日本語のできる中国人の女の子を雇い、僕のアシスタントとしてつけてもらっている。いろんな雑務が舞いこんでくるし、日本ではあり得ないアクシデントがしょっちゅう起きて振り回される。とても一人では仕事を回せない。
アシスタントの彼女は、今年の夏に大学の日本語学科を卒業したばかりだ。アニメ好きがこうじて日本語学科へ進むことにしたらしい。日本語の原音声でアニメを観賞できるようになりたかったのだとか。仕事が終わって家へ帰るといつもネットでアニメを観ているそうで、あまり有名でないアニメまでよく知っている。だから、仮にアニメちゃんとしておこう。
いろんな人を面接した時、新卒のなかではアニメちゃんの日本語能力がいちばん高かった。最初の面接はすべて日本語で行なう。新卒の場合、緊張してしまってうまく日本語を話せなくなってしまう人も多いのだけど、物怖じせずに落ち着いていた。度胸があるところも買って採用することにしたのだった。
もっとも、いくら日本語検定一級(英検でいえば一級レベル)を取っていて日常会話ができても、ビジネス日本語まではできないから、メールの書き方、挨拶の仕方、ビジネス文書の翻訳の仕方といったイロハをいちから指導した。初めの頃は日本への報告メールを書き上げた後、三〇分くらいパソコンの画面とにらめっこしながら何度も読み返して間違いがないかどうか確認してから送信していたものだったけど、飲み込みが早くてめきめき上達してうまくなった。右も左もわからないまま社会人になって、おまけに日本語で仕事をしなくちゃいけないのだから、かなり大変だと思うけどがんばっている。
ただ、広東人気質というか、アニメちゃんは亜熱帯の人間なので、かなりむらっ気なところがある。中国人は全体的に気分屋だけど、広東人はとくにそれがはげしい。疲れがピークに達するととたんにふにゃっとなってしまう。
ある時、アニメちゃんといっしょに地下鉄に乗っていると、
「野鶴さん、わたしは疲れました。やる気ないですぅ。会社へ行きたくありませ~ん」
と、甘ったれた訴えを投げかけてくる。
「あのなあ、それが上司に向かっていう言葉か?」
「でも、ほんとうのことだからしょうがないじゃないですかぁ」
「僕は仕事をいっぱい抱えさせられて大変なんだ。そばで見ていてわかるだろう。そんなことを言ったら野鶴さんがかわいそうだと思わないのか?」
「はい、わたしもそう思います」
アニメちゃんはしゅんとしおらしい表情をして、
「わたしみたいな部下をもって野鶴さんはたいへんです。かわいそうですぅ」
と、どっと涙を流すような仕草をする。どうも本気でそう思っているようだ。
「自分でわかっているんだったら、がんばりなさい」
「でもでもぉ、会社へ行きたくないんですぅ」
「だめだこりゃ」
僕は頭を抱えこんだ。
会社へ行きたくない時って誰でもあるけどさあ。
そうかと思えば、
「わたしの人生はまだ始まったばかりだから、人生を真剣に考えて自分自身が輝けるステージを探さなくてはいけないんです。今の職場にこだわっていてはいけないと思います」
などと生意気なことをのたまう。
「あのなあ、今までいったいなんのためにいろんなことを教えたんだ」
「野鶴さんは損してしまいますよね。でも、わたしの人生です」
それはそうかもしれないけど、手間暇かけて教育して、やっと最低限のことができるようになったばかりなのに、それですぐに辞められたのではたまったものではない。引き締めておかなければいけない。
「ふざけるなっ!」
僕はアニメちゃんにヘッドロックをかまして、文字通り締めた。機嫌の悪いときは屁理屈をこねて反抗するので、そんな時もヘッドロックをしてちゃんとやれと指導するようにした。今の日本だったら絶対にできないけど。というか、そもそもふざけた反抗の仕方なんかしたりしないけど。
ヘッドロック教育の成果はばっちりだった。怒るふりをすると、頭を隠して逃げ、言い付けを守るようになった。やさしくなければ人ではない。だけど、やさしいだけではいけない。飴と鞭を使いわけなくてはいけない。
ところで、最近発見したのだけど、課内の食事会を設定するとアニメちゃんのモチベーションがあがる。食事会を楽しみにして、それまではルンルン気分ではりきって仕事をしてくれる。食事会が終わるととたんにトーンダウンしてだらりとしてしまうのだけど。
じつにわかりやすい。
(2011年12月11日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第143話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/