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新型コロナウィルスで考えたこと【107】-コロナ禍を振り返って-

2022-04-02 13:56:38 | 新型コロナウィルス

 コロナ禍の始まりは、令和1年(2019年)12月、中国の武漢市からとされています。
 日本では、令和2年(2020年)1月に最初の感染者が出て、その後、全国に広がっていきました。
 私の住む大分では、令和2年(2020年)3月に最初の感染者が確認されています。
 コロナ禍となって、2年3カ月ほどが経過したことになります。
 次々と変異株が現れ、流行しては止み、また流行しては止みの繰り返しで、日本の現在の流行は、第6波とされています。
 当初の感染症対策として世界保健機構(WHO)は、手洗い・消毒をあげて、マスクは有効でないとしていましたが、その後、マスクの着用が有効であると変更したように記憶しています。
 多分、現在、生きている方にとっては経験のないことであるので、多少の右往左往は仕方ないにしても、これじゃ頼りにならないという印象を持ったように思います。
 日本政府も同じようなものだったと思います。
 自分で情報を集めて対応するしかない。
 まず、私が頼ったのは、幸福の科学という宗教法人の情報です。(私は信者の端くれです。)
 宗教法人ですから、祈願というのはあります。
 しかし、祈願の他にも精神的な姿勢、生活習慣、飲食物等の情報が、ホームページ、小冊子等で提供されています。
 「祈願で予防や治癒ができると本気で思っているのか」と問われそうです。
 思っています。
 30年ほど前ですが、幸福の科学の大川隆法総裁のお話を北九州の体育館で聴いたことがありました。
 私の購入したチケットは一番安いもので、その席では、お顔を見ることもできません。
 そこで、私は、お顔を見ることができるある場所で話を聴くことにしたのです。
 (その場所は内緒です。係員の許可をもらいましたので、OKだったと思います。でも、そこで話を聴くのは私一人だけでした。多分、他の方は恐れ多くてできなかったのではないかと思います。)
 話を聴き終わり、会場である体育館を出た後に私の身体に異変が起りました。
 身体の奥から暖かいものが湧いてくるような感じになったのです。
 よく「光が入って来る」という表現をされる方がいますが、それと同じ感覚かもしれません。
 当時、私は、お酒の飲み過ぎ等の不摂生で胃腸の調子が悪かったのですが、その暖かい感じは、私の不調を癒してくれるかのようだったと思います。
 現代の科学でも解明できていないことが多々ある。
 私の実体験から言えることです。
 では、それで、私の胃腸の不調が治ったかというと治りません。
 神さま仏さまの光や暖かさ等のようなものは、継続して受け入れることで大きな効果が生まれると思うのです。
 また、そもそも、光や暖かさ等を受ける側が、いつまでも不摂生な生活を続けているようでは完全に治癒するまでにはならないとも思うのです。
 医者がどんなに頑張っても、患者が、健康になるように思いや行いを改めなければ、本当の意味で病気が治らないのと同じです。
 そこで、まずは、自分でできる限りの自助努力をしてみることとしたのです。
 (でも、私は毎日自宅で神さま仏さまに感謝と祈りを捧げています。)
 先にあげた幸福の科学のホームページや幸福実現党のホームページからも情報を集めました。(私は党員の端くれです。)
 幸福の科学関連以外からの情報も集めました。
 過去の経験や知識も活用することにしました。
 最初は不安でした。
 自分が感染することもですが、介護している母や他人に感染させてしまうことが心配でした。
 幸福の科学のホームページや動画、制作しているラジオ番組「天使のモーニング・コール」等は、不安の解消にたいへん役立ったと感じています。
 「情報を集めて、正しい情報を見極め、その情報を自分の中で練り込んで、どのように行動するかを決断し実行する。」
 課題に直面したときの私の対処方法です。
 マスクが必要でしたが、当初はどこも品切れの状態でした。
 ネットでは、自作のマスク等の情報が話題となりました。
 そこで私も不織布マスクにハンカチを付けるという方法をやりました。
 マスクもハンカチも洗って再度使えます。
 これで何とか凌ぎました。
 消毒用アルコールも多くの店が品切れでしたが、私がいつも行くドラッグストアには消毒用のアルコールテッシュが販売されていました。
 購入数量は制限されていましたが、助かりました。
 これも何とか凌げました。
 そのような中、少したいへんなことが起こりました。
 大分県で初めて感染者が出た令和2年(2020年)3月に、左下腹部が膨らんでおり、鼠径ヘルニアだと思いました。
 右下腹部は過去に鼠径ヘルニアの手術を受けていたので、すぐに分かりました。
 大分県で感染者が多くなっていた時期で、病院でもクラスターが発生していたと記憶しています。
 鼠径ヘルニアは手術をしないと治癒しません。
 前回、10年以上前でしたが、2週間ほどの入院が必要だったと思います。
 母を自宅に一人にして、そんなに入院できません。
 また、手術で体力が落ちているときに感染したら一大事です。
 「なぜ、こんな時期に。」
 正直、そう思いましたが、悩んだり落ち込んだりしていても解決しません。
 とにかく前進するしかありません。
 そのようなときに、「前の手術からかなり時間が経っている。短期間の入院で手術できるように技術が進歩しているんじゃないか」という思いが浮かんだのです。
 そして、ネットで1泊2日の入院でできる鼠径ヘルニア手術という情報を見付けました。
 私の住む大分市でも、やっている病院を見つけました。
 その病院の院長と担当の医師が私の大学の先輩だったので、この病院にお任せしようと決めました。
 後は、いつ手術するかです。
 「暖かくなると感染者が減少するのではないか」との仮説を立てました。
 当時、WHOでは、それを否定していました。
 すでに暖かい東南アジア地域で感染者が減少していなかったからです。
 でも、私は、重要なのは、気温でなく、気温の変化ではないかと考えたのです。
 5月の連休明けくらいから感染者が減少したように記憶しています。
 すぐに、病院に行って、1泊2日で手術を終えました。
 これも何とか乗り切りました。
 母も頑張ってくれました。
 手術後は、下腹に力が入れられるようになって、元気が湧いてくるような感じがありました。
 少し「戦えるかな」という気持ちが湧いてきて、精神的に安定できたような気がします。
 それでも、まだ、治療薬等はありません。
 幸か不幸か、コロナ禍の始まりとされる令和1年(2019年)12月の前年の平成30年(2018年)12月に病気になり、仕事の多くを他の方にお願いしていたため、人と接する機会が減っていたのです。
 それまでは、仕事と母の介護・家事との両立を目指していたのですが、私の体力・精神力等を考慮し、母の介護・家事を中心の生活に切り替えたのです。
 収入は減りましたが、予算を立て、何とかやりくりしています。(一応、公認会計士ですから)
 徐々に体力も回復し、何とか再発もなく、私も母もコロナに感染することもなく、今日までやってきました。
 その後も、いろいろと課題や悩むことはありましたが、先にも述べたとおり、「情報を集めて、正しい情報を見極め、その情報を自分の中で練り込んで、どのように行動するかを決断し実行する」で、なんとか乗り切ってきました。
 振り返ってみると、課題だけでなく、それを解決するヒント、助けてくれるヒト、モノ、コト等も与えられていたような気がします。
 多くが与えられていたような気がします。
 感謝、感謝です。
 (これからもお願いします。)
 私がコロナ対策として気を付けていることは、政府や大手メディアの言う「マスク、手洗い」に加え、政府や大手メディアでは言わない「うがい、鼻うがい、歯みがき、口内洗い、入浴、目洗い、日本茶(葉っぱも食べます)、ルイボスティー、酪酸菌、ニンニク、身体を温める、胃腸の調子を整える、必要以上に恐れない、自分なりの勇気を持つ、栄養ドリンク、早めの風邪薬・頭痛薬等(市販薬)、食事・休養をしっかりとる 等、そして、神さま仏さまへの感謝と祈り」です。


 クラレという会社の新聞広告を使ってゴミ袋を少し飾ってみました。
 ゴミ収集の方がすこしでも緊張感が緩んでくれれば幸いです。
 ところで、笑顔っていいですよね。
 宇宙人にも笑顔はあるのでしょうか。
 もし、笑顔が、地球人類に特徴的なものだとしたら、笑顔を創った地球の神さまは天才。

 人生の目標に向かってコツコツと努力を継続している皆さん。
 未来はあなた方の手の中にあります。
 課題解決のヒントは必ずある。
 がんばれ。
 負けるな。
 60歳のオッサン公認会計士でした。
 では、また。



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