聖書には4冊の福音書が入っているが半世紀ころ前に北アフリカの地で発掘された第五の福音書と言われる” グノウシスの福音書”と言うものがあってこれには、重大なことが書かれていたと言う、 ある意味現在のキリスト教のあり方をも覆しかねない要素を含んでいたと言う。
その中の最大重要な内容がイエスースの後継者を誰としているかということだ。 なんとそこには我々の知る ”マグダラのマリア”をもってイエスースの後継者とするという内容が書かれていたらしい。
しかし、人類意の歴史のひとつに男尊女卑の考え方がありこれが非常に強くキリスト教の発展の歴史に影響を与えてきたというわけだ。 ダビンチが描いた最後の晩餐でイエスースの隣にいる、これまではヨハネとされていた人物が実はマリアだと言う説の歴史学的な証明として、当時のユダヤの地ではほとんどの成人男性はひげをたくわえているもので、例外がないと言ってもいいくらいだと言う事実。(イラクなどの中東、アラビックもあと、それほどの確立じゃないにしても相当数の成人男性はひげがあるフィリッピンとかを考えてもらえばわかりやすいだろう。
私もゴルフ修行時の日焼け顔で過ごしたバンコックでは100%フィリッピン人だと思われていた。 そのとき 体験的にフィリッピン男性はひげをつけるのか、と気がついた。 また、脱線だ、、
カソリックの神父による少年への性的暴行がTVなどのニュースで知らされてまだ記憶に新しいと思うがこのことでわかるように神父たち、あるいは聖職者であるべき人たちのなかで極めて大きな数字のパーセンテイジで同性愛、それも若き青年を犯すといった事件が起こっている、仮説を立ててみた。 つまり ダビンチの描いたイエスースの隣にいる人物を”主にもっとも愛された男、雷の子 ヨハネ”としておけば、自分たちが同じ姦淫の罪(バカ言ってんじゃないよ、、)を犯すにしても女を相手にするよりは多少罪が軽いんじゃないだろうか?という捻じ曲がった気持ちが、マリアではなくあれはヨハネだ、という風に変えて言ったのではないかと思ったわけだ。
ちなみに当時のユダヤでは結構しない男は重要犯罪人として記録にも残されると言う、聖書の中にイエスースが結婚していたという供述がないと神学者は反論するが結婚してなければかかれるのが当たり前、結婚していると言うことは書くことも無いくらい当たり前のことだとする作者側の論理、この二つを考えると現在の神学者圧倒的に不利とも見えてしまう。
もうすぐ映画が封切られるのかな? 楽しみだね。 メルギブの映画はちょっと個人的にはうーんと言う感じだった、演じたジム キャヴィーゼルはとても好きな俳優だけど。
映画だったら名優 ウイレム ダフォーの The Last Temptation Of Jesus Cristのほうがはるかに優れていると思う。 あたしゃ 一番好きだね。
その中の最大重要な内容がイエスースの後継者を誰としているかということだ。 なんとそこには我々の知る ”マグダラのマリア”をもってイエスースの後継者とするという内容が書かれていたらしい。
しかし、人類意の歴史のひとつに男尊女卑の考え方がありこれが非常に強くキリスト教の発展の歴史に影響を与えてきたというわけだ。 ダビンチが描いた最後の晩餐でイエスースの隣にいる、これまではヨハネとされていた人物が実はマリアだと言う説の歴史学的な証明として、当時のユダヤの地ではほとんどの成人男性はひげをたくわえているもので、例外がないと言ってもいいくらいだと言う事実。(イラクなどの中東、アラビックもあと、それほどの確立じゃないにしても相当数の成人男性はひげがあるフィリッピンとかを考えてもらえばわかりやすいだろう。
私もゴルフ修行時の日焼け顔で過ごしたバンコックでは100%フィリッピン人だと思われていた。 そのとき 体験的にフィリッピン男性はひげをつけるのか、と気がついた。 また、脱線だ、、
カソリックの神父による少年への性的暴行がTVなどのニュースで知らされてまだ記憶に新しいと思うがこのことでわかるように神父たち、あるいは聖職者であるべき人たちのなかで極めて大きな数字のパーセンテイジで同性愛、それも若き青年を犯すといった事件が起こっている、仮説を立ててみた。 つまり ダビンチの描いたイエスースの隣にいる人物を”主にもっとも愛された男、雷の子 ヨハネ”としておけば、自分たちが同じ姦淫の罪(バカ言ってんじゃないよ、、)を犯すにしても女を相手にするよりは多少罪が軽いんじゃないだろうか?という捻じ曲がった気持ちが、マリアではなくあれはヨハネだ、という風に変えて言ったのではないかと思ったわけだ。
ちなみに当時のユダヤでは結構しない男は重要犯罪人として記録にも残されると言う、聖書の中にイエスースが結婚していたという供述がないと神学者は反論するが結婚してなければかかれるのが当たり前、結婚していると言うことは書くことも無いくらい当たり前のことだとする作者側の論理、この二つを考えると現在の神学者圧倒的に不利とも見えてしまう。
もうすぐ映画が封切られるのかな? 楽しみだね。 メルギブの映画はちょっと個人的にはうーんと言う感じだった、演じたジム キャヴィーゼルはとても好きな俳優だけど。
映画だったら名優 ウイレム ダフォーの The Last Temptation Of Jesus Cristのほうがはるかに優れていると思う。 あたしゃ 一番好きだね。