韓国時代劇「根の深い木」は、李朝4代目の王・世宗がおこなったハングル創製にまつわるサスペンス。ハングルがなぜどうやってできたか知りたかったので、DVDを借りてきました。
世宗は、李朝最高の天才君主といわれているという王様。その事跡については「大王世宗」でおおざっぱに知りました。この映画では、彼のおこなった仕事の中でも特筆すべき業績・ハングル創製に焦点を当てています。
主人公は世宗イ・ドと、彼を父の敵と思い間違えている上がりのカン・チェユン。イ・ドはこのチェユンことトルボクに「民」の姿を見、彼との相克を経て自らも王として成長します。
朝鮮と同じく漢字を使っていた日本は、このイ・ドの時代よりたぶん500年以上前に、ひらがなとカタカナを発明しています。公の日記や記録には使わなかったとはいえ、当代一流の文化人・紀貫之までも、ひらがなに対する関心は高く、自らを女に仮託して「土佐日記」を著しています。
この映画を見るまでは、ハングルも同様に、漢字が難しいから作り出されたもので、王様が率先して作って流布したところが日本と違うな、というくらいの認識しかありませんでした。
ところが、ハングル創製は、両班の大反対を受けます。その急先鋒を担うのが、「密本」という名の秘密結社。彼らは王の独裁を許さず、今の国会のような話し合いの場所で国の経営を進めようとする一派です。密本のメンバーは、朝廷内にも多数隠れていて、王との激しい争いが繰り広げられます。
この蜜本、あるいは儒教を信奉している大臣達の言い分にはおどろきました。「漢字以外の文字を持つのは、夷秋のすることだ。文化のすすんでいる朝鮮が、夷秋の真似をしてはならない」というのです。きわめてすすんだ文化を持っている中国の文字・漢字はすばらしい、その漢字のほかに文字を持つ必要などない、というわけです。庶民が文字を覚えることにたいする反発がその根底にあります。つまり、庶民が文字を覚えたら、彼らの考える儒教の根幹である身分社会が根底から覆され、国は混乱に陥る、というのです。ようするに、自分達の既得権を奪われたくないということなのでしょうが、その理屈がすごい。
韓国ドラマを見ていて、つねに感じることですが、時代劇にしろ現代劇にしろ、彼らはきわめて理屈好きです。ともすれば屁理屈ではないか、といいたくなるようなこともがんばって主張します。こういうところは日本人と正反対ではないかしら。日本人は、屁理屈といわれることをおそれて、理屈すら言わないことが多そう。さらに、理屈っぽい人間を毛嫌いする風潮まであります。
こうした国柄の違いにいつもびっくりします。。今回のドラマは特に、若い二人の悲劇には、あまり感情移入できなかったのですが、要所要所で繰り広げられる言葉の応酬に、感心させられました。
世宗は、李朝最高の天才君主といわれているという王様。その事跡については「大王世宗」でおおざっぱに知りました。この映画では、彼のおこなった仕事の中でも特筆すべき業績・ハングル創製に焦点を当てています。
主人公は世宗イ・ドと、彼を父の敵と思い間違えている上がりのカン・チェユン。イ・ドはこのチェユンことトルボクに「民」の姿を見、彼との相克を経て自らも王として成長します。
朝鮮と同じく漢字を使っていた日本は、このイ・ドの時代よりたぶん500年以上前に、ひらがなとカタカナを発明しています。公の日記や記録には使わなかったとはいえ、当代一流の文化人・紀貫之までも、ひらがなに対する関心は高く、自らを女に仮託して「土佐日記」を著しています。
この映画を見るまでは、ハングルも同様に、漢字が難しいから作り出されたもので、王様が率先して作って流布したところが日本と違うな、というくらいの認識しかありませんでした。
ところが、ハングル創製は、両班の大反対を受けます。その急先鋒を担うのが、「密本」という名の秘密結社。彼らは王の独裁を許さず、今の国会のような話し合いの場所で国の経営を進めようとする一派です。密本のメンバーは、朝廷内にも多数隠れていて、王との激しい争いが繰り広げられます。
この蜜本、あるいは儒教を信奉している大臣達の言い分にはおどろきました。「漢字以外の文字を持つのは、夷秋のすることだ。文化のすすんでいる朝鮮が、夷秋の真似をしてはならない」というのです。きわめてすすんだ文化を持っている中国の文字・漢字はすばらしい、その漢字のほかに文字を持つ必要などない、というわけです。庶民が文字を覚えることにたいする反発がその根底にあります。つまり、庶民が文字を覚えたら、彼らの考える儒教の根幹である身分社会が根底から覆され、国は混乱に陥る、というのです。ようするに、自分達の既得権を奪われたくないということなのでしょうが、その理屈がすごい。
韓国ドラマを見ていて、つねに感じることですが、時代劇にしろ現代劇にしろ、彼らはきわめて理屈好きです。ともすれば屁理屈ではないか、といいたくなるようなこともがんばって主張します。こういうところは日本人と正反対ではないかしら。日本人は、屁理屈といわれることをおそれて、理屈すら言わないことが多そう。さらに、理屈っぽい人間を毛嫌いする風潮まであります。
こうした国柄の違いにいつもびっくりします。。今回のドラマは特に、若い二人の悲劇には、あまり感情移入できなかったのですが、要所要所で繰り広げられる言葉の応酬に、感心させられました。