しばらく前に見た、フランスとネパール、スイス、イギリスの合作映画。『キャラバン』 (werde.com)
標高5000mのネパールの奥地ドルポに住む部族は、岩塩を切り出してヤクの背中に積み、キャラバンを組んで南の地方に出向き、生活の糧を得る。キャラバンに出ていた村の長老の息子は、事故にあって遺体となって村に戻る。長老は、息子の親友に深い恨みを抱き、若い村人たちが支持する彼にキャラバンの長を任せるのを拒みます。
長老が頼みにするのは、息子の遺児。けれどもまだ幼過ぎるので、自分がリーダーとなってつらい厳しい旅に出ることを決意します。
村の呪術師のお告げを無視して出発した若者グループより遅れて、お告げ通りの「吉日」に出発した長老と息子の遺児、その母たちの一団は、若者グループに追いつくために、「悪魔の道」との異名のついた非常に険しい道をたどります。人だけでなく、荷物をたくさん積んだヤクを連れての強行軍。崩れかけた道に石を置いて補強しながら進みます。非常に恐ろしい道。引き返すこともできません。
カチカチのパンのようなものを食べて、先に進む彼ら。暖は、ヤクの糞を乾燥したものを燃やしてとります。雪に閉じ込められて先が見えなくなり、死の危険を覚悟するシーンも何度か登場します。遺児の母を演じた女優以外は、ほぼ現地の人たちが出演。でも、撮影はかなり過酷なものだったろうと想像されます。
長老グループと遭遇した若者グループ。今度は、天気の急変を心配する長老グループが先に出発します。結局長老の予想通りに悪天候に見舞われ、一同は死に直面します。
彼らの信じる、まじないや信仰、伝統といったものは、生活に密接につながり、生き死にに直結していることが、よくわかる描かれ方でした。1990年代の映画ですが、ほんとにあの当時まだ、こういう生活をしている人たちがいたのかとおもうと、驚きを禁じえません。
このあたりの道の駅などで、「ヒマラヤの岩塩」というものをよく見かけますが、山中で切り出したのなら、車で運ぶことは不可能だろうから、やはりヤクなどの力を借りて運ぶしかないのだろうと思います。苦労の末、運ばれてきたのかと思うと、無駄にはできないな、と改めて思います。
それにしても、真っ白のヒマラヤの峰々、真っ青の空、妖しいほど緑色に澄んだ湖が美しかった。木々のない風景が、私たちには不思議なものとして目に映りますが、映画の最後に、長老の遺児がはじめて木というものを見る話が登場します。木のない場所で生活する人々の驚くべき映像です。