『捕食者なき世界』(ウィリアム・ソウルゼンバーグ/文藝春秋)
テーマは、トップ・プレデターなき生態系。
オオカミだけはなく、ラッコとかシャチとか、あるいはサルとかヒトデとか……。
その生態系の頂点たる捕食者が絶滅したあと、変容し、いつしか“メルトダウン”していく自然。
シカが増えすぎた日本の森だけじゃなく、世界中の大地や海や、科学者の実験場となったヒトデでなき潮溜まりまで。
ああ、恐ろしい、、、。
イエローストーンのオオカミ再導入の話はなかなかおもしろく、
オオカミの直接的な捕食だけではなく、“恐怖”よってワピチ(シカ)の行動が抑制され、
それによって、復元するヤナギの木々というのはなかなか興味深いです。
この本を読んで思ったのは、前に読んだ外来種地獄の本『翳りゆく楽園』と同じですね。
「本来の自然」とか「原生的自然」とか、「あるべき自然」とか。そんなものはすべて幻想ということ。
いつもツキノワグマのことを考えるのです。
今は、植物食寄りの雑食性ということになっていますが、それはいつからでしょう? あんな歯して。
サケが自由に川を遡上したいたころは、ツキノワグマだって、もっと言えばブナの森も今とはちがっていたでしょう。
だからと言って、オオカミを再導入したイエローストーンの話を日本に当てはめる気も起きません。
わたしは、日本にオオカミを再導入しようとする人たちに対しては、ある種の嫌悪感を感じます。
科学者の傲慢だと思うのです。彼らは、自然に対して謙虚じゃないばかりか、科学に対しても謙虚ではないと思います。
その意味では本書に出てくる「アメリカ再野生化プロジェクト」も、わたしにとっては気持ち悪いものです。
更新世に絶滅した野生動物の代わりに、、、ゾウとかライオンとかチーターを放すという話です。
解説の高槻先生のいうとおり、単純に絶滅した種を戻しても、どうにもならないのが自然です。
ま、目的のためには手段を選ばず……という考えなのでしょうか。
じゃあ、どうするんだよ!と言われると、今のところ自分の中にまったく答えがないのが、
この問題の困ったところですが。。。
自分たちが生きていくために、他の生物を殺すことを、“業”と思ってきましたが、
この本を読むと、やはり人の存在そのもののことを考えざるを得なくなります。
ああ、どう考えたもんか。。。