考え方が変わったというよりも、ぼんやり生きていた僕がいろんな物事を真剣に考えるようになったのは、バックパックを背負って旅に出て、今住んでいる中国で暮らすようになってからだった。
デカルトは、
「我思う、ゆえに我あり」
と書いた。
考えることは、物事を疑うことから始まる。
だけど、たとえ世の中のすべてのものを疑って否定したとしても、そんな風に物事を考えている自分の存在は否定できない、ということだ。物事を疑っている自分だけは、しっかり実在している。
デカルトは疑って疑い抜いてとことん考えたから、こんな命題を書物に記したわけだけど、そこまで突き詰めなくても、「疑う」ということは考えることの第一歩になる。
外国で暮らしてみると、日本では考えられなかったことに出くわす。ささいなことでも、日本と外国の差異に考えさせられる。自分が培ってきた「常識」がばらばらと音を立てて崩れる。
日本人なら言わなくても通じる「暗黙の了解」が通じない。もちろん、外国にも、「「暗黙の了解」はある。しかし、それは日本の「暗黙の了解」とはまた違ったルールで動いている。どうにも居心地が悪くて、心に棘がささったようで、胸がちくちくと痛むこともある。
小さなことでいえば、テーブルマナーがそうだ。
日本では、魚の骨や鶏の骨を絶対にテーブルのうえに置いたりしない。必ず、自分の皿に置くか、がら入れの器を用意してそこに捨てる。だが、中国ではテーブルのうえに置いてもいい。初めはかなり違和感があったけど、そうするよりほかにない。中国人の家に食事に招待された場合、がら入れをくれとお願いするわけにもいかない。相手に煩わしい思いをさせることになるので、エチケット違反になる。今ではずいぶん慣れてしまったけど。
また、ご馳走によばれた時は、全部食べてはいけない。
日本では残さずに平らげるのが礼儀にかなっているが、中国の場合、それをするとホストの面子を潰すことになる。つまり、中国人の考え方では、「ホストは客を満足させられるだけの料理を用意しなかった。もてなしが足りない」ということになるのだ。少しだけ残して、「もう食べられません。食べきれないほど用意していただいてありがとうございました」というふうに箸を置くのが礼儀にかなっている。
そんな壁にぶつかったところで、自分の常識を疑い始める。「常識」と「正解」は別問題なのだと気づかせられる。
さて、それからが大変だ。
固いと思っていた自分の基盤がぐらぐら揺れる。なにが「正解」なのかわからなくなってしまう。
中国人は彼らの「常識」で僕にいろんな物事を問いかけてくる。もちろん、彼らの常識も「正解」ではない。「常識」は「常識」にすぎない。中国の文化のなかでだけ通じる処世術にすぎない。人と無用な摩擦を生まないようにうまく振る舞うということも、生きてゆくうえで大切な技術ではあるけど、民族の違いを超えて、時を超えて、変わらない大切なことを自分自身の手でしっかり摑みたいと願うようになった。自分の軸をしっかり築かなければ、相手のいいようにされてしまったり、倒されてしまったりするから。自分がなにをしたいのかさえも、わからなくなってしまうから。
「正解」を求めるためには、その物事の本質はなんだろうという問いかけが不可欠だ。それなしでは、「正解」を得られない。理解できないことにでくわした時は、牛が胃の中のものを反芻するように繰り返し考える。正直なところ、いろんなことにぶつかりすぎて胃がもたれている感じではあるけど、いろんなことが勉強になった。いろんなことを誤魔化しながら生きてきたんだとよくわかった。もちろん、僕自身のことだ。
外国での生活は苦労が多いけど、その分、収穫も多い。思い切って放浪の旅に出てよかった。死ぬまでずっと、考える葦でありたい。そして、その糧で以て、文章を綴りたい。
(2012年1月1日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第146話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/