のユダヤの地ではほとんどの成人男性はひげをたくわえているもので、例外がないと言ってもいいくらいだと言う事実。(イラクなどの中東、アラビックもあと、それほどの確立じゃないにしても相当数の成人男性はひげがあるフィリッピンとかを考えてもらえばわかりやすいだろう。

私もゴルフ修行時の日焼け顔で過ごしたバンコックでは100%フィリッピン人だと思われていた。 そのとき 体験的にフィリッピン男性はひげをつけるのか、と気がついた。 また、脱線だ、、

カソリックの神父による少年への性的暴行がTVなどのニュースで知らされてまだ記憶に新しいと思うがこのことでわかるように神父たち、あるいは聖職者であるべき人たちのなかで極めて大きな数字のパーセンテイジで同性愛、それも若き青年を犯すといった事件が起こっている、仮説を立ててみた。 つまり ダビンチの描いたイエスースの隣にいる人物を”主にもっとも愛された男、雷の子 ヨハネ”としておけば、自分たちが同じ姦淫の罪(バカ言ってんじゃないよ、、)を犯すにしても女を相手にするよりは多少罪が軽いんじゃないだろうか?という捻じ曲がった気持ちが、マリアではなくあれはヨハネだ、という風に変えて言ったのではないかと思ったわけだ。

ちなみに当時のユダヤでは結構しない男は重要犯罪人として記録にも残されると言う、聖書の中にイエスースが結婚していたという供述がないと神学者は反論するが結婚してなければかかれるのが当たり前、結婚していると言うことは書くことも無いくらい当たり前のことだとする作者側の論理、この二つを考えると現在の神学者圧倒的に不利とも見えてしまう。

もうすぐ映画が封切られるのかな? 楽しみだね。 メルギブの映画はちょっと個人的にはうーんと言う感じだった、演じたジム キャヴィーゼルはとても好きな俳優だけど。
映画だったら名優 ウイレム ダフォーの The Last Temptation Of Jesus Cristのほうがはるかに優れていると思う。 あたしゃ 一番好きだね。
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ダヴィンチ コードその1

2006年01月08日 | ロスアンジェルスから
ダヴィンチコードという話を最近よく耳にする、、。いわいるナザレのイエスースとマグだらのマリアの間には一人子供がいたという話だ。

娘の名前はサラ 英語読みはセーラだ。 へブリュウの意味はプリンセスという。
イエスースを何とか陥れたい当時のパリサイ派の律法学者とその手下たちはユダヤ人だが当時のローマ皇帝にこすどく(こすく且つ鋭くの意味の造語、、)取り入りユダヤの地の総督の座を手に入れたピラト提督の所に連れて行くがピラトにはイエスースのどこにも罪を見出せなかった。

それではと今度は彼は自分をユダヤの王と言っているぞと持ちかけ、これ以上ほうっておくとお前の座も危ういぞと脅しをかけ、ついにはユダヤの王を名乗った政治的反逆罪、現代風に言ってみればテロリスト、反政府主義者として裁かれることになったわけだ。 そういう事情で十字架の上にはユダヤの王という文字が打ち付けられたわけだ。

話は戻ってだからこのサラをプリンセスと呼んでいたという話だ、船でどこかに逃げていって助かったとも言う。

いつかパート2を書こう。
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これは怖いぞ、

2006年01月08日 | ロスアンジェルスから
最近聞いた考察、仮説だが、ブッシュの政治母体ともいえるキリスト教右派、いわいるクリスチャンファンダメンタリスト、キリスト教原理主義、ネオコン、ニーオコンとアメリカでは発音する、と、いつものように前書きが長いが、、

これらによるあまりの狂信的というか聖書およびクリスチャニテイの浅はかな解釈とどうしようもない脳みそ腐っちゃった状態から考えたと思うであろう、ハルマケドンの自作自演計画というのがある。

ようするにヨハネの黙示録に書かれている極めて抽象的な記述を拡大解釈してこの世の終わりを告げる預言書と位置つける、つまりその予言の実現を自らの手でやろうとしているというのだ。 核戦争も辞さない、、彼らの解釈では一度ぶち壊すということになっているから、そしてその後に彼らだけが神の御国に引き上げられるのだという。この考えのもとに自作自演の計画を実行しようとしているというものだ。

そもそもヨハネの黙示録ほど面白おかしくイマジネイションのスレッショルドが地平線の彼方まで延びちゃったものは無い。 ノストラダムスしかり、、。困ったものである。

本当はAC90年にギリシャの孤島に政治犯として島流しにされていたヨハネが迫害を続けるローマ人たちにわからないように暗号化しただけのものだ。
内容は迫害に打ち勝ちイエスースが最後は勝つというような簡単なものだ。 666は7が完全をあらわし(神画一週間でこの世を作ったから、からきている)それにひとつ足らないから’不完全をあらわす6、、これが666と三つもあるからオーメンだああ、、悪魔だあ、、と馬鹿なことをいう、、11人の子供はいたのか?
脱線だ、、失敬。
たくさんあるのでひとつだけこのときのヨハネが使ったコード(暗号)を説明しよう。

へブリューはすべての子音がナンバーを持っていてNRWN QSRは時のローマ皇帝ネロ、フルネームはネロ カイザルだ、ナンバーは各N=50 R=200 W=6 N=50 Q=100 S=60 R=200 だ。 これを全部足すと666になる。 オーメンでも何でも無いのだ、、ニイタカヤマノボレほど複雑ではないにせよ、立派なレジスタンス ヨハネの考えた作戦コードだったわけだ。
長くなったが ブッシュ&ファンダメンタリストたちが恐ろしいことを考える必要などどこにも無いのだ。

もし彼らが核戦争を自らの信じるとんでもない浅はかな信念のために起こそうとする計画の一部がすでにイラク侵略という形で始まったとしたら、本当に怖いことだ。

しかしこの宇宙を創造した神は最後は愛がこの世にはびこるように設計したわけだから、多分大丈夫でしょう。

油断はならない。 目を開けていよう。
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ジャイアント ステップ

2006年01月08日 | ロスアンジェルスから
といっても、コルトレーンの曲ではない、はたまた人類が月に残した最初の一歩のことでも無い、。

一人 思うままに たわいも無いことを書き記すページをゲットしたということを自分なりに表現してみた。 

さあ、これから色々闇なべ状態に突入するわけだ、、。しばらくは一人ぼっちでいようか、、。
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